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被災地支援センター


4 誰もが分け隔てなく安心して暮らせる南相馬市へ
~今後の避難計画、復興計画づくりへの提案~

1.南相馬市の障害者福祉

 南相馬市内で障害者福祉サービスを実施しているのは、小規模作業所1ヶ所、地域活動センター4ヶ所、B型事業所4ヶ所 生活介護事業所1ヶ所、旧法定授産施設1ヶ所(児も含む)、指定相談支援事業所2ヶ所、さらに市立図書館や市立病院等公的施設内に就労の場を提供するなどの事業である。7万人余の人口を要する他市の行政区の実施状況と比較しても、障害のある人が地域社会のつながりの中で働き暮らして行くことを民間法人等と連携しながら推奨する南相馬市の障害者福祉の基本的な姿勢が伺える。 他県、他市では困難とされた「障害者手帳交付者名簿の公開」もこれらの地域福祉を地域連携の中で進める本市の基本姿勢からの英断であったと評価することができる。

2. 東日本大震災の被災の実態は何を示したのか

 このような、南相馬市障害者施策の積極的施策の中にあっても、今回の大震災で多数の障害のある人の命が奪われ、避難生活の中でも「命の危険」と背中合わせの厳しい、残酷ともいえいる事態をつくってしまった。
日中活動支援事業所や居宅支援、相談支援事業等による福祉サービス支援の仕組みは一定充実しているものの、発生した上記の事態は結果的には現行の「要援護者避難計画」による対応が実態とニーズに見合った内容ではなく、抜本的な改善を求めていると言わざるを得ない。
震災で路頭に迷い、不安に追い込まれ、窮地に追いやられた障害者や家族が多数生まれた事実をふまえ、緊急に見直されるべき「要援護者避難計画」と「総合的復興計画」に反映すべき内容を調査活動に携わってきた立場から提案する。
ただ、原発事故による避難は、同じ「緊急時」とはいえ、一般自然災害時の避難とは区別して扱う特別の問題を含んでいると考える。JDF被災地障がい者支援センターふくしまとしての基本的な考え方と対応は後述することにする。いずれにしても、原発事故は地震・津波の自然災害による不測の大惨事に二重、三重の困難を強いる結果となる「人災」とは言えまいか。

3. 総合的復興計画に明確に位置づけられるべき「要援護者避難計画」

<基本的視点>
 要援護者避難計画は、単なる「避難マニュアル」ではない。障害のある人の尊厳と命の重みを南相馬市行政も含めた地域社会全体が認め、守り、誰ひとりとして排除しない、「共生の地域づくり」の計画の柱に据えられるべきものである。
 障害のある人たちはその障害の特性から障害のない人と同レベルの生活や社会参加の営みを送っていくことに困難を抱えている。今回の調査結果が示しているように、大災害が瞬時に襲い多くの命が奪われ、その後の生活でも生命を脅かすほどの厳しい事態が生活のあらゆる場面で引き起こされた。
 「緊急防災無線が聞き取りにくい、もし情報が遅れていたら」(原町区62才視覚障害)「多人数の中に入ると混乱する。他人との共同生活はできない」(原町区30才自閉症児の母親)「家族が歩行困難、入浴もできない」(原町区49才女性)等、調査の中で命を守るための初期行動である「避難」ができず、その行動の入り口にすら入れない人が多く存在していたことが浮き彫りになった。
避難所に身障トイレが配置できる、一定数の福祉避難所が設置される、医療機関の指示がある、防災無線だけに頼ることなく、日常生活の中で隣組などによる助け合う仕組みがある、など緊急事態発生の瞬時にこれらの対応ができる、またそのことを関係者が認識できていれば、命を守る行動の入り口にすら入れない人を減らせることができたはずだ。
きめ細かい避難計画の策定は重要である。同時にその実施に向けた備えや仕組みは、平時の生活の中で実施され、検証される中で、地域に息づき定着していくのである。つまり、生活のしづらさを抱えた障害のある人や家族を地域で孤立させることなく共に暮らしていくために、必要な資源をつくり、住民参加で仕組みをつくる活動を要援護者避難計画の中に明確に位置づけることが必要不可欠である。
 緊急事態が起き時でも、誰ひとりとして「命をおとさない」、限りなく「平常の生活が維持できる」そして、一日でも早く「通常生活」を取りもどせることなどを分け隔てなく実施していくことを基本的視点にした要援護者避難計画の策定が望まれる。

<具体的内容への提案>
 調査結果を踏まえて、要援護者避難計画に盛り込まれるべき内容を提起したい。

①要援護者情報の共有をする。
* 登録の自己決定は尊重しながら、要援護者の個別リスト化(登録制度)は不可欠。
* 情報伝達体制の確立

  • 地域のできる限り幅広い団体、機関(フォーマル、インフォーマル)で共有する。
    (社協、民生委員、消防団、消防署を含む行政機関、施設、病院、NPO法人、ボランティア団体等)
  • 地域防災体制の確立・・・自治会など地域単位で組織
  • 地域事情を最も掌握した団体が事務局を担い連携の要になる。
  • 平常時の訓練をできる限り細かく実施・・・個別要支援者ごとに支援担当、
                           体制を共有する

* 個人情報保護は重要課題

②避難支援計画の具体化
*避難時の行動は明確にしつつ、あくまで個別の計画を立てる。
   医療、労働、家族構成、福祉サービス、住居

③避難所での支援

  • 個別ニーズに基づく場、設備の確保
  • 担当窓口の確立
  • 個別支援内容に基づいた避難所の確保

④臨時体制の確立

  • 民生委員、地域社協、消防団、消防所を含む行政機関、施設、病院、NPO法人等 以上の具体内容は、既裁の調査結果の個別事例で報告してる内容であるので再掲はさける。これらの内容を個別の支援計画の中に組み入れる必要がある。

⑤モニタリングの実施

  • 1~2年に一度の日間計画のモニタリングをし、必要な見直しを行なう。

4. 終わりにあたって

 いわゆる「地の者」ではなく、地域の歴史も実情の知識も皆無のメンバーによる調査であった。「この大惨事で被害を被った障害者のある人に何とか震災前の穏やかな「日常」が一日でも早く取りもどせるようにしたい」「障害のある人が孤立化したり、排除されることのない地域づくりが、この大災害を機に一層進んでほしい」こんな一心での支援活動や調査活動のスタートだった。南相馬市内の地域福祉の中核的役割の担っているNPO法人さぽーとセンターぴあの関係者に全面的なご協力をいただいたが、本提案が地域の歴史や慣習も踏まえた実態にフッィトした内容になっているかどうかは心許ない。ただ、客観性や中立性という点からみると優位な立場からの報告になってのではないかと評する。
報告の終わりにあたって、私たちの思いを数点付記しておきたい。既述の内容と重複をご容赦いただきたい。

① 南相馬市の要援護者避難計画、復興計画は、一地方自治体の計画に留まらない。
 JDF被災地障がい者支援センターふくしまが受託した南相馬市避難実態調査結果と要援護者避難計画に反映させる内容の提起をしてきた。
震災から5ヶ月が経過した南相馬市では、「この街で仲間といっしょに働き、暮らし続けていく」選択をした障害のある人の集う場、働く場をなんとか確保しようと固い決断をして再開をする事業所が徐々に増えてきた。市立図書館が再開し、念願の働く場であるカフェもリニューアルオープンした。鹿島区にも仮設住宅の建設がすすみ、確かな復興の足音が聞こえてきた。
しかし、連日報道される放射線拡散と農業、畜産、漁業被害への拡大、月ごとに増える市外避難者など、先の見えない事態にも焦燥の感を否めない。
第1次・第2次で不在だった人を対象にした追跡調査が一段落しつつある7月初旬頃から、JDF支援センターの活動は、主に職員欠員の事態のなかでも地域の障害のある人たちの「みんなと顔を合わせたい、働きたい」との願いに応えて再開した事業所支援の活動にシフトしてきている。これまで長年共に働き、生活をしてきた利用者が久しぶりに集い、仕事に打ち込む真剣で明るい姿に「これからもずっとあの笑顔を絶やしてはなるまい」と決意の拳を握っている。
 リニューアルされる要援護者避難計画は単なる「避難マニュアル」ではない。「この南相馬で生きていく」選択をした障害のある人や家族の命綱ともいえる常備品である。中身は一般論ではなく、できる限り個別的で具体的な内容でなければならない。緊急事態発生段階から避難時、避難場所でできる限り早期に実施に移せるためにも、幅広い人たちと共有しておかなければならない。
国では今、障害者関連制度の抜本的改革が行なわれようとしている。その基本に障害のある人の尊厳を謳い、その人を取り巻く環境との関連で障害や自立をとらえた障害者権利条約の理念が下敷きになっている。第十一条「危険な状況及び人道上の緊急事態」で自然災害時を含めた緊急事態の中でも、障害のある人たちの生命と日常生活が守られる体制と仕組みがしっかりと担保される義務がおさえられている。近々の成立を待つ総合福祉法(仮称)に南相馬の障害がある人たちの決意と希望が反映されることを望む。
南相馬震災復興の道程のなかで、障害のある人の命の重みと尊厳がどのように計られるか、全国、いや世界中の人々が注目をしている。新生の要援護者避難計画や復興計画は、南相馬市だけのものではない。様々な困難を乗り越え、誰をも排除をしない、真に人を大切にする、世界に誇れる地域づくりへの一歩となる計画であると確信する。

② 避難調査活動の重要な意義
 調査活動を通じて、私たちが痛感したいくつかの内容を紹介しながら、本調査活動の積極的な意義について報告し、この活動が他市他県に及び、今後の復興計画にも反映されることを期待したい。

1)調査でわかった緊急生活困難ケースへの「待ったなし」の対応
 毎日、訪問調査が終わると一定時間かけて、その日訪問した所の検討会をもった。
検討会には、訪問調査員、調査活動拠点として利用していたぴーなっつの所長(地元情報にくわしい方)地元障害者関係の相談員を中心として、構成され、必要に応じて包括センター、保健師たちも参加した。
検討会の内容としては、

① 在所・安否・避難・不在などの確認
② 避難状況と避難計画づくりに必要なことの確認
③ 生活実態の確認と困難な課題の整理と分析
④ 生活困難ケースへの対応方針の確認
⑤ その他

が柱としてあげられる。
訪問調査したケースは、一度チェックされた上で、緊急性の高いケースについては、時間をかけ問題点を整理し、どこにどう繋げるかという方針を決め、その後の対応状況のチェックも進めた。さらに可能な限り、地元相談員にも参加してもらい、対応の必要なケースの確認と対応の方向性、どこに繋ぐかなどを一緒に決めた。
その中で、第1次から第3次に至るまでの間に生活困難ケースとして何らかの対応をすすめた件数は、168件あり、在住確認がとれた492件の34.1%にあたる。
その内容は、「医療」「住まい」「仕事」「生活環境」「日中の場」「教育」「地域」など実に多様な問題への対応だった。

対応の仕方として
ア. 再度のくわしい調査、継続的相談、社会資源に繋げる必要性がある場合などは基本的には、地元の障害分野の相談員に引き継ぐ。
イ. 社会資源を利用していて生活困難を抱えている場合は、利用している社会資源との連携をすすめる。
ウ. 調査活動の拠点施設(ぴーなっつ)での対応可能な在宅者の相談は、そこに引き継ぐ。
エ. 障害のある人の家族側の抱えている問題(高齢化にともなう親自身への対応)や近隣からの高齢者に関する相談に対して他の相談機関への引き継ぐ。
オ. 緊急を要したり、調査の補足、物資支援などについては、支援センターで対応していく。
など振り分けながらすすめた。しかし、地元相談員、関係機関職員、社会資源などいずれも少ない職員体制やまだ事業再開ができないなど、厳しい状況での対応となった。
第1次調査のなかで対応が必要だったケースについては、一定期間がたった後、その後の対応状況のチェックや再訪問し、新しい状況の把握を行なった。
また、顕在化した問題やニーズのみならず、時間が経過するとともに生活が苦しくなったり、精神的に不安定な状況が厳しくなったりと状況が時間とともに変化しており、継続的なケアの必要性も出てきている。
調査活動の中で「緊急生活困難」ケースへの対応をすすめた活動が当然繋がり、震災後、原発事故後の混乱した状況の中では、大きな役割を果たした。

2)緊急事態の中で、大きな役割と機能を果たした「ぴーなっつ」
-災害時における拠点福祉施設の必要性

 被災状況下において、調査活動を本格的に民間で進めるためには、全国の福祉現場からの調査員の確保のための生活拠点として、さらに活動拠点として日中事業所の「ぴーなっつ」がその機能を果たしたのは大変重要なことであった。日中事業が終わってから、翌朝の事業開始までと、土・日の休日を使っての活動だった。
また、調査活動の連絡先として、さらに各種相談・情報提供や物資提供先として、訪問先への周知や南相馬市のホームページに掲載された。
 こうしたなかで、「ぴーなっつ」は様々な拠点機能と役割を広げていった。

  • ① 広い広報活動を通じ、電話での相談・来所されての相談など切実な問題や緊急な事態も含めた相談機能をもった。震災体験やその後の厳しい避難生活から精神的に不安を抱えたり、家族関係全体が抱えている問題が複雑であったりして、何度となく来所され、話をされていく方も居られ、精神的なゆるやかな拠り所としての機能ももった。
  • ② 役所からの情報が行き渡らなかったり、東電や放射能に関わることなどの難しい情報を理解するのが難しかったりした場合の情報提供やまた、各種手続きがわからなかった場合の各機関の調整などの機能も持った。さらに発達障害を抱える親たちからも手帳は持っていないが、要援護者名簿に掲載してほしいという要請をきっかけに避難時の困難さや避難所での生活のしづらさ、日中支援の不安など特に深刻な問題が持ち寄られ、何人もの親たちが集まり、お互い情報交換したり、支え合ったりできる空間を提供したりした。
  • ③ 障害のある人や家族の生活は、困難を極めた。避難せずにずっと残っていた人たちは、なかなかお店が再開されず、移動手段もなく、買い物にいけず、物資に困った。障害のある子を抱える母子家庭・父子家庭、兄弟に障害のある子どもを抱える家庭、避難生活が最も難しいと言われている発達障害のある子どもを抱え親自身も精神的に不安定になり生活苦に陥った家庭。避難生活が困難となりやむなく障害のある子ども共々緊急時避難計画地域にある自宅に戻り放射能からの危険に子どもを守るために安心できる飲料水の確保に苦労している家族。震災で借金して建てた新築の家を失い、仕事も失い、障害のある子どもを抱え、ギリギリの生活をしている家族。そうした家族への物資支援は、続きました。ギリギリの生活をなんとか支えていくための物資提供は、障害のある人やその家族にとっては、非常に大切な取り組みであったし、これからも続くと考えられる。
  • ④ 震災による被災と原発事故による複雑な被災状況を併せ持つ南相馬市の中で、民間団体との共同の取り組みとしての避難時の調査活動は全国的に意義あることとして注目され、南相馬市から全国の被災地や被災時の対応を考えている自治体や全国の関係団体に対し、貴重な問題提起をした。
    具体的には、各種報道機関からの取材は後を絶たたず、全国各地からの聞き取り調査や視察が来られた。

 こうした機能や役割の3ヶ月間の実績が下記の表のとおり。

*ぴーなっつにおける調査活動期間における活動実績

  電話
相談
面接
相談
調整
情報提供
物資提供 来客 マスコミ その他
5月 13 26 17 74 54 10 8
6月 32 16 42 122 76 17 11
7月 34 17 71 39 83 8 3
総計 79 59 130 235 213 35 22
  

こうした活動実績の背景には、自ら被災しつつ、少ない人数で事業所再開を必死に行ないながら、次から次に生まれてくる通所希望に応え、同時に以上の様な活動を献身的に行なってこられた職員の姿があった。これらの一連の活動は、明らかに日常の仕事の枠を遙かに超え、あわせて南相馬市全体の問題を視野において取り組んだ結果である。
災害時において、被災地においてこうした拠点機能を持ち得る福祉施設があることは、障害分野においての復興に向けての足がかりをもてることになる。
また、地元事業所が拠点となってこそ、地元行政や全国の障害関係団体とが手をつないで行なえた調査活動につながったものと考える。調査活動の中で緊急に対応を行なえたのも地元事情にくわしく、地元の中に様々なネットワークをもっていた事業所の存在は大きいものがある。

3)調査活動の中で作り出した「市民生活復興」の障害分野の入り口
 私たちは、調査活動の中で、障害のある人やその家族が避難先から南相馬市に帰ってくる人たちが後を絶たない実態を目のあたりにした。それは、今日も続き、「避難先から今戻ってきました。聞き取りをしてもらえますか」という電話が絶え間なく続いている。
 さらに時間が経つにつれ、障害のある人の日中活動へのニーズが強くなり、広がってきた。
① 今まで日中事業所に通っていたが、震災で事業所が閉鎖され、通う所がなくなった。
② 震災前まで、就職していたが、工場や会社が閉鎖や休止となり、解雇となり、在宅になった。
③ 震災以前から長年在宅であった。
④ 今年の春、学校を卒業し、就職や日中事業所に通うことが決まっていたが、震災でそれもなくなった。
 などいろんな事情が絡み合い、新しいニーズも加わり、日中事業所の再開や拡充が緊急の課題となった。
 4月には、「ぴーなっつ」が、最初に再開され、毎月新しい事業所が再開される。再開されると希望者が後を絶たない状態となり、事業所の拡充も必要となった。一方で、事業所を再開したものの避難した職員がなかなか戻ってこないという現実にぶつかり、新たに求人を出しても応募がないという職員不足問題が深刻化する。
 そうした状況に対応して、JDF支援センターも応急的措置として事業所への現場支援を4月から始め、現在4事業所に6名の職員派遣を全国の障害福祉関係者からの応援を受けながら1週間単位ですすめている。
 また、事業所再開を図ったものの各種企業閉鎖の中での下請け仕事のストップや削減、食品関係の仕事が維持できなくなったり、事業所で作った製品が売れにくくなってくるなど、障害のある人の仕事の確保問題が深刻化する。その問題に対し、南相馬市内の日中事業所が初めて連携し、新しい仕事おこしの取り組みを始めた。
 南相馬市の「復興ビジョン(案)」の中で、緊急的対応として「市民生活の応急的復旧」として「市民生活にとって必要不可欠な住居、医療、福祉、教育などについて、応急的措置を講じる」こととされている。まさしく今回の調査活動から「応急的措置」としていち早く障害分野において社会資源の再開に繋がっていった。
さらに「すべての市民が安心して暮らすことができるまちの再生」の中で「市民生活復興」のひとつとして「医療、福祉、保健支援体制の整備」が掲げられている。調査活動は、まさしく「すべての市民」を対象としているし、「安心して暮らす」ことにも「応急的」に対応できた取り組みだった。同時にまだまだ震災前までの社会資源再開に至らず、非常に厳しい運営体制にある。
しかし、そうした厳しい中にあって、再開された事業所間の新たな連携や地元相談員と各種事業所間がチームを組んで南相馬市全体の在宅者問題に責任をもって向き合ってきたことは、大きな財産であり、初めての事でもあった。まさしく「福祉支援体制」のひとつの形をつくったといえる。
今回の調査活動は、障害のある人の安否・所在確認、避難実態、生活実態などの状況を明らかにした意義ある活動であったと同時に、障害のある人の「生活復興」に向けての取り組みの入り口を作った活動でもあった。


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