静岡県立大学国際関係学部教授 石川 准
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グーテンベルグの出版革命以来、視覚に障害のある人は「情報デバイド」を経験してきました。
しかし、19世紀になってフランス人のルイ・ブライユが点字を発明し、さらに20世紀の録音技術の登場により状況はかなり好転しました。
現在、点訳図書と録音図書は、点字図書館、公共図書館、そしてボランティアにより制作されています。毎年、数千タイトルの録音図書、点字図書が作られています。にもかかわらず、毎年出版される本はそれをはるかに凌駕しています。ジャンルにもよりますが、読もうとする本がどこかの点字図書館や公共図書館の録音図書、点字図書ライブラリーに見つかることは多くありません。とりわけ学術書となるとその可能性は非常に低いといわざるをえません。
そこでボランティアなどに個人的に録音や点訳を頼むことになりますが、どうしても完成までに数ヵ月はかかってしまいます。このタイムラグは必然的なものですが、仕事で本を読まなければならない人々にはかなり致命的です。
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視覚に障害のある人は出版された本や雑誌や新聞をタイムラグなしに自由に読みたいという夢を抱いてきました。1970年代には大学生たちが「読書権」を主張するようになりました。
やがて多くの公共図書館で、ボランティアの協力を得て対面朗読がはじまりました。だれでも公共図書館にさえ行けば「本が読める」という夢の実現でした。
ところがです。現実には対面朗読サービスを頻繁に利用するのは学生と熱心な読書家にほぼ限られています。わざわざ図書館へ出かけなければならないことと、生朗読では、朗読者の読みのスピードより速く本が読めない(テープレコーダで録音図書を読むときは再生速度を150%ぐらいにするのが普通)のも予想外の不人気の理由だと思います。
やはり人は読みたい本を読みたいときに読みたい場所で読みたいものなのです。
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最近の私の読書法を紹介しましょう。
本を購入したら、電動裁断機で本を裁断します。切り離されて紙の束となった本をまとめてイメージスキャナにかけて画像ファイルにします。私はできるだけスキャニングの効率を上げるために、一度にたくさんの紙をセットできるドキュメントシートフィーダーが付いた高速両面スキャナを使っています。できた画像ファイルをOCR(Optical Character Reader)ソフトにかけて文字認識させるとテキストファイルができあがります。それをパソコン上の音声・点字エディタで開いて読みます。このやり方なら買ってきた本がすぐに読めます。高速両面スキャナを用いれば一冊あたり30分もあればテキストファイルができあがります。
OCRとパソコンによるハイテク読書の利点は以下のとおりです。
要するに能動的に、厳密に、効率的に読むことができるようになります。
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一方、ハイテク読書にもまだまだ欠点はあります。
OCRで文章を読み取ってテキストに変換する際、別の文字や記号と間違えて認識することがあります。和文と英文が混在しているページにこの誤認識が多く起こります。とくに縦書きの和文に横書きで英文が挿入されている場合は英文は完全に化けてしまいます。なおOCRに特徴的な誤りは、「体」と「休」のように、見た目が似ている文字を誤認識することと、一つの文字を二つに分解してしまって誤認識することです。また、網掛け文字や、白黒反転の文字などもOCRでは文字化けしてしまいがちです。
OCRが正しく認識しても、テキストファイルを音声化したり、点訳するときに誤りが出ることもあります。日本語を正しく読むのは人間でも難しいことですが、コンピュータは人間よりもずっと多く間違います。できるだけ高精度の音声化ソフト、点訳ソフトを使う必要があります。
私は、たいていOCRでテキストにしてそのまま読んでいます。多少の誤りはありますが、それでも、日本語と英語が混在しているページの英語部分を除けばほぼ問題なく読めます。しかし、厳密に読まなければならないものはOCRでテキストファイルにしたあと、アシスタントに校正を頼んでいます。どれほど厳密に校正するかにより、作業時間は違いますが、厳密に校正する場合は、一冊あたり2週間ほど必要です。ちなみにプロのテキスト入力業者に頼むと一冊10万から15万ぐらいになってしまいます。
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インターネットにはテキスト情報がたくさんあります。個人や法人が提供するありとあらゆる種類の情報があり、検索エンジンにより検索も容易です。
視覚に障害のある人は音声ブラウザでホームページにアクセスしテキスト情報を入手することができます。しかし、なかには読めない情報もたくさんあります。例えば、文字でなく画像として提供される情報は読めません。
そういった状況の中、情報バリアフリーへの要求が高まっています。
情報には、活字メディアにしかない情報、電子メディアにしかない情報、どちらにもある情報、どちらにもない情報、があります。書籍、雑誌、新聞などは、活字メディアが圧倒的に充実しています。紙は非常に優れた表示装置です。紙と同じぐらい軽くて柔らかなディスプレイが開発されないかぎり決してペーパーレス時代は来ないでしょう。しかし、情報検索は電子メディアの独壇場です。
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現状では、活字メディアへのアクセスはほぼOCRしかありません。
出版社には電子テキストがありますが、電子テキストは無防備なメディアですからコピーが容易です。だから出版社も著者も出版権や著作権の侵害を心配します。
出版社によってはテキストファイルを提供してくれる場合もありますが、いろいろと交渉や手続きが必要で、簡単には提供してくれません。しかし中には電子図書を販売する出版社も若干あります。
著作権を尊重しつつ、電子テキストを必要としている人に供給する社会的仕組みを構築する必要があります。
バリアフリー電子図書の標準化と電子図書を共有する仕組みの開発が望まれます。アメリカではbookshelf.orgというところがOCRで入力して作成したテキストファイルを、Sigtuna DAR 3を使ってテキストだけのDAISYにし、それに著作権保護の処理を施してネットワーク上に置いて交換する仕組みを作っています。利用者は専用のリーダーソフトを使って読書しています。日本でも同じような試みが始まるとよいと思います。
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とはいえ全体としては視覚に障害のある人の情報環境は飛躍的に好転してきています。
長らく視覚に障害のある人は自分の経験と思考を頼りに生活してきました。それは決定的な情報不足を補う唯一の方法だったといえます。しかし、我流、アイディア倒れに陥る危険もありました。情報バリアフリーが実現すると、いよいよ本格的な仕事ができるようになります。