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平成19年度 第93回 全国図書館大会 東京大会
第12分科会

ディスレクシアの教師として生きること

神山 忠(岐阜県立関特別支援学校)

はじめに

ディスレクシア(Dyslexia)とは学習障害の一種で、失読症、難読症、識字障害、読字障害とも言います。

知的能力及び一般的な学習能力の脳内プロセスに特に異常が無いにもかかわらず、書かれた文字を読むことが出来ない、読めてもその意味がわからないなどの症状が現れます。

逆に意図した言葉を正確に文字に表すことができなくなる「書字表出障害(書字障害 ディスグラフィア Dysgraphia)」を伴うこともあります。

また、家族性の発症例も古くから知られており、遺伝マーカーとの連関に関する研究も行われています。

文部科学省が行った4万人対象の調査では、およそ4%の児童生徒がディスレクシアであるという調査結果が出ました。つまり、どの学級にも一人か二人はいる特性と言えます。

有名人には、映画俳優のトム・クルーズ、現アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュ、その弟のニール・マローン・ブッシュもそうです。

また、ノーベル物理学賞アルベルト・アインシュタインもディスレクシアであったという説があります。

最近では、イギリス出身の俳優オーランド・ブルームと女優のキーラ・ナイトレイもカミングアウトし、録音読書で学習したり色付き眼鏡をかけて文章の他の文字が混じって見えないようにしたりしていることを公表しました。

ディスレクシアの特性

まず、読むことができないとは、どんな状況にあるか想像がつきますか?なかなかイメージができないと思います。視力には問題がないけれど、視覚がアンバランスな状態にあり文字を文字と見られない状況です。

この図を見てすぐに何が書かれているか分かりますか?人によっては「ここに本当に文字が書かれているの?」と疑いたくなるかと思います。しかし、見る人が見ればLIFEとすぐに読めるかもしれません。 文字の書かれた図

また、次のように文字が重なって見えたり、ゆらいで見えたり、鏡文字に見えたり、かすんで見えたりしています。 文書がゆらいだり、反転、かすんでいる様子

つぎに、読めても意味が分からないと言うのは、どういうことなのか感じてもらいます。通常の読みは、文字を目で見たら頭の中で音とマッチングして口から発する回路と同時に文字と意味をマッチングする回路とが同時に働きます。

しかし、その回路がうまく働かずに音とマッチングするだけで精一杯の状況になってしまうのです。

図の文字を「ティー・エイチ・アイ・エス・・・」と何度読んでも意味が分からない状況と同じかも知れませんね。多くの人は、これを声に出すと同時に「これはペンです」と意味理解する回路は働きませんよね。 This is a pen. のアルファベットを縦に並べて表示

辛かった学齢期

ディスレクシアの特性によりいろいろなことがありました。小学校時代のことを思い出してみると…。

2年生の時に、読み物をもらって各自で読むという授業がありました。その授業の終わりがけに先生が机間巡視してきました。

私の右後方から「神山君、まだこんな所?」と言う声がしました。すると周囲の友達が一斉に私の方を見ました。

「うそー、まだこんなとこかよー」
「何やっとったんや、一時間」
「俺なんか、二回目やぞ」
いろいろな声がしました。

私は、何があっても離さないぞと決めた「読んでいる文字を押さえた左手の人差し指」も知らず知らずのうちに離して机の下に持っていき、きつく握りしめてぶるぶると震えていました。

目でもどこを読んでいるかを見失わないように必死に文字を見ていました。

始めは見えていた字ですが、徐々にプールの底に書かれた文字のように揺れ始め、大粒の涙がこぼれました。その時、「もう本なんか読まないぞ」と心に決めました。

小学校3年生の時にあった話です。メモで「たいことばちをもってきて」とお遣いを言われました。

そのころの私は腕力だけはあり、きっと先生の配慮で私を認める場を作ってくれたのでしょう。そしてまた、そのころの私は、お遣いの途中でも鳩などを見つけると、お遣いをそっちのけで鳩を追って行ってしまう児童でした。

なので先生は、わざわざメモでお遣いを伝えてくれたのでしょう。しかし、これが混乱の元になってしまいました。

私は、前から意味があるまとまりを見つけて区切りながら読みました。その結果「鯛 言葉 血を 持ってきて」と区切ってしまい、「今日の給食は鯛が出るのか」「言葉は図書館かな」「血は理科室かな保健室かな」「どうやって回ってこようかな」と考えていました。

すると授業が始まるチャイムが鳴り、後ろから「もう何やらせてもぐずなんやで」と叱られてしまいました。

小学校の高学年から中学生になる頃はこんなことを考えていました。「朝、目が覚めたら、目が縦に並んでいてくれないかな!」そうしたら自分も縦書きの文字が読めるのではないかと思いそう願って寝ていました。しかし、その願いは叶うことが無く学校で文字が読めなくて恥ずかしい思いをしていました。 目が縦に並んだ顔の絵

音読の宿題が出ると、まず分かち書きになるように区切りを見つけて赤ペンで斜線を入れていました。意味のまとまりがある所を見つけて線で区切っていきます。区切り終わるのに1時間半位かかります。それから読みの練習。合計3時間掛けても、つまりつまりしか読めません。

そして、次の日の授業中、指名され読み出す。つまりつまりでしか読めず、立っているだけでも恥ずかしい気持ち。やっと指定された範囲を読み終え座ろうとすると、

「神山、前に来い!」
「お前、どれだけ練習してきたんや」
「・・・・」
「10回読んでダメなら100回読んでこい」
「100回読んでダメなら1000回読んでこい」
「努力が足りん!努力が!」
とみんなの前に出されて叱られる。

そして、角刈りの私の頭に白のチョークで「×」と書き、
「お前は1日それを消すな!」と言われてやっと座らせてもらえた。

中学生くらいになるとだれでもクラスに気になる異性ができますよね。その子の前でこうした注意を受けることは屈辱でした。と言うより、自分が生きていく価値や意味がますます見つからなくなりました。そして、「どうやって死のう!」「いつ死のう!」と考えていました。

転機

高校卒業後に自衛隊に入隊しました。そこでの教育は、文章中心ではなく実物操作と口頭伝達というものでした。その形での学びは今までの劣等感を払拭してくれました。

そして、自信が持て「自分が教師になって勉強が苦手な子の気持ちが分かる教師、そうした子を救える教師になろう」と決意しました。訓練が終わると夜間の短大に通い教員免許を取り今に至っています。

自分が苦労して読みに対して立てた作戦を自分の指導に生かして、自分が味わった辛さ苦しさを二度と味わうことのないようにと頑張っています。これが「ディスレクシアの教師として生きること」「ディスレクシアとして生まれてきた私の使命」だと思っています。

私の作戦

私の読みに対する作戦は、

  • 苦手な縦書きを横書きにする
  • 明朝体をゴシック体にする
  • 行間をあける
  • 分かち書きにする
  • ハイライトさせる
  • PCに読み上げさせる など

苦労して身につけたこれらの作戦。気が付けば、すべてDAISYの機能でできました。

この記事は日本図書館協会発行「平成19年度 第93回 全国図書館大会 東京大会要綱」より 転載させていただきました。