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母親が語る『発達障害のある大学生、ユニコと歩む日々』 その2

何か変、と気づいた幼稚園の頃

ユニコは夏、お盆の頃に生まれた。

家族は、父、母、1歳半違いの姉と、6歳違いの弟。

生まれた時から、とにかくよく寝る子だった。ほかの子が起きている時間の半分くらいしか目を覚ましていなかったように思う。だから、いろいろなものを見たり、聞いたりして、刺激を受ける機会が少なく、その分、発達もゆっくりになってしまったのかもしれない。

もう1つ、ユニコを見ていると、初めて人間として生まれた魂のような気がしてならない。

輪廻転生が本当だとしたら、ユニコは、何度も生まれ変わった魂ではなく、少なくとも人間になったのは今回が初めて。だから、この世の中の常識も、要領よく生きる術も知らず、言わば、まっさらなのだ。

まあ、成長するにつれ、悪いことは覚えるし、暗黒面も増えてきたようで、今では幼い頃ほどピュア感はないような気もするが…。

言葉は遅かったけれど、文字は大好きで、ずいぶん早くに字が読めるようになった。いつも絵本を抱えていた。今思えば、こだわりの対象が文字だったのだろう。

首のすわりも、歩き始めも遅くて、なんだか運動も苦手そうだけど、親も運動は苦手だから、とあまり気にしていなかった。

だって、いつもニコニコしていて、楽しそうで、よく食べて、よく寝ていたんだもの。

幼稚園の年少、年中は、若い女の先生が担任で、ユニコは「明るい、ムードメーカーです」と言ってくれた。

それが一転、暗い日々が始まったのが、年長になってから。経験豊富な「敏腕」幼稚園教師として新しく赴任してきた先生が担任になり、家庭訪問に見えた時のことである。

「できて当然のことができない。」

にこりともせず、深刻な顔で告げる先生。

着替え、製作活動、集団行動など、この年齢でできて当たり前のことができない、と。

「牛乳瓶に紙粘土を貼り付けて花瓶を作った時には、紙粘土の四角い分厚いかたまりを、そのまま牛乳瓶に巻きつけようとするので、結局、私が代わりに作りました。」

「折り紙も、縄跳びも、何もかもできない。」

「練習をさせていないでしょう?」

「愛情不足ですね。」

ちょうどその頃、弟がおなかにいたので、確かに、一緒に外で遊ぶというのはあまりしていなかった。でも、もともと何をやらせても不器用で、教えてもなかなかうまくならないユニコに、わざわざ苦手な折り紙をさせたり、粘土をさせたりするなんて、考えられなかった。本人もいやがるし、そういう遊びを、親に教えられたり、練習させられたりした記憶は、自分にはなかった。

でも、ラケットでボールを打つことも、あやとりも、粘土も、お絵かきも、家で練習させなければいけないことだったらしい。

お絵かきと言えば、忘れられないのが、パイナップルの絵。

ユニコが、パイナップルの上にも下にも葉っぱのようなモジャモジャを描いたのを見て、 先生は、「これはパイナップルではありません」と、描き直しをさせた。

ユニコが描いた筍の絵を見せられたこともある。 一本の筍を見て描いたはずなのに、細いアスパラガスが林立しているような絵になっていた。

運動会の練習のときにも、困りはてた顔で訴えられた。

「みんな練習をしているのに、こっちをちらりとは見たのですが、そのまま砂場で遊び続けていました。」

「リレーでは、うしろを向いてバトンをもらい、そのまま逆走しました。」

いろいろ言われて、しかたがないから、教えたり、練習させたり、やってはみたのだが、あまりに不器用で、全然できるようにならない。

運動会の玉入れの様子を見ていると、玉を握って投げるしぐさをするものの、玉を(前ではなく)うしろに落とすだけで、まったく投げられていない。

自由画は描けず、ぐちゃぐちゃの線と丸の組み合わせ。

なんというか、まだ手も足も、複雑な動きができるまでには発達していないという感じなのだ。

それでも、練習させなければ、と

園服のボタンがうまくはめられないのを、ちょっと手を貸してやれば数秒で終わるのに、30分もかけて自力でやらせたこともあった。

ストレスがたまらないわけがない。親も子も。

左右がわからない。

家族が食卓でいつもどこに座っているのかわからない。

「顔を洗っておいで」と言ったら、「顔ってどうやって洗うんだっけ?」とまじめな顔で聞かれたのは衝撃だった。毎朝、洗うのが習慣だったのに。

何か変…

皮肉なことだが、「敏腕」教師にいろいろと言われたことがきっかけとなり、ユニコのさまざまな困難に気づくことができた。

ユニコはどうだったのかわからないけど、母にとっては、年長の生活はつらいだけだった。

「こういうことで困っている」と打ち明けても、周りのお母さんたちは誰も共感してくれない。

たとえ、「うちの子もそうよ。大丈夫」なんて慰めてくれる人がいたとしても、あとになって、実は困り感のレベルが全然違うことに気づく。

そのうちに、ユニコのできなさ、自分たちとの違いを感じ取ったほかのお子さんが、ユニコをいじめるようになり、今まで親しくしていたお母さんたちともぎくしゃくしてくる。

当事者は、孤独感、孤立感を訴える、とよく言われるが、

本人が幼い頃は、家族も、同じ孤立感を味わうのである。

身内に相談しても、同じこと。

「考えすぎでしょ。そのうちできるようになるわよ。」

「親が完璧主義だと、子どもも大変だな。」

唯一救われたのは、ユニコの父親が味方だったこと。

誰を責めることもなく、淡々と、ユニコとほかのきょうだいの世話をしてくれた。

その後、ユニコの様子について、ネットの情報や本などで調べて、学習障害ではないかと考え、幼稚園の先生方にも話してみたが、やはり否定された。

検査を受けて、診断が下されても、幼稚園側は、子どもに障害があると思いたがっている頭のおかしい親、と思っていたのではないだろうか。

担任の先生のユニコに対する理解は、最後までなかった。

できない子というレッテル。母親失格。

幼稚園の卒園式、いろいろなつらい思いが重なって、どうしても出席できなかった。ユニコの父親が、会社を休んで付き添ってくれた。