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母親が語る『発達障害のある大学生、ユニコと歩む日々』 その9

発達障害のある子を育てるって、どんな感じ?

子育ての喜びって、なんだろう?

子どもの成長? 

昨日できなかったことが、今日はできるようになったこと?

抱きついてくるときの笑顔?

じゃあ、発達障害のある子どもの子育ては?

一番つらいのは、

昨日までできていたことでも、今日は元に戻ってしまい、できなくなっていること

成長がはっきりと感じられないこと。

そもそも特定の人への愛着も薄いようだし、

感覚が過敏なせいか、抱っこされるのをのけぞっていやがる。

髪を触られるのも嫌がるので、いい子いい子と頭をなでようとすると、激しく拒否される。

一方通行の愛情。

特に心が折れるのは、一生懸命、手取り足取り教えて、練習もして、

やっとできるようになった、と親子で喜んだことが、

次の日、またできなくなっていたとき。

(たまたま、うまくいかなかったということではなく、本当に、白紙の状態に戻ってしまうのだ。想像するのはなかなか難しいと思うけれど。我が家ではこれを「リセット」と呼んでいる。)

自分が昨日生きていた時間、必死になって一緒に頑張った時間は、何だったのか?

無力感

自分自身が全否定されたような感覚

それが重なれば、親の自尊心はそぎ取られていく。

そもそも、発達障害であり、学習障害であったら、

普通に、順調に発達し、学習することが難しいのだから、

昨日できたことが今日できなくても、当たり前と言えるだろう。

そうわかっていても、やっぱり、ストレスはたまる。

いっそ何も教えずに、好きなこと、楽しいことだけさせて生きていけたら、どれだけ楽だろう?

ところが、そうすると、今度は「親のしつけがなっていない」と責められる。(例の、敏腕幼稚園教師のように。)

無駄に終わることを、心の片隅で予期しながら教えるのが、どれだけつらいことか。

でも、今、大学生になったユニコを見ていると、

あのとき、いろいろなことをあきらめずに教え続けて、よかったと思う。

何年もかかってできるようになったこともあれば、

もう半分あきらめていたら、あるときふと、できるようになったこともある。

今しか見えないとき、先が見えないときは、本当につらいけど、

発達障害も、学習障害も、

まったく発達しないわけじゃないし、まったく学習できないわけじゃないのだ。

1人で抱えこまないで

周りに助けを求めながら、あきらめずに続けよう。

心がくじけそうになるから、ときどき自分にご褒美をあげるといい。

運よく1人で出かける機会があったら、

用事を終えて、家に帰る前に、お茶でも飲んでホッと一息つくといい。

「みんなが家で待ってるから、早く帰らなくちゃ。」

「今頃何をしているか、わかりゃしない。」

そんな気持ちもわかるけど、まずは自分の時間を確保。

15分でも違うから。

また、頑張ろうって気持ちになれるから。

<ユニコからも一言>

発達障害や学習障害と聞くと、何もできないんじゃないかと思う人がいる。でも個人に合わせたやり方で教えれば、完璧ではないけれどできるようになる。私自身、ほかの人とは違うやり方で同じことを身に付けてきた。今、ほかの人と同じように大学生活を送っていることが信じられないと思うこともある。どうか、お母さんもお父さんもあきらめないで、希望を持ってわが子に接してほしい。ゆっくりだけど確実に、障害のある子も成長していくのだから。