音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

講演2「身近なところにヒントを探してみよう」

スチュアート・マッケンジー
アクアマックス設立者/アクアマックス有限会社取締役

皆さん、スチュアート・マッケンジーです。日本にご招待いただきありがとうございます。どうぞよろしくお願いします。最初に今回お話をすることについて簡単に要旨を申し上げたいと思います。まず、私の経歴、背景、そして私のインスピレーションをお話しいたします。

私が受けたインスピレーションについて。なぜ私が現在の活動を行っているのか。二つの世界をつなぐもの。アクアマックスの価値。アクアマックスの手法とアプローチについて、アクアマックスのアプローチは考える機会を与え、協力的で、変革させる力があります。私の経歴、ごく当たり前の生活だった頃、それが変わってしまったこと、そして私の行動への声と行動への声への拒否についてのお話をいたします。私の信頼のできる相談相手に出会ったこと。そして「ファインディング・ニモ」という映画、そしてカクレクマノミという魚に出会ったこと。限界を超える経験について申し上げます。

観賞用の水槽とサメ。私たちが何を始めたのか、水槽のレンタル業についてお話します。水槽のメンテナンス、保守、どのような試みや成果があり、どのような敵や友達に出会ってきたかのお話し。お金、円、ポンド、財務について。どのように谷を越え、どのような山を登ったのか。そして人生での復活。多様化を模索し、資金集めをしてどのような結果を生んできたのか、今どのように前進をしているのかをお話いたします。私たちの職員について、従業員について、そしてどんな賃金体系を持っているのかをお話いたします。私たちの水槽ギャラリー、ウェブサイト、それから連絡先についてもお話いたします。皆様からの質問にもお答えします。

私はアクアマックスの創設者で所有者、個人事業者です。スコットランド生まれで、兄弟は女の子と男の子と父と母という家族でした。家内は看護婦でした。イングランドに12 年前に引っ越しました。特に資格はなく学校を終えました。15 歳のときでした。私が卒業したときにはいつかもっと頑張ろうと思いました。両親は私をグラスゴー総合技術専門学校に入れましたが、それが正しかったかどうかはわかりません。両親は養護施設の子供の里親をしていました。その当時のことを考えてみると私は精神的な障害を持ち、学習障害を持っていました。私の父は鉄道の職員を50 年間しておりました。

二つの世界をつなぐもの。私は何年も前のことですが武道のインストラクターをしておりました。空手を学びました。日本の方は魚が大好きです。お寿司もそうですね。鯉も大好きです。私の義理の妹は日本人でニシワキヒロコと申しまして、今、スコットランドに住んでいます。そのためいつも、いつか日本を訪れていたいと思っていたのです。日本とイギリスには障害者がおります。しかし彼らには能力があります。

アクアマックスはインクルージョンという価値に基づいて設立された会社です。精神障害者、身体障害者そして私自身が障害者です。そして学習障害者もいます。アクアマックスの価値、これは参加をするということです。仕事を通して人々をエンパワーメント(社会的力を与え)します。有言実行なのです。すべての人の貢献を評価し、職員に耳を傾けます。私の妻の言うことにも耳を傾けています。自信がないために耳を傾けられることのない人々の声を聞くようにしています。アクアマックス、英国のソーシャル・ファームは1 人ひとりを尊重する会社なのです。私たちは人々を励まし、評価し、ほめて、そして環境を変えていこうとしているのです。チームワークによりともに働き、平等の環境で働くことで、社会におけるギャップをなくしていこうとしているのです。インクルージョンそれは、疎外するのではなく取り込むものです。

アクアマックスのアプローチでは、私は危険を自ら冒しますが、しかし職員を巻き込むことはしません。全員で社会に関わり、役割を果たす、そして学習し、変革していきます。情報を共有し、大学や専門学校にも行きます。職員とともに働きます。職員は共同開発者なのです。人々の能力を十分に引き出します。世間が注目するもの、そして、見えていない部分も大切にしています。良いコミュニケーションとフィードバックの重要さを認識したいと思っています。そして、効率のよさばかりにとらわれすぎないように心がけています。

アクアマックスの生み出したアプローチ、それは人々が深く考えぬき、そして関心、経験、希望を明確にする機会を提供します。アクアマックスのアプローチは、皆のためにというより皆と一緒に変革を実現することです。そして共同作業を行い、パートナーシップを組む形でインクルージョンと相互理解をはぐくみながら、障害者を取り込むことを心がけてきました。私たちのこのようなアプローチは、私の経歴に基づいています。

それは、ごく当たり前の生活を送っていた中での出来事でした。私は水泳選手でした。スコットランドで9番目に速い選手で、私の弟はスイミングのコーチでした。私はドイツ戦でスコットランド代表選手を務めました。また武道の空手のインストラクターも務めました。初段の資格があります。ごく当たり前の生活。私の妻は妊娠しました。私達は幸せでした。妻は以前看護婦をしていました。でも私のために仕事をやめなくてはならなかったのです。2 人子どもがおります。もう1 人はもうすぐ生まれてきます。工場で勤めていた時代がありました。夜勤で1 日12 時間の仕事でした。でも仕事があるだけでも幸せでした。

でも私の生活は変わってしまったのです。1997 年のときです。交通事故に遭ってしまったのです。これは私の過失の事故ではありませんでした。大変な経験でした。将来に大きな障害を催す事故となりました。子どもを世話することもできず、慢性的な痛み、疲れを感じました。原因を突き止め治療方法をみつけることができませんでした。有給休暇を1 年とりました。給与もなし、そして政府の支援もありませんでした。将来もなく、仕事に復帰することもありませんでした。スポーツもやめなくてはなりませんでした。空手を続けることもできなかったのです。一体どうすればよいのかもわかりません。落胆して憂鬱で否定的な考えに見舞われました。医師からも、どのような問題があるのか説明もなく助けはありませんでした。

「行動への声」。うちのめされ、神様に祈り続けました。どうぞ私の命を絶ってくださいと。とても怖かったのです。助けを求めることもできませんでした。妻も看護婦としての仕事をやめなければなりませんでした。落胆、憂鬱、何ら資格もなく仕事もありませんでした。家族をどうやって支えていいのかわかりませんでした。障害者のための大学講座。1998 年から99 年の間に勉強しました。大学が銀行での仕事を職業斡旋所から見つけてくれました。1999 年から2000 年のことです。

「行動への声の拒否」。この仕事は大学が私に見つけてくれたのです。銀行で仕事をするようになりました。でも十分な給料でもなく、価値のある職員だとも認めてもらえませんでした。数を数えるだけの毎日。大切にされていると実感することもありませんでした。

妻のシャーロンが個人的に大変な支援をしてくれました。事故の後、1997 年から2001年まで大変な手助けをしてくれました。民間の病院にかかりました。2000 年に私は線維筋痛だと診断されました。これは筋肉の病です。どんな病気なのかがよくわかりました。イギリスと日本、韓国、アメリカの医師たちのおかげで手術を受けました。

「ファインディング・ニモ」のカクレクマノミです。病院で水槽を見つけました。この水槽が汚れていたのです。水槽は放置されていて、水が濁っていたのでボランティアとして無料で掃除をすることにしました。また学校の水槽も無料で掃除をしました。高齢者のための施設から、水槽の掃除、保守管理の仕事で給料をくださると申し出がありました。これがビジネスにならないだろうかと考えました。クマノミは「ピエロの魚」という意味ですが、自分はひょっとしたらピエロなのだろうか、いやそんなはずはない。私はぜひ境界を越えていきたいと思ったのです。新しい世界に入ろうと決意を固めました。そのときほとんどのお金を使いはたしていました。

英国政府が私に多くの支援をしてくださいました。Gorden Brown 財務相はアメリカのビジネスの考え方を取り入れ、起業のパイロットプログラムを始めました。500 名に対して実施しました。私はそこで起業をするための助成金として3,500 ポンド受け取ったのです。このお金は1 週間で使いきりました。

観賞用の水槽。これでビジネスをやっていこうということを私は考えたわけです。この水槽の中にはサメもいます。私が初めて作りました水槽の1つです。私と私の妻は、この水槽のレンタルと整備をする会社を立ち上げたのです。各地の水槽のあるところへ行って、査定をする、そしてどれくらいの予算でどんなスタイルのどんな色のどんな魚を水槽に入れることができるのか、相談をします。そして見積もりを出します。この見積もりまでは無料です。そして実際にその水槽を設置し、その後のメンテナンスや整備なども行います。また入れ替えの魚、機材、アクセサリも保障します。

これは私がまだ仕事を立ち上げたばかりの写真ですけれども、髪の毛が大分なくなってきているのがわかると思いますけれども、ここで水槽の中をきれいにして余分な石などを取り除きます。水槽、そしてビジネスは温度を保つ必要があり、あまり熱すぎてもいけないわけです。熱帯魚用の水槽は常に温度を見ていなければならないのです。

これは我々アクアマックスの会社の名前が書いてあるバンです。このように移動式の水槽のメンテナンス、レンタルの会社をやっているわけです。いろいろな企業、病院、あるいは入所施設、老人ホーム、学校などにもレンタルしています。テレビ局などにもこういったものを納めております。6 つのテレビ局で仕事をやらせていただきましたし、そこに出入りすることで有名な方々にも会うことができました。そしてさまざまなクライアントがありますので、彼らの情報について開示しないというはっきりした立場をとっております。それから水槽の水に関して環境ポリシーを持っています。

いろいろやってみました、そして結果も出できました。そして敵と味方もわかってきました。どこからビジネスノウハウを得たのでしょうか。英国政府、人のネットワーク、ビジネスの経験を持った人、そして情報を提供してくれる機関がありました。ビジネスのスキルを得るためにはどうしたら良いのでしょうか。そこで大学にも行きました。そして私自身をサポートするにはどうするかわかりました。いろいろな課題がありましたが、それなりの報いもありました。ビジネスの相談にのってくれる他の会社の人に出会うことができ、今では他の会社を支援しながらやっています。

私に与えられたご褒美は何だったのか。山を登るということだったのか、いや、そうではありません。満足。つまり私が家族を養っていき、他の人も支援することができるということです。英国政府の支援が最初にあったことに感謝したいと思います。落ち込んでいるときにはパワーも生まれてきません。そして新たなビジョンも生まれてこないわけです。しかしながら決意をするということ、そして忍耐と勇気を持って取り組むということが、状況を改善していくことにつながります。逆風を恐れてはなりません。タコは追い風ではなく向かい風に乗って高く舞い上がるわけです。あなたが誰か他の人を助ければ、その人はまた他の誰かを助けてくれます。

私のこれまでの旅を振り返ってみますと多くのことを学ぶことができました。私自身について、私の周りにある世界についてです。そして障害者は障害を持たない人に比べて雇用の機会が7 分の1 しかないわけです。そのため政府からの援助に頼っているということが実情です。

復活すること。困難に直面し、私のさまざまな経験を通じて、アクアマックスのアプローチや理念を打ち立てることができました。このアプローチや理念を通じて人々が、自分たちもここに参加をしているのだという意識を持つことが重要です。我々は、どうやったら顧客に対してサービスを提供するために労働力となる人々を育成し、管理できるのでしょうか。

アクアマックスでは多様性というものを重要視しています。さまざまな水槽があり、テレビ局でもその水槽が放映されますし、スカイテレビにも入っていますし、左側は葬儀場に置かれている水槽です。癒しの目的で置かれています。それからこちらは英国の女王の執事であるジェームズ・ヒューイット卿のところにあるものです。多くの著名な方々との取引がありますが、それについては開示できません。さまざまな展示会、テレビ撮影や旅行の撮影および映画撮影のための仕事があり、また休暇でお出かけになる方のための水槽の手入れ、魚を飼育するという仕事もやっています。つまり仕事を持つということが再びできたわけです。我々は個人を尊重し、それぞれの持っているニーズと能力に着目します。製品、サービス以上のものを開発しており、利益だけにとらわれない企業なのです。

これは我々の従業員の写真です。ネオ、ジャレッズ、リヨ、そしてロジャーさんです。この水槽は小児科病棟用のものです。それからテレビ局用の水槽です。これはだいたい2 万ポンドの水槽です。では我々の会社について従業員はどう考えているのか。アクアマックス、ソーシャルファームUK は非常にすばらしい労働環境であると考えています。自分が役に立っているという気持ちを持ち、重要な決定に関わることができ、もっと仕事をしたいと思っています。また仕事と魚が大好きであるという声を従業員から聞きます。

ここにジャレッズの話があるので紹介したいと思います。ご希望の方には後でコピーを差し上げます。ジャレッズさんの個人的なストーリーですけれども、54 歳のジャレットさんはこれまで病院に25 年間いました。仕事の経験は3 年間だけです。彼は、アクアマックスで初めて働いたわけですが、今も働いてくれています。 (*参照「ジャレッズ氏(54 歳)の話」)

私たちの水槽の写真をご覧下さい。ウェブサイトでもご覧いただくことができます。 www.aquamacs.co.ukというのがウェブサイトです。

どうでしょう、私の例、そしてイギリスの例、ソーシャル・ファームのアクアマックスを作ったという経験。もちろんイギリス政府の支援をたくさんいただきました。ビジネスを始めたときにイギリス政府は、アメリカに行くお金も出してくれました。そこで起業家精神を学ぶことができました。起業家精神を教えてくれるナンバーワンのBabson 大学に行くことができました。最もすばらしい大学と言われているハーバード大学の近くにその大学はありました。

私の経験は政府にとってもよかったと思います。私は交通事故の後、無一文のところから始めました。そして政府は支援をしてくれたわけですが、ここ12 ヶ月、私のビジネスは100 万ポンドに成長してきました。アクアマックスのソーシャル・ファームは今フランチャイズをしているのですけれども、これは利益目的ではありません。アクアマックス有限会社は20 名ほどの従業員がいます。これからの計画では、この2 年で150 ?200 人と売り上げも大幅に増やしていきたいと思っております。そして新たに台頭する労働勢力として貢献していきたいと思っています。

11 カ国を訪れたことがありますが日本のような国はありませんでした。日本の皆さまは世界で一番仕事に対するプロ意識が高く、親切で、誠実で、そして我々を非常に温かく迎えてくれる方々ばかりです。最後までお聞きくださってありがとうございます。皆さんが私の話を楽しんでくださいましたら幸いです。さあ、働きに行きましょう。