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平成18 年度 DAISY を中心とした情報支援普及啓発事業
障害者への情報支援普及・啓発シンポジウム
-DAISY を中心として-

【基調講演】「視覚障害からより広範な障害分野への支援技術に進化を続ける D A I S Yの広がり、国際的な開発動向と展望も含めて」

講演を行う河村宏氏の写真

河村宏 ( 国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所 障害福祉研究部長)

皆さん、おはようございます。河村です。
本日は、それぞれの分野からD A I S Yについての具体的なお話がありますので、私の基調講演では、概括的な、主に歴史を中心に何のために何の問題を解決するためにD A I S Yが開発され、どのような方向へ向かおうとしているのか、それをD A I S YコンソーシアムというD A I S Y 規格を開発し管理している団体の動きを中心に申し上げたいと思います。

本日、私お手元に配りました資料は、大半の部分が国立国会図書館のほうで2 0 0 3 年に発行した小冊子の中の、私が担当した部分から抜き出したものでございます。実は、そこに細かい経過的なものがほぼ尽くされておりますので、後ほどご参考にしていただければという趣旨です。本日、これを読んでいただくことが、私のお話の前提になるという意味ではございません。後ほどお読みいただければよろしいかと考えております。

まず、私のお話は、最初、D A I S Y は誰が何のために開発したのかということを、これはさまざまな立場でD A I S Yのこれまでの開発に携わった方がおられますので、それぞれ見方が違うと思います。私自身の見方で見るとこういうふうになる、ということをまずお話申し上げたいと思います。

1986年、今から2 0 年前の8月に東京で国際図書館連盟の大会が開かれました。国際図書館連盟は7 0 回ほどこれまで大会を開いているのですが、アジアで初めて開かれた大会。それで、日本では唯一開かれた大会がこの1986年の大会です。

このときに、当時日本点字図書館の副館長をされておりました直居様、それから大阪のライトハウスの、盲人情報文化センターの川越様、そして私等が中心となりまして、一つシンポジウムをやりました。
そのシンポジウムのテーマは、デジタル録音図書をめぐる、これから視覚障害者のための録音図書はどうあるべきかというシンポジウムでした。対象となっておりましたのはC D、今の音楽C Dですね、それからDAT、デジタルオーディオテープです。この2 つが非常に機能的に優れている。是非これで録音図書を作れないのだろうか、というのがテーマでした。結論は、やめておいたほうがいい、というものでした。

これは当時の日本の電子技術工業会から、松下電器のご担当の方に参加していただきまして、本当に詳しい技術的な情報を提供していただきました。その上で各国から参加した人が意見を交わして、最終的に出た結論は、もうちょっと待ったほうがいいというものでした。
なぜかと申しますと、結局高速にダビングする機械が当時なかったんですね。C D 、これは当時ですと、作るのに何億円もかけて機械を買うか、あるいは1回について1万枚くらい焼く、そういう契約をするかしないと作れないというものだったんですね。とてもではないけれども、それで配るということはできない。それからD AT、これはデジタル・テープなんですね。1対1のスピードでしかコピーができない、というものでした。どうやっても、流通させるためのところはその技術を使えない。だからマスターは作れるかもしれない。でも、それをエンドユーザーの手にするのは無理だということで、それが国際的な結論でした。

ただ、もう一つ重要な結論がありました。あと10 年から2 0 年で、カセットテープは世の中から消えてなくなる。少なくとも、先進国のマーケットからは消える。そしてその頃まだ、当時ですよ、その頃まだカセットが手に入るのは中国かインド。10 年後、2 0 年後でも手に入るのは中国かインドであろう、というような予測がされておりました。いつか、かつてオープンリールテープがなくなったときのように、カセットテープもなくなるんだ。そのことを前提に、これからの録音図書を考えなければいけない、というのが結論でした。

それから世界中で、じゃあどうしようかということでいろんな模索があり、19 9 0 年代に入ってやっとパソコンが力を持って、それでスウェーデンでは今のD A I S Yの発端になるシステムが、パソコンで作ってパソコンで聞く、そういう学生のための録音図書が作れないか。そのときに一緒に考えられていたのは、スクリーン・リーディングソフトと組み合わせて、テキストがあればそれが読める。そしてオーディオも必要、というものでした。

日本では、この後、シンポジウムのコーディネーターを務められます寺島さんが、当時厚生労働省の専門官をしていらした1993 ~1994年頃に、シナノケンシですね。当時圧縮技術のうえでは最先端を行っていましたシナノケンシに、プレイヤーを作ってみないかという打診をされました。それでシナノケンシの方が、当時私が国際図書館連盟の視覚障害者へのサービスを担当する委員会の議長をしておりましたので、東大に勤めておりました頃の私のところに、どうしたものかということでご相談にみえたわけです。
私は即座に、デジタル技術を使うときには、国際標準を作る、そういうことでやらないと、今カセットテープで世界中で共通で作られているものがなんとか交換できているのだけれども、それがデジタル技術でばらばらになったら、せっかくみんなで交換しながら世界中で共通で利用しているものが使えなくなってしまう。だから、国際標準をぜひ追究してほしい、と申し上げました。

ちょうどスウェーデンと、日本のシナノケンシとが全く別々にそれぞれの立場で、新しいデジタル技術を使った録音図書を作ろうという動きを始めておりまして、そのときにカナダのトロントで、国際的なデジタル録音図書のフォーマットを考えるという会議がございました。私もそこへ行きました。そのときにシナノケンシのほうで、モックアップでまだ動かないのですけれどデザインとしてできあがっている機械を参考に持っていきました。スウェーデンからはD A I S Yのシステムをそこでデモンストレーションするために参加してきておりました。そして、その会議でお互いにそういうものを発表しようとしたら、主催はカナダなのですが、実質的にそれを牛耳っていたアメリカの議会図書館のほうから、それを紹介するのはまかりならぬという話がありました「。え、なんで?」、私はびっくりしました。そして、そこに参加してきた世界中の参加者がみんなびっくりしていました。アメリカの議会図書館のスタッフもびっくりしていました。なんで情報交換がいけないの?ということでびっくりして、じゃあプレゼンテーションがダメなら会場の隅に置いておいて見られるようにしようということで置いておいたら、黒山の人だかりで、みんなやっぱりその情報が欲しいんだ、ということがよくわかりました。

やがて会議がだんだん進んでいくうちに、一つ明らかになりました。議会図書館は、今後10年間は今やっているカセットを変えたくない、という自分たちの方針がある。だから、すぐにでも使えるようなデジタル録音機のモックアップを見せられるのは迷惑である、ということが本当の趣旨であるということが透けて見えてきました。公式にそういう声明はありませんでしたけれども、それが透けて見えてきました。
ところがその時点で、世界中でもうデジタル化を進めるんだという国がいくつもあったんです。スウェーデンも日本もそういう動きがあって、他にデンマークも、もう予算も取っちゃった。みんなが心配したのは、でもフォーマットを統一してないよね、このまま進んだらどうなっちゃうんだろう、ということだったんです。

そこで、大きな決断が必要になりました。アメリカが参加する、しないに関わらず、これはフォーマットの統一をしなければいけない。そうしないと、今を逃すと永遠に、フォーマットというのは1回決めちゃうとあとはなかなか変えられないんですね、永遠に世界中で共通して録音図書をデジタルの技術を使いながら共有していくというチャンスは失われてしまう。これは、今その場に居合わせた人たちの歴史的な責任ではないのか、ということで、私の資料の2ページ目に年表的に書いてあるのですが、19 9 5 年にこのトロント会議の中で、緊急に集まったI F L A の役員の間で、じゃあ大急ぎでI F L Aとして国際標準の開発をしよう、それをもって国際的な統一を図るという責任を果たそう、ということになりました。そこから始まったのが、それぞれてんでばらばらにスタートしていて、当時は特許権争いをするというのが当然でしたから、それぞれが特許を目指して競争的に開発されているグループの間の調整という仕事でした。

幸い、スウェーデンの国立点字録音図書館、T P Bというところですが、そこと日本では全国視覚障害者情報提供施設協議会、当時「全視情協」と言っている団体で、今は名前がちょっと変わっておりますけれど、その応援を得て、シナノケンシとラビリンテンの間で、大きな話し合いを2 度持ちまして、双方が開かれた国際標準を開発することに協力する、それについては、自社の特許に囲い込むということはしない、という大きな合意をしてもらいました。それをベースにその後、国際標準化の努力が始まり、幸い当時の厚生省のテクノエイド協会というところから助成金をいただくことができまして、それでシナノケンシに世界中に配る5 0 0 台の、試験用の試作プレイヤーを作ってもらいました。この5 0 0 台のプレイヤーを、普通はやらないのですけれども、世界中のエンドユーザーですね、最終的には1, 0 0 0 人の視覚障害者の方に協力していただきましたが、3 2か国、1, 0 0 0 人の方々に、それぞれの自分が読める言語の本を世界中の点字図書館の協力を得て作りまして、それで聞いてもらって評価をしました。どうだろう、これでいいですか、という評価をしました。
回答は、文句たらたらの回答がたくさんきました。ほとんどずっと質問の事項、文句です。これはもっとこうじゃないといかん、というのがいっぱいありました。最後に、これからどういうふうに進めたらいいですか、という質問がありました。ほとんどが「、これの方向で進めるべきだ」と。非常に極端な回答なのですけれども、全体として一つ一つのところはもっと良くしてもらいたい。でも、最終的に、この方向で進めるべきだという回答をもらいました。それに力を得まして、国際図書館連盟が19 9 7 年にコペンハーゲンで大会をやりまして、そのときに期限を切っておりましたから、そのときに「じゃあ、これでいきますね。何か他に候補はありますか」、ない。これでいいんじゃないかということになって、今日のD A I S Yに至るわけです。

その中で、アメリカの、10 年間はデジタル化しないんだと言っていた議会図書館というところは入りませんでしたが、教科書、教材を提供していたR e c o r d i n g f o r t h e B l i n d &D y s l e x i c 、R F B Dというところが参加しました。それでアメリカも参加してスタートになったわけです。それが、もともとの、D A I S Y はどのような意図を持って作ったのかという、一番重要なところだと思います。

実際にD A I S Y 規格として決めたのは、これで行こうというふうに決めた機能としてのD A I S Y、いろいろな動作の仕方とか、そういうもののD A I S Yを決めた後、1年かかっています。実際にそれを技術仕様として決めるのに1年かかっています。なぜ1年もかかったのか。それはですね、D A I S Yの規格は非常に重要な発想をもって作っているからです。全く新しいパーツは作らない。既に広く使われている標準技術だけを集めて、そして自分たちの必要な機能を組み立てる。それがD A I S Y 規格である、という大原則を持っています。その既に使われている規格というのをどこに求めるかというところで、D A I S Yの場合はウェブの標準技術であるW 3 C の標準規格を使う、というふうに考えています。

何に一番苦労して1年もかかっちゃったのかというのはですね、今日皆さんがマルチメディアのD A I S Yというものを見るときに、よく見ます、テキストがハイライト表示されていて音声とシンクロするという技術があります。このシンクロする技術を解決するために、W 3 Cに当時はまだなかったS M I Lという作業部会がありまして、このS M I L が完成するのを待ったんです。つまり、自分たちだけのものは作らないという理由はそこにあるんです。W 3 CとしてS M I Lをちゃんと作ると、それはW 3 Cが管理していきます。S M I L 技術が進歩するにつれて、それをモジュールとして持っているD A I S Y 技術も進歩していきます。それを狙ったために、まずS M I L のほうにD A I S Yコンソーシアムとしては大きな力を割いて、S M I Lを完成し、それができあがるのを待ってD A I S Yの規格を決めた、ということで1年かかったんです。

その後、さまざまなアプリケーションができて、今日これから皆さんのほうでご発表していただけると思うのですが、それではそのD A I S Yコンソーシアムはこの後何を目指しているのかということを、その発端のところに沿ってまとめとして申し上げますと、S M I Lそのものが、私も今参加しているのですが、19 9 8 年のS M I L 第1版というものから、今年の5月くらいまでにS M I L 第3 版というものにかわります。改定されます。S M I L の3になることによって、世の中に動画がですね、携帯電話からデジタルテレビまで、動画でアクセシブルなと言いますか、動画なんだけれども、目の見えない方にも、あるいは耳の聞こえない方にもアクセスできる、そういう動画の配信というのができるような、そういう開発を今やっております。それがS M I L の3 . 0 です。
このS M I L の3 . 0 ができあがった時点で、D A I S Yも大きく改定をするということを今計画しております。それは、D A I S Yの中に動画を取り込む、その動画というのは視覚障害の方も、あるいは盲聾二重障害の方もアクセスできる動画である。そして、そのことによって手話を使う方たちが、自分たちの言語である手話をD A I S Yのプレゼンテーションの中に入れることができる。あるいは、書く文字を持たない言語の方たちも、その動画も含めて使うことができるようになる。そしてそれがあらゆるインターネット、放送、電子出版、そして携帯電話への配信等を含めて生活のあらゆる場面に入っていくことができる。そこにD A I S Yの技術が進化をしていく、という最初の視覚障害者のための技術というものから、情報ができた途端に視覚障害者もアクセスできる、他のすべての障害を持つ方もアクセスできる、そういったD A I S Yに進化していくということを、今スケジュールの中に入れて進めているところです。

いよいよ、時間がもうオーバーして早く終わってくださいということですので、これで終わりますけれども、そういう流れの中に今D A I S Yの開発がありまして、これから出版、あるいは電子的に情報を発信するところからD A I S Yを使っていく、そしてさらに既に紙で印刷されているところにもそれを変換するのにD A I S Yを使っていくという、幅広いD A I S Yの新しい役割というのが出ていくというふうに考えているところであります。

画面のほうにはD A I S Yコンソーシアムのウェブサイトを映しておりますが、D A I S Yコンソーシアムのウェブサイトにはそういった動きが、かなり技術的な用語が多いので恐縮なのですけれども、刻々と出ておりますので是非そういったものをご参考にしながら、これからD A I S Yについて是非発展させるよう、ご協力をいただければと思います。