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教育における合理的配慮

「障害者の権利に関する条約」が2014年1月の批准により、同年2月19日に同条約が、日本において効力を発生することとなりました。

ここでは「Q&A 障害者差別解消法」 (野村茂樹・池原毅和【編】,生活書院)より「第4章 教育における合理的配慮」(大谷恭子・柳原由比・山田恵太)のQ27、Q28をご紹介します。

書籍表紙


Q27 人より書くことに時間がかかるので試験時間の延長を認めてほしいのですが、不公平だと認めてくれません。

Q28 プリントや試験問題にルビふりをしてもらうことはできますか。その場合、成績評価はどうなりますか。 

Q27

人より書くことに時間がかかるので試験時間の延長を認めてほしいのですが、不公平だと認めてくれません。 

私は、現在中学3年生です。私は、腕に障害があり、文字を書くのに時間がかかってしまいます。そのため、定期試験などで、試験時間内で全ての回答を書き終わることができず、いつも悪い点数しかとれません。私は、ちゃんと評価してもらえるよう、試験時間を延長してもらいたいと考えています。このようなことは認めてもらえるでしょうか。

 

A:

試験時間の延長は、合理的配慮として認められるべきです。

 

 障害特性により、文字を書くことなどに時間がかかる方がいます。問題を理解しているのに、障害によって表記に時間がかかり、本設問のように、試験時間内に回答を書き終わることができず、低い点数しかとれないこととなってしまうのです。

 このような場合には、試験時間の延長が、本人に対する「合理的配慮」の1つとして、認められるべきです。

 試験における合理的配慮については、「テスト・アコモデーション」などとも言われています。テスト等において、子どもが本来もっている能力が、障害によって十分に発揮できていない可能性がある場合に、テスト等の内容、様式、実施方法を変更することで公平かつ妥当な評価実現を目指すことをいいます。

 このような合理的配慮がなされなければ、本人の能力について、公平、妥当な評価を得られないこととなり、明らかに不当です。

 このケースでも、公平、妥当な評価を保障するために、学校は合理的配慮として試験時間の延長を実施するべきです。また、書字自体が困難な場合には、パソコンを使用した回答なども認められるべきです。そして、このような合理的配慮であれば、実施する学校側にとって、「過度な負担」とはいえないでしょう。

 高校受験ではありませんが、たとえば、大学入試のセンター試験でも、障害があることへの配慮事項として、試験の時間を1.3倍〜1.5倍(障害特性や科目により異なる)に延長する制度などを用意しています。しかし、書字にすごく時間がかかる方の試験時間の延長として1.3倍〜1.5倍が適当なのかについては疑問もあります。

 また、試験における合理的配慮は、試験時間の延長だけに留まりません。別室での受験(ただし、本人が同室での受験を希望しているにもかかわらず、学校が別室での受験を押しつけることは「不当な差別的扱い」となる場合があります)、試験問題の読み上げ、点字試験など、その方の障害に応じた様々な合理的配慮の内容が考えられると思います。また、障害特性に応じて、自由記述の問題を選択式の問題に変更したり、逆に、選択式の問題を自由記述式に変更したりすることも柔軟に行われるべきです。なお、このような合理的配慮を受けたことを理由として、試験結果を学習評価の対象から除外したり、評価に差を付けることは、「不当な差別的取扱い」に当たり、許されません。

 では、合理的配慮を求める場合には、どうすればよいでしょうか。まずは、本人や保護者が、学校に対し、合理的配慮としてどのようなものが必要なのかを求めることから始まります。学校側は、その求めに応じて、合理的配慮を提供する義務を負うことになるのです。そして、本人、保護者、学校側の話合いを行い、合理的配慮の具体的内容を決めていくことになります。そして、ここで折り合いがつかない場合には、第三者が介在した形で意見の調整をしていくことになります。この場合の第三者として想定されるのは、障害者差別解消支援地域協議会などです。
(山田恵太弁護士)

 

Q28

プリントや試験問題にルビふりをしてもらうことはできますか。その場合、成績評価はどうなりますか。

私の子どもは、知的障害があります。現在、中学2年生なのですが、漢字を覚えることができません。そのため、普段の授業プリントや、定期試験の問題が読めないことが多く困っています。このような場合に、プリントや試験問題にルビふりをしてもらうことはできるでしょうか。また成績はどうなるでしょうか。

 

A:
合理的配慮の1つとして、プリントや問題へのルビふりがされるべきです。そして、ルビふりをしたことで不利益な評価をされてはなりません。

 

 このケースでは、知的障害のある子が、漢字を覚えられず、それによって授業で配られるプリントや試験の時の試験問題を読めていません。このような場合には、合理的配慮の1つとして、ルビふりをすることが考えられます。学校としては、その子が授業および試験に参加できるよう、このような合理的配慮の例として、「知的発達の遅れにより学習内容の習得が困難な児童生徒等に対し、理解の程度に応じて、視覚的に分かりやすい教材を用意すること。」があげられています。

 しかし、知的障害の子で漢字が覚えられないというような場合、単にルビふりをしただけでは試験の点数が伸びず、学習評価自体にも影響が出てくる可能性が高いでしょう。それでは、知的障害の子は障害があるから、学習評価が常に低くても仕方がないのでしょうか。

 これは誤った考えです。知的障害の子であっても、他の子と同じように進級や卒業ができるような配慮が必要です。その子の障害特性に応じて学習内容を変更し、その評価も変化させていくことが、合理的配慮として求められます。一律の基準で評価するのではなく、その子が以前とくらべてどのように成長したかという点を捉えた相対評価をしていくべきです。

 さきほどの文部科学省の対応指針においても、高等教育段階における合理的配慮の例として、「情報保障、コミュニケーション上の配慮、公平な試験、成績評価などにおける配慮を行うこと。」とされており、成績評価に対する配慮が求められています。高等教育段階でもこのように言及されている以上、義務教育段階でも当然、成績評価に関し、その子の障害特性に応じた合理的配慮がなされなければなりません。

 障害者制度改革推進会議差別禁止部会における、以下の棟居部会長の発言(要約)は、この問題を考えるにあたって、大いに参考にすべきです。

「憲法26条の『その能力に応じて』の『その』とは、パーソナルな個人であり、『等しく教育を受ける』とは、決して到達度ではなく教育の機会を等しく実質的に与えられたと考えると、その子どもなりに教育効果が上がればこの26条の教育を受ける権利を十分に満たされているということになるはずです。少なくとも従来、いわば横一列の教育こそが憲法の保障する教育だと理解され、運用されてきたとすれば、権利条約の考え方は、個別の一人ずつを見てケアをして、そしてインクルーシブに取り込んでいくということですから、憲法の読み方としても、その能力に応じてというのを、点数の高い順にという従来の考え方ではなく、むしろいろいろな点数の、いろいろな特徴の、いろいろな個性の子が、それぞれ学べればいい、同じ場所で学ぶのだというとらえ直しがあり得るのではないでしょうか。」(山田恵太弁護士)