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列島縦断ネットワーキング

[大阪]

『障害者の社会参加と自己実現』を支援するセミナーを開催して

野村龍太郎

●はじめに

 定年の私に妻はかく問うた。「明日から貴方はどう生きる。」

 我が母は父に「明日からどうして食べる。」

 言葉はもっと洗練されていたが、このような内容の短歌を最近読んだことがある。昭和50年代、一握りの勇気のある障害者達が、車いすマラソン等思いもよらぬ時代に歩道の段差を乗り越えて「昨日、堺から新大阪まで走ってきた」と言ったことを思い出す。

 先の「どう生きる」と問われる退職者と、ただ馬力で走り抜いた障害者に共通して感じられるものは「食べることから開放された」人間に共通する「生きることの質」とでもいうべきものを求める人の姿ではないかと思う。

 20年来お付き合い願っている大阪の障害者も、今後は今まで以上にこの生きることの質の問題に直面することが増えるのではないかと感じている。そんな私に、何か文化的な催しを開催する仕事が回ってきた。

●その企画

 障害者向けの催しであるが故、なおのこと障害者の文化ではなく、文化活動への障害者の参加という趣旨を実現したかった。障害者の社会参加が進展しつつあるとはいえ、まだまだ多くの障害者は市中のカルチャー・センターに参加するのに勇気がいることと思う。そんなやさしい障害者に文化講座の内容を垣間見てもらい「これならお金を払って講座に参加してもいいかな?」と気持ちが揺れる、そんなきっかけになればこのセミナーの意図は達成される、とスタッフの意志統一をしての準備であった。

 趣旨を反映させるためには、障害者がお客さんになっては意味がないので、ワーキングセミナーとして講師と一緒に活動する形式をとること。そしてできるだけ、講師もその道のプロが望ましいこと。これが企画段階で私がこだわった点である。しかし、1日のセミナーで多様な文化活動の講座を並べることには当然限界もあり、四つの分科会形式に落ち着いた。

●開催の様子

 平成8年5月17日大阪国際交流センターでの、『社会参加と自己実現』を支援するセミナーは、好天に恵まれて開催された。

 当日は、飛び込み参加者も多く、府下障害者施設の利用者を中心に約300名の障害者とその介助者、加えて府下の障害福祉行政関係者も、前列に身を乗り出す障害者の肩ごしに、あるいは分け入っての参加となった。

 まず、記念講演として、俳優の牟田悌三さんを迎え、「人生って、支えあいっこ」の演題で一日が始まった。テレビ等でお馴染みの牟田さんが、世田谷でボランティア活動を長年されていることも多くの人が初めて知ったわけであるが、ボランティア活動を通じて、ご自身の生き方を振り返られる結果になったことや、今は人と環境のノーマライゼーションの観点から環境問題にも取り組んでおられること、そして最後に福祉活動は「文化活動」であり、座して情報を待つよりも出掛けよう、との呼びかけが次に予定されているセッションへの導入ともなり、盛大な拍手で講演は終了した。

 その後、次の各セッションごとに分かれて、実技を交えた講座が始まった。

① インターネットにチャレンジ

② 音楽を楽しむ

③ もっと絵がすきになる

④ やさしい旅がしたい

 話題のインターネットは、パソコン10台を50人余りの障害者が取り囲む形で、プロップステーション代表の竹中ナミさんや協力いただいた富士通のインストラクターの指導に従って進められていった。初めて触れるインターネットに興味津々で、一時のネットサーフィンを楽しんだ。

 音楽の部門は、関西二期会の森本昌之さんとその仲間のリードでピアノとその場での即製楽器を使用した音楽ハプニング講座であった。

 絵画は、わざわざ小豆島から「子どもごころ美術館」主宰の北條カツ昭さんが駆けつけてこられ、「へたでいい。へたがいい」を合言葉に、一人ひとりを励まして、乗りに乗せ、画用紙がまさに心の遊び場であるといったことを参加者に体験させてくださった。

 最後に旅がテーマのセッションは、JTB経営改革部ノーマライゼーション推進担当マネージャーの草薙威一郎さんのビデオを交えての上手な旅の仕方の講座である。旅に出るのは、贅沢なことではなく、最高のリハビリテーションというまとめが印象に残った。

●自己実現へ向けて

 委託先の熱心な業者から、全国でもこの種の企画を行政が行ったことは、あまりないと聞かされた。うれしい反面なぜそうなのかが分かるような気がする。文化振興であるとか芸術奨励という言葉を具体的な企画にするのは、なかなか難しいことだと実感したからである。なぜなら、これらの分野が百人百様で、突き詰めれば、O・ヘンリーの『最後の一葉』の世界に通じるものであるからかも知れない。しかし、セミナーを終えた今、1つのヒントが残った。実施した企画はそれが情報の提供の一つの方法であったということである。百人の障害者が、百様の自己実現の姿を求められるよう、市中のさまざまな文化・芸術活動の情報が提供されるような情報ガイドヘルパーが必要である。私は、今後はそのような情報と、一人ひとりの市井の障害者を結びつけるお手伝いをすることがこの分野で大切なことなのではないかと考えている。

(のむらりょうたろう 大阪府福祉部障害福祉課)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年9月号(第16巻 通巻182号) 65頁~67頁