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文学にみる障害者像

スウィフト著『ガリヴァー旅行記』

―ラグナグ国の「不死人間」―

高橋正雄

 「ロビンソン・クルーソー」に遅れること7年の1726年に発表された『ガリヴァー旅行記』(注1)の第3篇には、空飛ぶ島ラピュータや日本への渡航記とともに、ラグナグ国の記録が収められているが、この国でガリヴァーが遭遇する「不死人間」には、痴呆性老人を思わせる特徴がある。
 ラグナグ国を訪れたガリヴァーは、この国では稀に、決して死ぬことのない「不死人間」が生まれると聞かされる。そして、ガリヴァーは、彼らこそ人類共通の願いである不老不死の願いを叶えた「世界に例のない幸福な人々」だと、羨ましく思うのである。
 ところが、日頃「不死人間」の姿を、見せつけられているラグナグ国の人々は、この「不死人間」を軽蔑し、むしろ憎んでさえいると言う。怪訝に思ったガリヴァーが、その理由を尋ねると、ラグナグ国の人々は、問題は「老齢ともなれば必ずつき纏うさまざまな不幸のさなかにあって、長寿をどう生き抜いてゆくか」であるとして、次のように「不死人間」のことを描写するのである。
 「彼らはおよそ30歳くらいまでは、通常、起居動作すべての点で普通の人間と同じように生活する。しかし、その年齢をこすと次第に憂鬱になり意気消沈し始め」、80歳ともなれば、「老人につきもののあらゆる愚かしさや脆さを暴露」し、「頑固で、気難しくて、貪慾で、不機嫌で、愚痴っぽくて、おしゃべりになる」。そればかりではない。彼らは、「若い時とか壮年時代に見たり聞いたりしたこと以外には、何一つ覚えていない」上に、対人関係もぎくしゃくして、「人間本来の暖かい愛情が分からなくなる」。さらに90歳に達すると、味も分からず、手に入るものなら何でも、飲み、食うだけで、「何か話していても、その途中でいろんな物のごく当たり前の呼び名ばかりでなく、人の名前も、それも親友や親戚の名前さえも、忘れてしまう」。「記憶力が全然役に立たないので、僅か1つの文章も、初めから終わりまでまともに読み通せ」ず「会話らしい会話を、近所の普通の人間と交わすこともできなくなる」。
 1番ましな連中は、むしろ「すっかり耄碌して昔のことを全部忘れてしまっている者たち」である。彼らは「他の仲間と違って、変な嫌らしさがあまりないので、みんなの同情や援助を比較的多くえられる」のである。
 そして、ラグナグ国では、80になると、法的には死んだ者と見なされ、「生活費として僅かな一部を残して、その他の財産はすべて跡取りが相続」し、「貧乏人は公費によって養われる」。また、「この年齢以降、信用や利益にかかわる仕事には一切関係する資格がないものとされ、土地を購入することも、貸借契約を結ぶこともできなくなる」と言う。
 実際、この「不死人間」は、ガリヴァーを紹介されて、大変な旅行家で世界中を見てきた人だと聞かされても、「好奇心を唆られる様子もなく、質問1つしなかった」のであり、結局、ガリヴァーも「この不死人間の姿ほど恐ろしいものを、私はまだ見たことはない」と結論するに至るのである。
 以上が、『ガリヴァー旅行記』に描かれている「不死人間」の姿である。ここでは、「不死人間」を高齢者の特徴を体現したものとして論じ、だから長生きしても人間は悲惨であるという議論が展開されているが、しかし、ここに描かれているのは、高齢者一般の姿というよりは、むしろ痴呆性老人の特徴と言うべきである。
 即ち、記憶障害や感情・意欲の障害、興味・関心の低下、性格変化、対人障害、異食など「不死人間」の特徴として挙げられているものの多くは、その進行性の経過や初期の抑うつ傾向とともに、痴呆性老人の症状そのものなのである。特に、現在よりも過去のほうが記憶が保たれているとか、痴呆が進み切ってしまったほうが周囲との関係がよくなる場合があるといった指摘は、臨床的にも正確な記述であるし、また、そうした「不死人間」に対して、ラグナグ国の人々が、法的制限を加え、禁治産的な処置をとっているあたりには、今日の痴呆性老人をめぐる人権問題を考えさせるものがある。
 このように、『ガリヴァー旅行記』には、シェイクスピアの『リア王』(注2)同様、痴呆性老人を描いた先駆的な文学という側面がある。ただ、『ガリヴァー旅行記』の場合、それを病的なものではなく、高齢者一般の特徴と捉えているために、老いや長寿というものに対して必要以上の不安や嫌悪を強調するようになっているのである。
 人間は、年をとっても、痴呆にならなければ、ここで言われているような「さまざまな不幸」を経験しないですむし、また、たとえ痴呆になったとしても、本人の状態や周囲の対応次第では、「惨憺たる情況」に陥らずにすむ。だが、今日の高齢化社会をめぐる議論でも、高齢者一般と痴呆性老人の特徴を混同しているために、あまりに悲観的な老人論を展開している場合が少なくない。その意味では、『ガリヴァー旅行記』は、今日の老人や痴呆をめぐるさまざまな誤解を先取りしている作品という見方もできるのである。
 なお、59歳でこの作品を発表したスウィフトは、それからおよそ20年後の1745年、自ら痴呆と思われる状態に陥って、ダブリンの精神病院で78年の生涯を閉じた。彼の亡くなった精神病院は、彼が生前、多額の設立資金を寄付していた病院だったという(注3)。

(たかはしまさお 筑波大学心身障害学系)

〈注・参考文献〉

(1) スウィフト(平井正穂訳)『ガリヴァー旅行記』岩波書店、1983。
(2) 高橋正雄「『リア王』にみる痴呆性老人への対応」看護学雑誌58巻5号、446~448頁、1994。
(3) 中野好夫『スウィフト考』岩波書店、1969。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年8月号(第17巻 通巻193号)38頁・39頁