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障害基礎年金と国籍

松本晶行

 塩見日出さんが今年1月20日に68歳で亡くなられた。第1次、第2次塩見訴訟の原告として20年間の裁判を闘った方である。
 以下、塩見訴訟とそして年金制度になお残されている国籍の壁について紹介したい。
 塩見さんは全盲の鍼灸・マッサージ師。戦前の日本で朝鮮人の両親の下に生まれ、2歳の時にハシカで失明した。家が貧しくて学校に行けず、大阪市立盲学校に入学したのは昭和29年(1954年)の春、20歳の時だった。その後、昭和42年(1967年)に日本人の男性と結婚、昭和45年(1970年)に日本に帰化した。
 そして、帰化で日本国民となったので、障害福祉年金(今の基礎年金)の受給手続をしたが、却下された。当時の法律は、障害認定日(塩見さんの障害は法制定以前なので昭和34年11月1日の制度発足)に日本国籍にあることを要件としていたのである。
 塩見さんは、過去の国籍を理由に国民の権利を否定するのは法の下の平等に反する、と訴訟を提起した。第1次塩見訴訟である。残念ながら、大阪地裁から最高裁まで、裁判所は、立法裁量の範囲内で違憲とは言えない、と塩見さんの訴えを棄却した。
 昭和57年(1982年)に難民条約批准による国民年金法改正があり、国籍要件を定めた条文は全面削除された。外国人でも福祉年金が受給できるようになったのである。
 塩見さんは、当然、日本国民の自分も受給できるようになったと思った。しかし、申請は今度も却下された。改正前の法律で支給不可となる場合は「なお従前の例による」とする付則が制定されたからである。
 この改正付則の違憲性を訴えたのが第2次塩見訴訟。大阪地裁、大阪高裁は第1次訴訟判決と同じ理由で棄却した。そして、平成8年(1996年)8月の上告を受けた最高裁は、平成13年(2001年)3月13日、同じ理由で上告棄却の判決を言い渡した。
 塩見さんは、人生の後半33年間を日本国民として過ごし、21年間を裁判で闘って21世紀を迎えたが、ついに障害福祉年金(基礎年金)を手にすることはできなかった。
 年金制度に残る国籍の壁は厚かったのである。1日も早く完全撤廃が実現し、塩見さんの墓前でその報告をしたいと思う。

(まつもとまさゆき 弁護士)