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障害者施策の動向と今後の展望を探る

亀山幸吉

1 はじめに

 わが国は、戦後、憲法によって、生存権を中心に人権保障の確立をめざし、社会保障、社会福祉の公的責任論のもとに進められてきたものと思います。
 しかし、21世紀を見据えた段階で、わが国は社会福祉基礎構造改革を中核に福祉=サービス論を展開し、自己責任論によって、自らの意思によりサービスの自己選択権の保障論を前面に掲げ、従来の公的責任に基づいて推進してきた措置制度は行政主導型とし、利用者本位、利用者との対等性等に反するものとして、それまでの公的責任としての行政の立場性は後退しつつあるような印象を受けます。そのような趣旨の社会福祉基礎構造改革路線は、まず高齢者介護分野において、自己責任論によるサービスの利用(購入と言ってもいいかもしれない)化を図り、社会制度の面はドイツが考えた介護保険制度を導入し、従来の措置型公助方式から加入者によって制度の維持を図る「共助」方式、責任論を制度運営の基本的性格にしました。
 このようなわが国の福祉における動向は、戦後の国際的福祉の潮流の影響も大きいものと言わなければなりません。戦後処理の段階におけるGHQの福祉施策として「公的責任原則等の三原則」もそうですが、北欧の福祉における公的責任論による公助方式、ドイツを中心に保険による共助方式、個人責任論による自助方式のアメリカ等のおおむね、三つのスタイルがあり、わが国は戦後、福祉国家としての北欧をめざし、介護保障に関してはドイツの保険方式を採用しました。また民間企業も含め「民間活力の導入」としてサービスの多様化を図りつつ、市場原理の導入による競争原理を福祉の世界に導入してきました。従来の措置による福祉経営の安定性の確保は必定とは言えなくなりました。
 そして障害者福祉施策においても、支援費制度の導入により、措置制度から利用制度への移行を図りましたが、必ずしもサービスの利用選択が有効に機能しているとは言いがたい現実があります。
 今後、介護保険との合体論の是非も視野に入れつつ、障害者施策の展開について考えてみたいと思います。

2 障害者施策におけるわが国の歴史的経緯と現段階

 《1 はじめに》でも戦後のわが国の障害者施策の歴史的経緯の一端について若干、触れてみましたが、GHQ等の指導、国際的動向がわが国の障害者施策に大きな影響を与えてきたものと言えます。第二次世界大戦が終わり、国際的には平和、民主制を指向しつつ、社会体制が社会主義国家の台頭に危機意識を持った資本主義国家群は、労働者階級に対して社会保障制度の国家保障を提唱し、体制の優位性を国民にアピールする時代がありました。
 またわが国は戦後処理として、家庭崩壊した児童の健全育成と傷痍軍人の社会的支援が緊急課題としてあり、それに関連する法整備、システムの確立、財政支援等は、ほぼ公的責任によって展開されました。
 しかし、戦後処理的要素が強く、国民的意識変革による民主制とは言えず、障害者児に対する人間的評価は低く、労働能力が社会の人間評価として罷(まか)り通り、障害者の多くは一般国民より劣等処遇、施設に隔離収容し、社会との断絶論がまだ克服されない状況にありました。
 障害者施設の多くは、社会治安的対策の要素もあって、公的責任の面もあり、人権保障という要素と二面性を持っていたものと言えます。
 ようやく、戦後の80年前後から、国際的な障害者の権利性の主張や自立生活論等が入りはじめ、さらに国内的にも「青い芝の会」などの障害当事者自らの権利獲得闘争の展開、糸賀一雄らによる日本版ノーマライゼーションの理念の具現化等が展開、普及し、単に就労による自立論だけでなく、多面的な自立(自律)の可能性が追求されるようになってきました。
 そして、戦後まもない頃の公的責任に伴う公的整備の弱い面を民間の有志者等による障害者施設の拡充、開発的独自的試みも取り組まれて今日に至っています。特に小規模共同作業所等の取り組みは、わが国の障害者施策にも大きな影響を与えてきたのではないでしょうか。

3 欧米における障害者施策の動向

 いままでも触れてきましたが、わが国の戦後の障害者施策は欧米の動向を抜きに語ることはできません。
 私は障害者施策に限りませんが、戦後の社会福祉施策は三つの潮流があろうと思います。
 ひとつは北欧の公的責任の本流のスタイルではないでしょうか。ノーマライゼーションの理念を堅持し、スウェーデンでは60年代の頃からケア付き住宅の原型と言われるフォーカス・システムに着手し、障害者住宅補助計画の実施とホームサマリタン(日本的ヘルパー)を中心とした介助システム化、それらの養成は州が行っています。住み慣れた居住環境の保障と専門的介助サービス、足治療をはじめとするきめ細かいサービスは自治体によって個人的、集団的サービスを組み合わせて実施しています。障害者が大学に進学し、ヘルパーの派遣を希望すれば必要な介助を保障しています。
 デンマークにおいても自らの自治性として自己の生活形成の決定は本人に帰属し、能力の活用、生活の継続性を基本原理とし、病室のような居室による施設は作るべきではないという考えになっています。北欧はノーマライゼーションを基本理念とし、国と自治体が公的責任を根幹に、本人の望む生活スタイル、自己決定権を保障しつつ、スウェーデンの「社会サービス法」等により、必要な援助を請求できる請求権を保障しつつ、可能な限り正常な環境と条件保障を「正常化の原理」として、その実現を公的責任論の指導原理としています。
 北欧がノーマライゼーションの理念や原理をもとに、それらに逆行すると思える施設形態を解体して進行しているものと考えられます。
 二つめにドイツはわが国にも影響を与えた大規模施設の源流、コロニーのルーツであり、北欧ほどの障害者施設解体論ではありませんが、介護保険制度化により地域ケアを推進し、在宅保障制度が進行しています。
 またわが国は介護保障を高齢者に限定してスタートしましたが、今、問題に浮上している介護保険と支援費制度の合体については、ドイツは制度化の時点ですでに若年障害者も介護保障の対象にしていたので問題はなかったわけです。ただドイツは要介護ランクが3段階であり、また日本にはない「現金給付」があります。もともとドイツはビスマルク以来の保険方式による医療保障等が定着しており、また州などの地方自治体の独自性もあり、私が訪問した障害者施設(機能回復、維持の機能をもつ居住施設・Residential Institution with Rehabilitation Facility)ではフレガー(Pfleger)という資格者の介護職もおり、国の配置基準もあり、専門養成教育(3年制)があり、州社会福祉局から教師の派遣による義務教育保障にも取り組まれていました。
 三つめにアメリカは人権保障に関する社会的運動や自立生活運動等による障害当事者の権利保障に関して、わが国の障害者施策の展開に多大な影響をもたらしたと考えられます。戦後、ケネディ政権の頃は社会主義国家との社会保障、社会福祉に関する競い合いの時代もあり、公的責任論からの国家的保障制度化も進展しましたが、レーガン政権の頃から福祉予算の抑制政策が断行され、個人の生活防衛、福祉サービスの購入、消費者としての選択等が前面に浮上してきています。
 1989年の「アメリカ障害者法」(The Americans with Disabilites Act of 1989)が成立してからは脱施設化が試みられ、障害者の自立生活も進展し、介護者(アテンダントやハウスキーパー等)を自ら雇用している場合も多く、州によっては在宅介護サービスの補助をしているところもあります。
 また、社会保障の歴史を築いたイギリスの様子も見ておきたいと思います。
 イギリスの場合、ソーシャルサービスとして社会保障、福祉サービス等は政府の実施責任とし、対人社会サービス(Personal Social Services)は地方自治体の実施責任とされていると思います。サッチャー政権の頃から国家財政の窮迫事態がより鮮明になり、福祉予算の削減に取り組み、特に施設に関する人件費等の公費の削減を断行し、障害者施設でも世界的に有名なチェシャホームも専門職の削減によりパート職等の非常勤職に切り換えられていきました。私が訪問した際も、腰痛を抱えつつ経済的理由で辞めるわけにはいかないという介護職の方が嘆いておられました。イギリスは施設福祉から地域福祉、コミュニティケアに切り換えてきています。施設長も経営的マネジメントの専門性が求められ、コストダウンに関するマネジメント論が主要な福祉専門誌をリードした時期すらありました。イギリスはソーシャルワーカーに関する公的養成や身分保障は進んでいますが、ヘルパー養成教育等はドイツ等より弱いのではないかと指摘する論者もいます。
 以上、世界の潮流を見てきましたが、公的責任についてもさまざまな内容があるのではないでしょうか。

4 障害者施策に関する今後の展望に関して

 わが国と欧米の障害者施策を中心に福祉・介護等の周辺の施策、実践等に関して私自身の資料・訪問等により考えてきました。今回の編集部から与えられた課題は「公的責任論」にあったかと思います。いままで見てきたように公的責任も公的財源保障も含め、保障する考えもあり、施策は国家が考え、自治体や個人の資金運用、民間サービスの活用も含め、自己責任を基本にしている国家もあります。これらの内容について、公的責任の意味するところと役割を明確にする必要があります。
 またわが国の障害者施策において、施設の存在をどのように社会的評価をするのかが重要な論点のひとつであります。脱施設化政策が施設否定論と受け取られている向きもあります。財政論の視点から施設から在宅という論法とも受け取られています。糸賀一雄は施設を人間発達論としての評価もしています。施設の存在価値の検討もしつつ、新たな国際生活機能分類(ICF)による視点も含め、人間らしい生活の実現に向けての基本理念を見失わない施策展開を期待したいと思います。
 いずれにしろ、障害当事者や支援者等の障害者運動の役割と成果に立脚すれば人権保障の確立であったのではないでしょうか。社会的存在としての人間観のもとに自由意思を発揮しうる自己実現が可能な社会的保障において、公的責任論を理念的具体的施策として展開することによって、個としての自己責任が生きるものと考えます。

(かめやまこうきち 淑徳短期大学教授)