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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年4月号

ワールドナウ

カナダにおける大学院修士課程・障害学コースの誕生

茨木尚子

はじめに

日本では、障害のある学生が、自分の障害について、高等教育の場でより深く学びたいと考えたとき、社会福祉学部もしくは障害児教育の分野に、その進路がほぼ限定されてしまう。障害者福祉を専攻している障害のある学生と話をすると、福祉という限られた分野ではなく、雇用問題や公共政策という観点から障害問題を考えてみたいとか、なぜ社会の中で障害者に対する差別構造が生まれるのか、歴史的に深めてみたいなど、自分たちにとって重要なアイデンティティである障害について、もっと広範で多面的な学問領域から学んでみたいという人たちがかなり多いことに気付く。

こういったニーズに応える新たな学問領域として「障害学」がある。障害学とは、「障害を分析の切り口として確立する学問、思想、知の運動」とされる。英国が発祥の地とされ、創設者には、コリン・バーンズ、トム・シェークスピアなど自らが障害のある研究者がおり、彼らの所属するリーズ大学は、障害学の国際的拠点として、すでに博士課程も設置されているということである1)

障害学を学ぶ高等教育の場の一つの試みが、カナダ、オンタリオ州トロント市ヨーク大学で昨年から始まった、障害学のマスターコース(修士課程)「CRITICAL DISABILITY STUDIES PROGRAM」である。筆者は、昨年9月から今年3月まで、ヨーク大学の客員研究員として、これを聴講する機会を得た。ここでは、このコースについて、その生まれた背景、コース内容、受講している学生の特徴などを紹介したい。

カナダ・オンタリオ州の障害者の状況

カナダは、国際的に障害者運動の盛んな国の一つである。DPI(障害者インターナショナル)の発祥の地であり、また知的障害者の当事者組織であるピープルファーストの初の全国組織が生まれた国でもある。また、1980年に発表されたWHOの国際障害構造分類試案に対して、障害者問題を「問題は障害者にあるのではなく、社会や環境にある」とし、これを人権問題として位置づけ、社会的不利を生み出す要因を究明しようと、新たなカナダモデルを提唱するなど、世界の障害者運動を牽引してきた国の一つである。

しかし、実際にトロントに赴いてみると、現状のコミュニティでの障害者の支援体制は、厳しい状況が続いていた。特にこの10年以上、オンタリオ州では、保守政権によって、医療、福祉サービスの予算は大幅に削減され、新しい障害者のコミュニティサービスを始めることはかなり困難な状況が続いていたようであった。しかし、そのような厳しい状況下でも、直接身体障害者に公的資金から必要経費を振り込み、その費用を使って利用者が、個人雇用主として介助者を直接雇用するシステムである「ダイレクトファンド」制度は、自立生活センターを中心に当事者たちによってしっかりと維持されており、当事者組織の底力を見る思いがした。また昨年10月の総選挙で、政権が交替したことを契機に、これまで力をためていた当事者団体たちが一斉に新たなコミュニティでの支援を求めて、積極的な活動を展開していこうとしているところでもあった。

ヨーク大学におけるCRITICAL DISABILITY STUDIESについて

カナダでは、英国の障害学の影響を受けて、すでに学部レベルではいくつかの障害学のコースが設置されている。ヨーク大学でスタートしたカナダにおける初の修士課程の障害学コース誕生の背景には、こうした学部レベルでの障害学コースの実績や、先に述べた活発な障害当事者のコミュニティでの政策立案に向けた運動の存在がある。本コースのディレクターであるマーシャ・ルオー教授によれば、コースを作るにあたって、自立生活センターなどの当事者活動家の意見も多く取り入れたということであった。

ヨーク大学のCRITICAL DISABILITY STUDIESの目的は以下のように示されている。「コースのプログラムは、学際的アプローチに基づくものであり、法学、人類学、保健学、地理学、経済学、教育学、労働研究、政策研究、社会福祉学、社会学のほか、アイデンティティー、ジェンダー、難民・移民、高齢問題などの研究を含んでいる。このコースでは、障害者に対して形成される抑圧や不平等に対して、インクルージョンにむけての法的、社会的、経済的な理論的根拠を明らかにするために、その基盤にヒューマンライツ(人権)の理論をおいている」

これだけ学問領域が広範にわたっているにもかかわらず、ここでは医学的に障害をとらえるという視点は除外されており、あくまで社会的、政治的、法的な障壁によって、障害問題が生み出されているという障害の社会モデルに基づいて、このコースがプログラムされていることがよくわかる。コースの科目として、「文化からみた障害」「教育とエンパワメント」「障害と地理学(ここでコミュニティケアや自立生活運動についても語られる)」「公共政策と障害」「情報、テクノロジーと障害」などが用意されている。一部の科目では、英国やオーストラリアからその分野のスペシャリストを客員教員に招いて開かれており、学際的、国際的なプログラム展開されていた。

15名の学生のうち半数近くは、自ら障害をもつ学生で、電動車いすなどを使う肢体不自由者が多く、弱視や難病などの学生もいた。年齢も、20代から60代までと幅広く、大半の学生が社会人入学であり、仕事を持ちながらの学業生活を送っていた。障害のある学生では、ソーシャルワーカー、障害者運動の活動家、大手銀行に勤務する人などがいた。その他にも、障害者のパーソナルアシスタントとして働いた経験をもつ人、看護師、障害者の家族、障害者施設の元職員など、多彩な経歴の持ち主たちで構成されていた。また学部で学んできた学問も、法学、社会福祉学、社会学、経済学など多彩で、コミュニティカレッジで60歳を過ぎて学びはじめたという障害者の家族から、カレッジの教員である当事者もいた。

とにかく圧倒されたのは、講義での学生たちの実に活発な議論であった。ディレクターであるルオー教授の障害学概論の時間では、毎回多様なテーマが用意されていた。「権利と慈善―強制中絶・不妊手術をめぐる論議」という時間では、オーストラリアで実際に裁判にかかわった法律家を招いて、各国のこれまでの障害者の優生政策をめぐる議論がなされた。「日本では、強制中絶、不妊手術は母体保護法の改正によって法律的には禁止された」という私の説明に対して、「強制不妊手術を受けさせられた1万人以上の障害者の国家補償はどうなったのか」「法律により禁止された日本では、障害者の強制不妊手術はゼロになったのか」という鋭い質問が学生たちから投げかけられた。カナダでの歴史も合わせて(元施設職員である学生からは、施設で体験した利用者の赴任手術に至る現場状況が生々しく語られた)、深くこの問題を考えさせられた時間であった。

1月からは、それぞれ修士論文のテーマと研究計画を春までに立てる時期になり、各学生の現在の問題意識を発表する時間も設けられたが、「自分のライフヒストリーを中心にしつつ、障害者のエンパワメントのための社会環境要因を明らかにしていきたい」という人や、「中東における障害女性の抑圧と社会参加の状況」をテーマにした中東からの移民である障害のある女性、「ダイレクトペイメント制度の知的障害の人への支援拡充にむけての戦略的研究」「ゲイを含む障害とセクシャリティ」を課題にする人など、これもまた多彩であった。コースは、フルタイムの学生であれば最短1年間で修了することができるが、社会人の中には、週1回半日だけの科目履修で、仕事と両立させ、時間をかけて学んでいきたいという人もいた。最終的にそれぞれの学生たちが、どのような修士論文を計画し、書き上げていくのかを見届けたい気持ちを強く残しながら、冬学期の途中で帰国の途につくこととなった。

おわりに

日本でも障害学会が昨年設立された。すでにいくつかの大学では、障害学に関連した講座や科目が生まれており、障害学専門の学科や学部が生まれる日もそう遠いことではないだろう。だが、そうした学びの場が大学に生まれたとき、障害をもつ多様な当事者たちが、そこに学生として参加できる社会的状況が作りだされているだろうか。地域で障害者運動を展開している人、企業で働く人など、社会にさまざまな形で参加している当事者たちが、必要なサポートを受けて、障害学の学びの場に参加していくことが可能にならなければ、日本における障害学は豊かなものに発展していかないであろう。実現に向けて、大学の内外で、取り組むべき課題は多い。

(いばらぎなおこ 明治学院大学助教授)

(ヨーク大学CRITICAL DISABILITY STUDIESコースの詳しい内容や次年度の募集要項については、以下の学部ホームページを参照してください。http://www.atkinson.yorku.ca/cdis/

1)障害学については、以下の論文が詳しい。
長瀬修「障害学に向けて」石川准、長瀬修編著『障害学への招待』明石書店、1999、 pp.11―39