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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年6月号

1000字提言

花を楽しむということ

蒔田麻耶

私は、昨年の4月から華道を始めた。といっても私が本当にやりたいのはフラワーアレンジメント。でも私の知っている限り、視覚障害者施設には華道クラブというものはあるが、フラワーアレンジメントクラブというものはないので、とりあえず華道クラブに所属してみた。それでもいつの日か、自分が本当にやりたいフラワーアレンジメントに移行しようと密かに思い、昨年の冬、横浜のボランティアセンターに電話をしてみた。そうしたら何とフラワーアレンジメントの先生を紹介してくれ、ラッキーなことにその先生は私の家の近くに住んでいて、県立養護学校の事務職員として働いていたということだった。早速、教えてもらうことにした。

視覚障害者の施設で華道が始められたという経緯は、おそらく花の好きな視覚障害者がいて、何とかして花を生けてみたいという声があったのではないかと思う。考えてみると視覚障害者施設の華道クラブというものは歴史があるようだ。

ただ私には華道は不向きな面がある。花器は大きくて重く、剣山は全盲の私が手探りで花を生けるには扱いが難しく、生けた花を持ち帰るのも大変である。しかし、身体障害者や視覚障害者に不向きと思われるものでも、日本古来の文化が障害者を排除することがあってはならないと思う。

さてフラワーアレンジメントと華道はどこが違うかというと、フラワーアレンジメントはまず剣山を使わないでスポンジのようなオアシスというものを使うこと、オアシスを手で触ってどこに花を挿せばよいか確かめながら花を挿すことができる。私にとって安心して触れられるものに花を挿すということは、それだけで花を愛でるということに繋がっていく。それにフラワーアレンジメントの花器はとても小さいので家のいろいろなところに置くことができるし、狭い家でも安心して飾ることができる。

先生の話では、フラワーアレンジメントにも基本があって、基本をしっかりやらないとよいものはできないようだ。何でも基礎をしっかり築いたうえでないといけないのだ。私は皆さんにフラワーアレンジメントの基礎となるところを見せて、優雅なもの、きれいなものばかりを見てこの世界に入ろうとする人たちに真実を見せたいと思う。

いつの時代でも、生活の中で、花を楽しむということは生活に潤いを与えることだと思う。最後に、花は生きているものなので自分の家族や周りの人に花を管理してもらうことも必要だ。たとえばフラワーアレンジメントの場合、オアシスに時々水を吸わせなければならないし、花が枯れたりしたら枯れた花を抜いてもらわなければならない。オアシスも1回使用したものは何度も使うことはできない。花を楽しむにはやはり人の手助けが必要だ。これらのことを頭に入れて、花を楽しんでほしいと思う。

(まきたまや 神奈川県在住)