音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年6月号

文学にみる障害者像

遠藤周作著
『彼の生きかた』―吃音の動物学者―

高橋正雄

昭和50年に発表された遠藤周作の『彼の生きかた』1)は、福本一平という卓越した動物学者の半生を描いた作品であるが、そこには吃音という障害ゆえに動物と共感的な関係を結ぶことができた人間の姿が描かれている。

吃音のある一平は、幼い頃から友達にからかわれたり苛められたりして、女の子たちからも「弱虫」と呼ばれていた。一平は、学校の友人との関係では、常に劣等感や屈辱感を感じさせられていたのである。

そんな一平が唯一心を許したのは動物だった。言葉の不自由な彼は、「同じ年頃の子供と遊ぶより、物言わぬ動物のそばにいるほうが楽」で、「瓶に入れた蟻も小学校の兎も、机の引出しに飼った二十日鼠も彼には何でもうちあけられる友だちだった」のである。

一平は、校庭の隅にある兎小屋の世話も自分から進んでやっていたが、とりわけ一平が可愛がっていたのは、兎のサブだった。耳の一部に傷跡のあるサブは、「イジメられっ子で、仲間たちからいつも噛まれているのだ」。一平は、仲間の兎たちから少し離れて、「一人ぼっちで、さびしそうにしている」サブを呼ぶ時だけはドモらなかった。周りにだれもおらず、相手が兎だという気安さと不安感のなさが、彼の舌をなめらかにした。一平は、「サブは…ぼくだ」と、吃音のために皆についていけぬ自分の姿を思い浮かべながら、心の中で哀しく呟いた。

口頭試問に失敗し、志望する高校にも落ちて東京の私大に進んだ一平は動物学を専攻した。言葉の不自由さから言葉のない交流を子どもの時から夢見ていた一平は、言葉のない動物たちの交流をうらやましいと思っていたし、小学校の音楽の先生からも「あなた、そんなに動物が好きなら…動物の勉強を一生やったら。誰にも負けない動物学者になったら、素晴らしいんじゃない」と勧められていたのだ。

大学卒業後、京都の日本猿研究所に勤めた一平は、長年の孤独で地道な努力の末に、志明山での野生猿の餌づけという画期的な業績を挙げる。だが、学歴のない一平の仕事はだれからも評価されないばかりか、新任の官学出身の所長にその業績を横取りされてしまう。しかし、学会からも認められず、出世の糸口を見つけることのできない一平は、「それでもいい。ただ…俺あ、猿が好きなだけなんや。動物が好きなだけなんや」と思うのだった。

結局、野生猿は自然のまま観察すべきだと主張する一平は、所長と対立して研究所を去り、今度は比良山の猿に餌づけしながらその行動を観察することになるが、そんな自分と動物との結びつきを、一平は次のように考える。「もし自分が生まれつき口が不自由でなかったならば、動物など見向きもしなかったかもしれぬ。口が不自由なゆえに学校でも友だちができず、犬や兎を相手にした。その時だけが安心した気持でいることができたのだ」。しかも、「口の不自由な自分が友だちから苛められたように、動物たちも動物であるという、それだけの理由で人間たちから苛められている」。

実は一平が新たな仕事の場とした比良山でも、観光業者が動物学者の求めに応じて、野生の猿を捕まえて米国に送る計画を立てていたのである。この時、日頃は弱気で臆病な一平が、「お願いします。ど、どうか、さ、猿をそっと、し、してやってください」と、業者に何度も頭を下げた。一平は自分の言葉の不自由さも忘れて、日本の猿は日本の山で生きるのが1番幸せなこと、動物学者といえども研究だけのために猿の自由を奪う権利はないこと、動物学者は、人工的な檻の中で動物を観察するのではなく、動物たちが住んでいる自然な環境の中で彼らを観察すべきであることなどを必死で訴えた。「あんたたちに、さ、猿をいじめる権利が、ど、どこにあるんや」「猿はものが言えん。に、人間のようにものが言えん。し、しかし、ものが言えんでも、猿かて…か、悲しみはあるんや」。

この時一平は言葉の不自由な自分の半生の無念を託すような形で、不当に人間に苛められている猿の悲しみを訴えたのである。そして一平は、麻酔銃を撃とうとする研究所員を両手を広げて遮りながら、雪の上にかたまっている猿の群れに向かって、「ぼくが、つれていってやるさかい、も、もう人間の手の、と、とどかん場所に行こ。人間のよごれが、ち、近づかぬ場所に行こ」と声をかけた。すると、それまで怯えながらかたまっていた猿たちは、雪の中をよろめきながら歩き出した一平の跡を追うように、ゆっくりと台地の向こうの森へ消えて行くのだった。

このように、吃音ゆえに孤独で気弱な人生を送っていた一平は、物言わぬ動物に人間以上の愛情を抱き、吃音を生かすような形で動物学者という天職を見つけている。そうした彼の生き方は、世間的には恵まれないものの、かつて彼を「弱虫」と詰った幼なじみの朋子からも「いいわね、一平さんには、自分のすべてを賭けて、うちこめるものがあるんやから」とうらやましがられるような生き方でもある。一平こそは、学問的な名誉や社会的地位のためではなく、「本当に自分のやりたい道を進んだ」真の研究者なのである。

そしてその結果、この天性の動物学者は、動物に慰められるとともに、弱い立場にある動物たちの代弁者としての役割も果たしているわけで、一平と動物の間には、相互に癒し癒されるという関係が成立している。それは、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』2)や井伏鱒二の『屋根の上のサワン』3)における主人公と動物の関係にも類似のもので、これらの作品には、現実世界で傷つき疎外されている人間が、自分と同じ「弱者」的な立場にある動物との間に一種の精神療法的な関係を築くという点でも共通するものがある。特に、「口の不自由さから言葉のない交流を子供の時から夢みていた」という一平の場合、吃音という障害があればこそ、動物に対する稀有な共感と生涯の生きがいを持つことができたとも言えるのである。

いわば一平は、吃音者であるがゆえに、自分と同じような状況に置かれている動物たちの視点から物事を眺めることができているのであって、その意味では、生活者としての一平には不幸だったかもしれない吃音という障害は、動物学者としての一平には幸福に作用したと考えることもできるのではあるまいか。

あるいは、一平のような自らを「弱者」として規定する自己認識こそが、「社会的弱者」という立場に置かれている人々への真の共感と対等な関係をもたらすと言うべきであろうか?

(たかはしまさお 筑波大学心身障害学系)


【参考文献】

1)遠藤周作:『彼の生きかた』新潮社、1975.

2)高橋正雄:宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』日本医事新報、4021:41~45、2001.

3)高橋正雄:井伏鱒二の『屋根の上のサワン』総合リハビリテーション30(7):666、2002.