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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年9月号

1000字提言

「地域生活へのススメ」最前線から(最終回)

山田優

この企画をいただく最終回。暑かった夏は水稲の収穫期を十日間程早まらせて、各地で開催する花火大会とともに秋に向かって一気に衣変わりとなる。標高600m弱の西駒郷周辺は、早生のつがるが赤味を増し、三水と呼ばれる幸水・新水・豊水の梨や巨峰・ピオーネ等のブドウとともに出荷する風景が目立ち出した。毎年の光景がもたらす安心感とは別に、西駒郷では本人の意向に添って、本人がどの地域で暮らしたいか・どんな生活や仕事や活動をしたいかを聴き取り、利用者主体となる人生の実りに応えようと支援が続けられている。

実りの季節に決まって訪れる台風は、自然をすべて征服したいと思う人間の浅ましい欲と傲慢な思いを打ち砕き、自然の恵みに感謝し分けいただく畏敬の念に立ち帰ることを思い知らせる。台風を避けようと、品種を変えてまで早熟させ急ぐ。その恩恵に預かっている一人だけれど、やはり旧来の、旬にいただく味わい深さにはかなわない。

長野県の今年のグループホーム設置予定は約40か所。その7割のグループホーム定員の半数(約70人)は西駒郷利用者の入居が予定されている。設置主体の過半数は民間法人・NPO法人だ。故郷に戻りたいと希望する利用者を迎え入れようと準備を進めてくれている。感謝したい。8月途中までに26名が地域生活への移行を果たした。

30数年も入所させつづけられた利用者が、5月の見通しでは8月には40名程が地域移行を済ませているはずだった。阻むのは、どこにでも潜み牙をむく地域だった。

障害児の教育権を保障した養護学校が登場し、昭和50年代には小学校から分別された結果、再び戻ろうとする地域に同級生はいなくなった。遠い施設に届けられて姿を消した地域では、存在すら忘れられ、戻ることを拒む弱いコミュニティーが残った。

スーパーマンはいない。だれもが何らかの弱さを持っている。歴史が根付く地域にもさまざまな社会がある。すべての人は、だれかの支援を受けて人生を終えていくと知っている。弱さをスポイルする地域社会であってはならないことも知っている。安心できる地域社会とは、弱さを認め合える社会であり、弱さを支え合い感謝できる社会のはずだ。

グループホームが動き出した地域では、毎朝作業所に通う彼らに、腰を曲げて農作業に向かう90代のお年寄りが「ごくろうさん」と声をかけてくれる。「おはよう」とはにかんで応える彼らが地域に元気を届ける。背伸びしない実りが地域を固める。

(やまだまさる 長野県西駒郷自律支援部長)