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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年11月号

障害者権利条約への道

自由権と社会権からみた障害者権利条約

李嘉永

「福祉」から「権利」へ

現在、障害者権利条約の起草が進められている。90年代から急速に進展したこの動きは、社会福祉的な観点で推進されてきた障害者施策を、今一度権利の観点から捉えなおすうえで極めて重要な取り組みである。これまで、国際人権規約をはじめ、数多くの人権条約が締結され、それら人権諸条約の国際的な実施過程において、障害のある人を念頭においた文書もいくつか策定されてはいた。しかし、他の人権課題と並列して扱われることから、断片的な検討に止まっていたきらいがある注1)。また、権利の内容についても、往々にして「社会権」の枠内で議論されてきた。その意味では、今般総合的な権利のカタログを念頭において条約の起草が進められていることは、障害のある人の権利保障について、新たなステージを切り開くものだということができる。

障害のある人の権利が実定法上確立することの意義を考えてみることは、今後の施策のあり方を展望するうえで、重要な作業であると思われる。そこで、現時点での草案の内容を念頭において、主に「自由権と社会権」の観点から「障害のある人の権利」を考えてみることにしよう。

「権利において把握する」

ただ、その前に、「福祉から権利へ」という展開が、どのような意義を持つのかについて少し触れておきたい。端的に言えば、社会のあり方について、権利の観点から捉え直してみるということである。これを、「権利において把握する」と呼んでおこう。

たとえば、「裁判を受ける権利」について考えてみよう。この権利は、市民間の紛争が生じたときに、裁判所という第三者機関による法に基づく紛争解決を求められる、ということを保障している。これにより、その紛争当事者の力の強弱や、所有財産の多寡にかかわらず、公正な社会生活が保たれる。

しかし、実際には裁判所が全国で1か所しかないとすれば、どうだろう。その裁判所にアクセスできない者は、事実上裁判を受けることができない。これでは、権利が保障された状態とはいえない注6)。これによって不利益をこうむる人は、自分の住まいの近くに裁判所を設置するよう求めるだろう。ここで、「1か所しかない」を「段差がある」と置き換えてみれば、歩行障害のある人の人権状況はよくわかるだろうし、その他のケースについても当てはまるだろう。つまり、適切に権利を保障するために、社会状況を点検してみることを意味する。

自由権と社会権

この前提として、だれがどのような権利を有しているかが確定していなければならない。そこで、人権、とりわけ「自由権と社会権」とは何かを考えてみよう。標準的な憲法学の教科書は、次のように説明している。つまり、すべての人は、一定の権利を享有する。この権利が、「人権」である。この人権を保障する際に、権利の性質に基づいて分類されるが、その最も基本的なカテゴリーとして挙げられるのが、「自由権」と「社会権」なのである。

自由権とは、国家が個人の領域に対して権力的に介入することを排除し、個人の自由な意思決定と活動を保障する権利である。ここには、思想・良心の自由、表現の自由や身体の自由などが含まれ、その保障のために国家は不作為を義務づけられる。つまり、国家は何もしてはならないのである。

他方、社会権とは、19世紀に興隆した資本主義の結果、失業や貧困、労働条件の悪化などの弊害から、社会的・経済的弱者を守るために保障されるに至った人権である。具体的には、生存権、教育を受ける権利、勤労の権利、労働基本権などが挙げられる。その保障のために、国家は立法などによって、諸制度を創設する責務を負う。つまり、作為が求められるのである。

判例によれば、自由権については、具体的な権利性が認められ、かかる権利の侵害については裁判所による即時的な救済が可能になる。社会権については、国家による作為、とりわけ各種立法の制定を通じて実現されるのであるから、その実現を求めるべき具体的権利性が認められず、これら立法が不十分な場合も、裁判所に救済を求めることはできない、という。これが「プログラム規定説」や、「抽象的権利説」と呼ばれるものである注2)

このような分類が一般に採用され、そして障害のある人を対象とした施策は社会権の中でも特に社会福祉を受ける権利の一類型と理解されてきたことから、「障害のある人が人権の主体である」といった意識は、希薄だったのではないだろうか。障害のある人に関する各施策が自由権や、他の社会権について十分に配慮するまでに至らなかったことも、根本においては、かかる権利の分類論に起因するように思われる。このような分類が許容された責任の一端は、国際人権規約が、二つの条約に分かれていることにもある。つまり、自由権規約と社会権規約に分けられていて、前者については「即時に」実施し、後者については「漸進的に」実施するというように、実施義務が異なっている。ここから「社会権については、すぐに実現しなくともよい」という理解を強める結果になった。

分類論の相対性

しかし、この相違は絶対的なものではなく、自由権であっても、インフラストラクチャーが整備されなければ実質的に保障することができない場合があるし、社会権の中でも、場合によっては、即時に権利侵害と評価されることもあろう(社会保障給付が、最低限の生活を支えるに足る額をはるかに下回っている場合など)注3)。つまり、いずれの権利であっても、実際に享有しうるか否かは、実社会がそれを可能にするように整備されているか否かによるのである。この反省を受けて、今日国際社会においては、人権の不可分性・相互依存性が強調されるようになっている注4)

作業部会草案の包括性

さて、以上のことを念頭において、障害者の権利条約の作業部会草案を検討してみよう。当初、「全体論的」か、「反差別」か、「混成」かという三つのモデルが提示されていたが注5)、後二者は、障害のない人の権利や、社会経済状況を前提とするものであるから、必ずしも障害のある当事者の権利を正面から捉えるものとはいえないという難点があった。その意味で、草案が「全体論的」アプローチを採用していることは、極めて重要である。

そして、何よりも興味深いのは、従前自由権のカテゴリーにおいて捉えられてきた諸権利が正面から規定され、しかもこれらの権利を実現するために、多彩な支援を実施するよう求めている点である。たとえば、表現の自由や意見の自由のために、代替的なコミュニケーション手段の是認、情報へのアクセス支援などを求めている。他にも、裁判を受ける権利や政治的権利についても、その行使を可能にするための環境の整備を求めている。障害のある人の自立した生活や移動の自由を保障するために、各種サービスへのアクセシビリティ、人のモビリティを確保する具体的な取り組みを列挙している。

他方社会権に関しても、健康に対する権利や社会保障その他の権利についてはもちろんのこと、教育や労働の権利についても、単に養護的・福祉的なものではなく、最大限可能な限り一般教育・労働市場への包み込みを基調として、さまざまな配慮を求めるという形になっている。そして、文化的な生活、余暇、レクリエーションを行う権利を定めている。

まさに、これまで障害のない人が認められてきた権利を正面から規定し、しかもこれまで障害のない人を前提に構築されてきた社会システムを、障害のある人を含める形で設計しなおすよう求めている。この枠組みは、「権利において把握する」ことを確保するものとして、高く評価されるべきであろう。

今後の課題

この草案は、まだ起草過程にある。条約は、採択されるだけでは法的な効力を持たない。効力を発生するためには、一定数の国家が締結しなければならない。また、効力を発生したとしても、適用されるのは、締結した国に限られる注6)。その意味で、現在の枠組みを維持しながらも、この草案を成立させていくことが極めて重要である。ただ、条約の締結においては、この二つの要請が時として対立的に捉えられる場合がある。権利内容を充実させるほど、国家が消極的になることが往々にしてあるからだ。この両者をいかに調整するか、いかに充実した内容を国家に受諾させるかが、最も大きな課題となるであろう。

ただ、条約が成立し、発効したとしても、多くの課題が待っている。一つは、多様な種別の障害がある中で、それぞれに当てはまるきめ細かな権利保障のあり方を工夫する必要がある、という点である。そのために、たとえば条約監視機関に広範な政策提言機能を持たせることも重要となろう。また国内的実施の場面で、当事者が真に必要としている内容を柔軟に選択できる仕組みを確立することが必要となろう。

さらに重要なのは、権利内容をいかに当事者の生活圏で実現するか、という点である。この段階では、家族や近隣社会、介助者、さらには当事者間のコンフリクトが生じるかもしれない。このような摩擦が生じることなく、互いが支えあい、寄り添いあえる地域社会を創ることができるか。このことは、条約が成立した折には一層、重要となってこよう。

(りかよん 部落解放・人権研究所)

(付記)私は、いわゆる被差別部落に在住している在日韓国人ではあるけれども、障害当事者ではない。その意味では、この条約策定上重視される「私たちのことは、私たち抜きで決められない」という原則に反しているのかもしれない。しかし、これまで国際法を多少なりとも研究し、社会的に不利益を被っている人々の権利をどうすべきかを考察している者として、この原稿を著すことは、自分なりの障害のある人への寄り添い方なのだろう、と思っている。

【注釈】

 金政玉「日本における現状と障害者の権利条約の可能性」長瀬修・川島聡編著『障害者の権利条約 国連作業部会草案』16頁

 たとえば、芦部信喜『憲法 新版補訂版』81―82頁

 このことを理論的に裏付けるものとして、申ヘボン「第2章 人権保障と国家の義務:理論的問題」『人権条約上の国家の義務』、9―33頁

 具体的には、自由権も社会権も、いずれも、一方が保障されてはじめて他方の享有が可能になるのであって、一方のみに偏重してはならない、ということである。

 この三つのモデルの相違については、川島聡「障害者権利条約に関する第2回特別委員会を終えて」『部落解放研究』155号、85―87頁、注(28)

 小川芳彦「第2章 条約」波多野・小川編『国際法講義』34―39頁、50頁