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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年11月号

列島縦断ネットワーキング

大阪 「地域で生きる」ピープルファーストジャパン結成

1 当事者が受けてきた差別

「ぼくの体験―施設での悲しく苦しい生活」

ぼくは、東京で生まれました。19歳から、30歳まで東京の七生福祉園に、入所していました。それから5年間、一人暮らしをした後、北海道の寿都浄恩学園に入りました。その施設は、とんでもない「悪い施設」でした。

年金は「全部寄付だ」といって取られました。働いても給料はありません。禁酒禁煙で、缶ジュース一本、飲めません。服は、職員がダンボール箱で町から買ってきて、サイズだけ合わせて、仲間たちに配りました。そんな施設が嫌になって、雪がいっぱい降っている寒い冬の夜中に脱走しました。見つかって連れ戻された後は、休憩時間や食事の時間は食堂の中で「飯抜き正座」をさせられました。

施設は、寄付をしてもらったと言いますが、どこにもいくところがない、迎えに来てくれる人もない、そんな仲間たちから年金を全部取り上げ、こずかいを1日1円も使わせないで、そのお金で、次々施設を作って、仲間たちを何百人も閉じ込めたりする理事長たちは悪いやつだと思います。

そんな施設が本当に嫌になって、6年間いた後、施設を出ることにしました。今、裁判を起こして闘っています。

(松岡敏雄 まつおかとしお)

2 ピープルファーストとの出会い

松岡さんのように、わたしたちは、たくさんの差別をうけてきました。でも、わたしたちは、ピープルファーストを知ってなかまと助け合って、生きていくことを知りました。

わたしたちは、ピープルファーストのことを外国から教えてもらいました。1993年、カナダであった「ピープルファースト国際会議」に日本からたくさんの当事者と支援者が行きました。カナダで、日本でも同じことをやれるのではないかと、思いました。

それから、日本でもピープルファーストがはじまりました。1994年からは毎年、全国大会をやっています。大会をやると、ピープルファーストがどんどん広がっていきます。

でも、わたしたちは、まだまだと思っています。まだ、アメリカやカナダに負けています。日本も外国に負けんように、やっていかなあかんと思います。

(生田進 いくたすすむ)

3 全国組織の設立へ

今まで全国で集まるのは、大会のことだけでしたが、だんだんとみんながピープルファーストの全国組織ができたらいいなと考えるようになりました。今のままでは、ピープルファーストの力が足りないからです。だから、全国大会の実行委員を中心にして、全国組織をつくるための「ピープルファーストジャパン設立準備委員会」をはじめました。

全国組織を運営するための会則について、会議をすることになりました。2か月ごとに会議をして、会則案ができるまで、1年半かかりました。2日間会議をしても、なかなかおわらなかった。でも、みんなピープルファーストを広げたい、もっとよくしていきたいと思っていたから、ここまでこれました。

もっと仲間を広げたいと思って、全国にもあちこち行きました。青森の入所施設に行ったときは、みんな施設を出たいと言ってくれた。ピープルファーストは、みんなに、ちからをあげることができると考えています。

(梅原義教 うめはらよしのり)

4 結成大会

会則のことを考えるのと同時に、ピープルファーストジャパン結成大会に向けて準備をしてきました。

結成大会は、東大阪市のライティーホールで9月19日に開催されました。全国から380人が集まる活気のある大会となりました。

午前の部では、海外のピープルファーストや、DPI日本会議からのあいさつの後、会則案・役員案などが提案され、承認されました。午後には、日本や海外から「人権侵害事件の報告」があり、会場からもたくさんの意見が出ました。厚生労働省の大塚晃さんにも話をしてもらい、意見交換をしました。

何とか無事に終わることができました。当事者の気持ち、会場に来た人の気持ちが集まって大会は成功、みんなの気持ちも一つになり、ピープルファーストジャパンができました。

(池崎善久 いけさきよしひさ)

5 海外との交流を通して

結成大会には、ぜひ、海外の仲間を呼びたいと会議で話し合ってきました。カンパをたくさん集めて、ニュージーランドのロバート・マーティンさんとピープルファースト香港のリー・ウェイ・ホンさんが結成大会のために来てくれることになりました。

大会のスピーチでロバートさんは、わたしたちの仲間には上手にしゃべれない仲間がいる、その仲間たちの代表をして、ピープルファースト運動をやってほしいと言っていました。リーさんは、運動のやり方をケーキの作り方に例えて話してくれました。自分たちでケーキを作って自分たちで食べるのではなく、仲間たちに分けるように、ピープルファースト運動も、仲間たちに運動の楽しさを伝えることが大切であると言っていました。

そのために、ピープルファーストジャパンをつくりました。日本にピープルファーストが広まってから10年になります。全国組織になってやっとスタート地点に立ったと思います。2人のスピーチを忘れないで、ピープルファーストジャパンをもりあげていきましょう。

(佐々木信行 ささきのぶゆき)

6 ピープルファーストジャパンのこれから

これからは『ピープルファーストジャパン』として活動していきます。

全国の仲間に対しても、声をかけて、呼びかけていきます。私たちには難しいことが多くありますが、仲間と力をあわせて、必要があれば支援を求めてあきらめず、一つひとつやっていきます。これまで以上に「志しを高く」「継続は力なり」という言葉を大切にしていきます。「わたしたちは しょうがいしゃであるまえに人間である」をもとに、仲間たちに対する「差別と闘い」「権利を守り」、地域で生活するために必要なサービスを要求しつづけ、だれであっても地域で「いきいき・のびのび・ゆうゆう」と、より良い生活ができる、ノーマライゼーション社会の実現に向けてやっていきます。

(土本秋夫 つちもとあきお)

ピープルファーストジャパンの代表になりました。ぼくたちがどんなにがんばっても、考えはいろいろあります。意見は一つじゃないので、代表はまとめていくのが大事じゃないかと思います。これからは、1.支援費と介護保険の統合に反対します。みんなでたたかって、介護保険との統合をやめるようにしたいです。2.入所施設から地域に仲間を出します。入所施設から地域に行くのが当たり前です。もっと入所施設から仲間を出したいと思っています。3.全国でおきている事件のことをとりくみます。施設のオンブズマンをつくりたいと思っています。全国から事件をなくしたいと思います。

親の会の「全日本手をつなぐ育成会」にまけないような当事者の組織を作っていきたいと思います。全国でピープルファーストが大きくなったのをみたいので、ぼくたちはがんばっていきたいと思っています。

(小田島栄一 おだじまえいいち)

(注)原稿は、ピープルファーストジャパンの役員が分担してまとめました。