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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年3月号

1000字提言

とても大事なもの

五位渕真美

寒さがより一層深まった今日この頃、久しぶりに本格的な風邪を引いた。初期症状としては咽喉だけが痛く、頻繁にうがいをしていたが、そのうち鼻がつまり咳が出るようになった。夜も眠れない日々が続き、結構つらいものがある。そんなことを友人に返信するメールに何気なく書き加えた。

その友人との出会いは、大学に入学したばかりの、お昼の時だった。お互い共通の友人に誘われ、初々しい8人の顔がそろって、青空の下、自然に輪をなしそれぞれのお弁当を広げた光景を今でも覚えている。その中にいた一人である。大学には後にも先にも障害をもつ学生が私しかいなく、青い芝に座る彼女たちを見下ろすようにいる私は、どう見てもめずらしい存在にあったに違いない。

彼女にとっても障害をもつ人とのつながりは私がはじめてだった。だが、私たちはとにかくよく話した。学生の頃は毎日会っているにもかかわらず、電話で1時間以上話すこともあった。彼女のおかげで、私は障害のない同世代にも「物を申す」ことができるようになったと思っている。ともに悩んだり、泣いたり、怒ったり、謝ったり、そしてよく笑い、よく食べて、本当によく喋った。障害のあるなしを含め、互いに「ちがい」を認めながら理解しあう言動を、今思うと正確にしていたようだ。

どちらかと言うと慎重派の彼女と大胆派の私、障害のある私・ない彼女は、人生を語り合う時も、旅する時も、酒を飲んで盛り上がる時も妙なバランスをとっていると私はいつも思う。はじめて信用のできる友人と出会い、対等と思える仲間がいた大学生活は、小中高では知り得なかった「学生であることの自由」を発見し堪能できた。

メールをした翌日、仕事から帰宅すると、玄関のドアノブに買い物袋が下げてあった。東京で私の風邪を見舞いに来る親しい知り合いができたわけではないし、わざわざ茨城から家族が来たとは思えないし、だれだろう? と考えた。ポカリスエットとプリンとリポビタンD、それに「カゼに負けるな~」と彼女らしい字を見つけた。

そういえば、私がアメリカ留学へ旅立つ空港で私と涙してくれたのも彼女だった。私がお付き合いしていた彼氏と別れてどん底にいるとき1番初めに救ってくれたのも彼女だった。今回も私の風邪を心配し駆けつけてくれた。

現在、彼女は私とほぼ同時期に上京し、品川周辺に住んでいるのだ。寒い部屋で彼女のメモを読みながら体が温まるのを感じた。傍らにいる有り難さ、互いに互いを大切に思えること、そしてそれぞれの生き方を尊重し合うこと、それらの思いを越え何とも言えない安心感に包まれた。

(ごいぶちまみ スタジオIL文京)