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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年4月号

文学にみる障害者像

田所精二著 『胎動』―人権の基盤―

花田春兆

田所精二の『胎動』は、昭和24年3月の雑誌『新女苑』に掲載されている。当然療養所内の機関誌での発表とも違って、広く読まれ、一般的評価も受けたはずの作品であり、水準も高い。

だが、現在好評刊行中の『ハンセン病文学全集』には収録されていない。

僅かに楯木氾著『ハンセン病に咲いた花』戦後篇の中で読めるだけのようである。私にしても、T大学大学院生でハンセン病に詳しい荒井裕樹君に、現物で教えられなければ全く知るよしもなかった作品なのだ。

多くの人が普通にあまり無理せずに、目にし手にとれる作品、を目標にしているこのシリーズの基準からは外れそうだ。

だが、国連で障害者の権利条約の逐条審議が、ヤマ場を迎えている現在、そもそもの人権の基盤に触れている記念碑的な作品、に触れてしまった以上、紹介を怠るわけにはいかない。

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断種手術を受けた夫を持つ妻が、妊娠の事実を知って驚き苦悩する。身も蓋もなく言ってしまえば、筋はそれだけになってしまう。

A5判一段組みの普通タイプで11ページだから、短編というのか中篇というのか、熱中すれば一気に読める分量だし、一気に読ませる筆力も備えている。長編などの変転する筋の面白さよりも、問題の核心を、頂点というかのっぴきならぬ状況に煮詰めた時点で、じっくりと語るという内容の濃さが問われるのだ。

断種手術を受けねばならなかった経緯や苦悩は伏せられて、妊娠への疑いから、始められる。主人公が女性なのだから当然といえば当然なのだが、いきなり緊迫した世界へ引き込むあたり、設定の妙に感心してしまう。当事者本人(?)の苦渋の葛藤を敢えて避けて、二次的な被害者である女性に焦点を移していること自体、そもそも設定の妙なのであろう。

そんな大胆な試みを実行し、無理も破綻もなく作品化に成功しているのだから、筆者の力量は十分にうかがえる。

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ただ、この作品のテーマになっている断種手術。ハンセン病者、当時の瀬患者は瀬になる子孫の出現を怖れ予防すると称して、結婚するに当たっては、男性に断種手術、具体的には輸精感の一部切断手術、を受けることを絶対条件として課していた。

そうして前提条件を経由したうえで、成り立っている結婚生活。特殊な状況を基盤に生きている夫婦であることを、予備知識として持たなければ、この『胎動』を十分に読み解くことはできにくい。

だが、療養所もそこでの生活も、一般的には知りにくくなってしまっている現在では、望み難いことだろうし、今後は一層至難になるだろうことは間違いない。

ただ幸いに、直接手術そのものを解説はしていないが、断種という強いられる行為に対して、当の男性たちがそれをどう受け止め、どう受容して行ったか、行こうとしていたかを示す作品。言わばこの『胎動』の先行作とも言える作品が残されている。

杜芙蓉子の『最初の上京』と、内田静生の『春雷の夜』である。

“上京”は、作家志望の可能性が見えてきた大学生が、癩発病の兆候(?)が表れはじめた女性との結婚を決意して、周囲の反対を押し切るために、手術を受けるべく東京行きの1番列車に乗り込む、という話であり、一方、“春雷”は春雷の夜ダンスホールで知り合った2人は、お互いが癩の血筋を持つ負い目から、急速に接近、結婚生活に入る。もちろん男性は当然肉体に所定の手続きを踏むことになったはずだ。子どもの産めぬ虚しさを夫婦は、今でいう児童施設から男の子を一人もらい受け、育てる喜びと充実感へと転化させて行く…という筋立てだ。

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東北の伝統的な農村と、東京のモダンな都市生活と、舞台も作風も対照的と見える二つの作品だが、書かれた動機には見事な共通点があった。どちらも残念ながら作品化はされなかったが、映画製作の素材としての募集に、ともに多磨全生園からの患者として応募したものだったのだ。救癩キャンペーンのためのものだったとしても、そうした企画が組まれそれに応える応募作があったのだから、その創作活動の充実ぶりには驚く。

しかも“上京”は昭和7年、“春雷”はやや遅れるが同9年に書かれている。北条民雄の『いのちの初夜』が文壇を驚かせたのは11年だが、その準備段階はすでに整えられていたとも言えよう。

杜については、あまり記録もないよう(男で筆名に“子”を用いているから俳句に関係あり(?)か)だが、内田は、複数のサークルに顔を出すなど、当時の文芸活動の中心的存在で、後に歿年の21年に発表された遺作『秋の彼岸』は、川端康成が引き受けたのに、なぜか一般誌には掲載されなかったが、力量ある作家だったようだ。

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それはさて、この公然の秘密的に強要されていた断種手術。それを受け入れ、進んで受けに出向いている男性たち。

人権尊重が叫ばれ、個が重んじられる現在からは考えられない個人の否定であり、自殺行為とも受け取られよう。少なくとも男性としての生を断念するのだから。

愛を貫くための犠牲。だが、それも煎じ詰めれば、強いられた犠牲であることに変わりはない。

犠牲の美徳化とでも呼べる魔術が、社会思潮という圧力と結びついて、背後にも頭上にも滔々と流れはじめていた。

軍国主義・全体主義はもちろん、社会主義もまた闘いともなれば、個は当然全体のために犠牲になるべきものだった。感情の極度の昂(たか)ぶりとか、よほどの強い信念に支えられない限り、抗すべくもなかったし、意欲も持ちにくかった。

むしろ、犠牲を払うことによって、社会との連帯感を共有したのだ、と言えそうな気もしてくる。

断種手術と言えば、癩でもないので完全に余談になるのだが、重度障害(特に上肢)の女性で戦中・戦後にかけて、子宮摘出の手術を受けさせられた、というケースを私の身近でも何例か耳にしている。どうせ結婚などできないのだし月のものの面倒だけでも減らすのが勤めだろう、なのだ。どうにも癩の場合よりも露骨で強引、人格も人権もあったものではない。

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だから、戦後の人間回復、民主主義の高揚する僅かな一時期に書かれたこの作品は、自殺未遂にまで追い込まれた主人公の体内での、新しい生命の “胎動”であるとともに、患者の個としての生存への“胎動”でもあったのだ。

ところで今回はスペース厳守で恒例の1ページ増枠も認められないらしい。自他ともに不本意に終わりそうだが致し方ない。

隔離収容政策の徹底を示すように、舞台は療養所内に限定される。閉鎖された密度の濃い世界。妊娠に気付くのも周囲のほうが早い。断種は共通の認識。当然不倫(?)への指弾は湧く。特に責めもせず処置も取ろうとしない夫へも、批判の矢は注がれる。死を決意して入った林の中で、激しい胎動に襲われる。…で筆は置かれる。

生を求める新しき生命の実感。

実はこれ、当事者の実体険の作品化であったようだ。生まれた子は母方の家で育てられ、妊娠は断種手術の医療ミスと判明する。

絶対視されていた医療への信頼が揺らぎ始める胎動でもあった。

(はなだしゅんちょう 俳人、「しののめ」代表、本誌編集委員)