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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年8月号

知り隊おしえ隊

言葉で見る美術鑑賞ツアー

西尾憲一

目が見えないのに絵や写真やオブジェを鑑賞するなんて、いったいどうするんだろう?そんなことをして何が楽しいんだろう?と疑問に思う人は少なくないでしょう。私も以前はそう思っていました。私は30代で視覚障害者になりましたが、不思議なことに目が見えなくなってから絵を見ることが、とても楽しいことだと知りました。それは、これからご報告するMAR(マー)の「言葉で見る美術鑑賞ツアー」が、ただ絵を見るだけでなく、絵を通して人と人が何かを語り合うというところから生まれてくるものがあるからではないかと思います。

MARは、美術を通して人と人、人と美術(美術館)の壁を解放していこうという目的で作られたグループで、Musieam approach & releasingの頭文字を表しています。2000年から活動を開始し、毎月1回程度、東京近郊の美術館に出かけて鑑賞ツアーを行っています。

このツアーには、視覚障害があるなしにかかわらず、一緒に美術を鑑賞したいと思う人なら、だれでも気軽に参加できます。MARの活動は、鑑賞ツアーの他、美術館からの依頼で鑑賞ワークショップを開催したり、京都や福岡などにある同様のグループとネットワークをつくったりしています。

今回は2008年6月29日(日)に行われたMARの「言葉で見る鑑賞ツアー・埼玉県立近代美術館常設展」に参加させていただいたので、その時の様子を紹介してみたいと思います。

晴眼者と視覚障害者がグループになって鑑賞

当日は梅雨のまっただ中、朝から雨が降りしきるあいにくの天気でしたが、午後1時30分には美術館のある京浜東北線北浦和駅に20人近い参加者が集まって、とてもにぎやかになりました。美術館に移動すると現地集合の人もおり、この日の参加者は、総勢25人(うち視覚障害者6人)になりました。今回初めて参加された方の中には、研究テーマをもって参加された大学生もいて、若い人から中高年まで、いろいろな人が参加されていました。私は今回が3回目ですが、いつも新鮮な雰囲気を感じることができます。

埼玉県立近代美術館は駅から徒歩5分ほどで、とても便利な場所にあります。周囲は公園の緑に囲まれて静かな環境の中にあって、市民に開かれた美術館というテーマでもっていろいろな催しが行われているそうです。サポートしてくれた方の説明によると、外観はV字型の独特なデザインがいかにも美術館らしい雰囲気のある建物であるとのことでした。

館内に入り簡単なスケジュールの説明を聞いた後、数人一組に分かれて、それぞれ作品の鑑賞に向かいました。言葉で見る美術鑑賞は、2~3人の晴眼者と視覚障害者1名で一組になり、作品を前にして、晴眼の人が見たことや思ったことを私に説明することからスタートします。

私は最初は作品の前に立っても、そこに何がどのようにあるのかまったく分かりませんでしたが、同行のメンバーたちの説明や会話を聞いているうちに、頭の中に徐々に作品のイメージができていきます。作品の大きさやタイトル、何が描いてあるのか、それがどのような内容で、どのような色調で、人物ならどんな服装や形や顔なのか……などなど、会話の中から自然にイメージが浮かんできます。もちろん分からないところは、こちらから質問することもあります。

作品のタイトルや説明で全体のイメージを感じる

それでは、展示室の中に入ってみましょう。常設展示室は3つのコーナーに分かれています。最初に見たのは立体作品でした。このコーナーのタイトルは、「薔薇の浮かぶ椅子―倉俣史朗《ミス ブランチ》」です。説明を聞くものの、最初のうちはいまひとつイメージがつかめませんでした。しかし、透明な椅子、薔薇の花、空間、といった作品のタイトルや説明を読んでもらい、作者が何を大事にしようとしていたのかが分かるにつれて、全体のイメージを感じられるようになりました。

次のコーナーは「新寄贈の近代日本画―大熊家コレクション」です。これは主に富士山を描いた掛軸を集めたものでした。特に横山大観の作品は想像していたイメージとはずいぶん違っていて、意外と柔らかなタッチで描いてあることを知りました。説明をしてくれた人の言葉がとてもいきいきとしていて、もともと私は掛軸にはあまり興味がなかったのですが、改めて新鮮な思いで鑑賞できました。

言葉によってイメージする色や形が変わる

次は「近代の絵画と彫刻」。このコーナーには、ルノワール、ロダン、岸田劉生など有名な作家の作品があり、それぞれの絵には、やはり強烈な個性を感じました。見る人によって受ける印象はずいぶん違うものもあるようで、ここではあっちからこっちからいろんな言葉が飛び交いました。特に抽象画は、ただ見るだけではなく、私はこう思う、私はちょっと違うふうに見える……、というように印象を言葉にすることで、その絵が放つ魅力や魔力などについて、なるほどと気がつくことが多くあるということが分かります。そういう言葉や思いを聞いていると、私のイメージも微妙に変わってくるのですが、それがとても面白いなと思いました。

言葉で見る作品のイメージは、見る人によってかなり違うものになります。同じ情景を見ても、人によって楽しいと感じたり寂しいと感じたりしますし、ある色が好きだったり苦手だったり、同じ人物を素敵だなと感じたり、いやだなと感じたりするように、作品を見て思う人の感情やその表現は見る人によってさまざまです。ですから、説明をしてくれる人が変わると、私の中のイメージは色彩も形も微妙に変わってきます。このことが私にはとても面白いと感じます。

言葉によって気づかされる作品の新たな見方

MARの「言葉による美術鑑賞ツアー」では、作品の情報を正しく伝えることも大切ですが、人それぞれの気持ちや感覚による表現を、より大切にしています。「とても穏やかな気持ちになれる。ストレスがたまっているような感じ。全体に暖かい色調だな。とっても孤独感にあふれている。気持ちが吸い込まれていきそう」といった言葉の表現がいっぱいあればあるほど、私の中にできてゆくイメージはどんどん豊かになっていきます。私にとっては、情報が正しく伝わることよりも、イメージが豊かに伝わってくることのほうが楽しいと思えますし、いろいろな人の言葉は、いろんな色彩や線や面のように変化して私のイメージの中に、温かい記憶として描かれていくようです。一方、見える人にとっては、感じたことを言葉に置き換えることで、目で見ているだけでは気がつかなかったところが見えてきたり、他の人の言葉や思いから意外な見方に気がつかされることがあると言います。

作品のイメージは時間を超えて広がっていくこともあります。作者はもしかしたら、こういう状況でこんな気持ちでこの形を描いたのではないだろうか……というような深い読みをする人もいて、ただ普通に絵を見ているだけではありえない出来事が、MARの「言葉による美術鑑賞ツアー」ではいっぱい起こります。

にぎやかで楽しい美術鑑賞

2時間ほどの鑑賞ツアーはあっという間に終わり、今回は美術館のご協力で会議室をお借りすることができ、参加者の自己紹介と今日の感想を聞くことができました。初めて参加された方の感想に、視覚に障害のあることに対して、とても不安で怖い、苦痛や苦悩というイメージを持っていたけれど、こんなふうに、むしろ見えないことを楽しんでいる人たちの存在にとても驚いたと言われました。普段はとても静かな美術館ですが、私たちが訪れるときは急ににぎやかになります。作品の前でいろんな言葉がとびかうのを見て、ちょっとうるさいな、という顔をする人もいますが、何だか楽しそうだな、と興味をもって見ている人もいます。できるだけ周囲の迷惑にならないようにしていますが、こんな美術鑑賞はほかにはありませんし、人と人が思いを語り合うとき、そこが美術館であったなら、とても素敵なことだと思いました。

(にしおけんいち 鍼灸師、東京都在住)