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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年12月号

障害児のライフステージに沿った支援

伊藤利之

1 はじめに

今日、中途障害者に対してはようやく、「発症から地域・在宅生活」まで継続・一貫した医療やリハビリテーション・サービスの提供体制が整ってきた。

しかし、先天障害においては「誕生から成人期」に至るまで、それぞれの時期における個別のサービスは提供されているものの、ライフステージに沿った継続性や一貫性のある支援となると甚だ心もとないのが実情である。とりわけ成長とともに担当機関が代わるため、その繋ぎ目にあたる保健と療育、療育と教育、教育と福祉との連携については、多くの人たちから問題視されている古くて新しい課題である。

2 保健から療育へ

障害児の多くは、保健所の健診や出産した医療機関で発見され、最初のアドバイスや治療を受けることになるが、歴史的に生命に関わる病気や発育不全には敏感な対応がなされても、肢体系・精神系の発達障害については、比較的曖昧にされてきた歴史がある。

昭和57年に作成された横浜市における総合リハビリテーションセンター(リハセンター)構想では、このような事態の解消のため、保健所の4か月健診と1歳6か月健診に着目し、そのスクリーニング機能の向上を図るとともに、そこで問題になったお子さんに対しては、保健所において専門職による「療育相談」を実施することとした。1)

すなわち、リハセンターの神経小児科医、児童精神科医、リハビリテーション科医、理学療法士、臨床心理士などがペアを組んで毎月の健診後に保健所を訪問、そこで問題にされたお子さんの「療育相談」に応じ、治療を優先する適応があればリハセンターの療育部門に通院してもらう体制の整備である(図参照)。2)

図 保健所と療育機関の連携
図 保健所と療育機関の連携拡大図・テキスト
(文献2から引用・改変)

これは、主に予防を担当する保健機関と療育やリハビリテーションを担当する医療機関との連携であるが、共同して発達に問題のあるお子さんを発見・療育することにより技術も蓄積され、現在、このシステムは全市に広がって確立した。

その主な要因は、1.お互いにニーズ(利得)があったこと、2.保健・医療機関同士また行政機関同士の連携で、共通言語の確立が容易であったこと、3.今後を担当する機関が現在を担当している機関へ出向いたこと、4.相互に専門職であり、配属部署の異動はあっても仕事の内容に大きな変更はなく、そこで得られた知識や技術の蓄積が期待できたこと、5.システムの核となるリハセンターが存在したこと、などである。

3 療育から教育へ

昭和54年、養護学校の義務教育化に伴い、重度・重複障害児に対する就学猶予・就学免除の制度がなくなり全員就学がはじまった。横浜市では、これを機に養護教育総合センター(現 特別支援教育総合センター)を開設、私たちリハビリテーション科医(横浜市立大学)はその技術的支援のために協力した。そこでの主な役割は、重度の肢体不自由児を対象に入学時総合健診を行い、普通級、特殊級、養護学校などいずれの場で対応するのが適切か、リハビリテーション医学の立場から診断・評価し、学校側に進言することであった。

横浜市では、教育委員会が肢体不自由児の進路選択にあたって私たちに医学的な診断・評価を求めたのに対し、曲がりなりにもこれに応えうる人材が存在したことから、とりわけ重度の障害児に対しては、早くからリハビリテーション科医による教育側への支援体制が整えられ、市内の養護学校へ校医として1~3か月に1回程度の割合で診療に出向くシステムが構築された。もちろんこれらの連携は、教育側が校医として医師を雇用する形であり、組織連携というイメージとは程遠い初期段階のものであるが、当時はまだ療育機関が整備されていなかったこともあり、保護者にとっても大きなメリットがあった。この体制は今もなお続いているが、療育機関が整備された今日、その情報(書類)が保護者を通して学校側へ伝えられるようになったため、私たちの役割は、主に担当教員に療育機関からの情報を実践的に指導することや、彼らの日常的な疑問に応えることに重点移行している。

精神系の発達障害児に対しては、昭和62年にリハセンターが開設された時点においても教育側からの依頼は個別の事例にとどまり、療育機関から発信された情報もあまり活用されていなかった。ようやく平成5年、情緒障害通級指導教室(情緒通級)が開設されたこと、一方で、リハセンターにおける児童精神科の活動が軌道に乗り始めたことから、療育機関と情緒通級の担当者間で任意の合同カンファレンスが開かれるようになった。その後(平成12年~)、この合同カンファレンスは情緒通級担当教員の研修の一環として事業化され、参加者も徐々に増加して毎回30人を超えるまでに発展して今日に至っている。3)

また、この間に発達障害のあるお子さんの不幸な事件が相次ぎ社会問題になったこともあり、教育側からリハセンターへの公式的な連携の申し入れもあった。かくして「寄るな民生、触るな教育」と揶揄されてきた両者の連携の歴史は一変し、現在では、前述した合同カンファレンスのほかに学校支援事業(本特集 連携の実践―療育から教育へ―:小川淳)も発足し、相互に関係者が交流し合える基盤が構築されつつある。

療育から教育への連携は、まずは、1.「事例の引き継ぎ」からはじめるのが一般的である。それを2.「合同カンファレンスなどによる知識や技術の交流」へと発展させることが肝要であるが、その場合、今後を受けもつ3.「教育側のニーズ」が何よりも重要である。そのため、療育機関や保護者による教育側への働きかけは欠かすことができない条件であるといえよう。

4 教育から福祉へ

昭和62年、リハセンターの開設とともに養護教育総合センターと話し合いをもち、教育と福祉との連携推進を旗印に、進路指導などへのリハセンター職能開発部門の関与を申し入れた。しかし、その場の話し合いは成功し懇親会は大いに盛り上がったものの、その後も一向に具体化せず、結局は実現できないまま今日に至っている。要するに「総論賛成、各論反対」の結果に終わったわけだが、その主な理由は、教育側にニーズがなかったことである。その後も何度か申し入れを行ったが同様の結果であり、私たちとしては教育側の進路指導にしたがって、福祉施設を利用する事例などを対象にサービスを提供する業務に甘んじてきた経緯がある。もちろん、それでも福祉サービスが必要な中・重度の障害者では、障害者更生相談所を有するリハセンターが総合評価できる体制にあり、職能評価・訓練を行うこともできるため、表面的には大きな問題は生じなかったが、進路指導で高望みした結果、心に傷を負ってリタイアする事例が気になる状況は今も続いている。

教育側が医学的・心理学的評価結果を基に進路指導にあたる体制を整備することは効果的と考えるが、残念ながら、現時点でその必要性は教育側に届いていない。今後、発達障害児の進路指導が本格化し、その評価・判定結果が的を射たものと判断されるようになれば、教育側の態度も変わってくる可能性は高くなると期待している。

5 おわりに

専門性の異なる機関同士の連携は日常業務とは異なる面倒な仕事のため、それに見合った利得が相互に得られることが前提条件であり、同時に信頼できる相手でなければ継続困難である。障害児のライフステージに沿った支援を実現するには機関連携が不可欠であり、なかでも教育機関の役割は全体の中間に位置することから、連携の成否を決める要である。その要が今、10年前に比べて大きく変容しつつあるように思われる。

(いとうとしゆき 横浜市総合リハビリテーションセンター顧問)

【文献】

1) 伊藤利之:地域療育システム.陣内一保・安藤徳彦(監修)、伊藤利之・他(編):こどものリハビリテーション医学 第2版、pp.14―17、医学書院、2008.

2) 伊藤利之:地域(早期)療育システム.陣内一保・安藤徳彦・伊藤利之(編):こどものリハビリテーション医学 pp.384―388、医学書院、1999.

3) 清水康夫・他:AD/HDの心理社会的治療―教育との連携、教師への支援―.精神治療学 17(2):189―197、2002.