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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年12月号

文学にみる障害者像

ローレンス・スキャッデン著
『期待を超えて―見えない人生』

岡本明

米国の全盲の科学者、ローレンス・スキャッデン博士の自伝である。スキャッデン博士といってもご存じない方が多いと思う。しかし、欧米の障害福祉の世界ではかなり知られている方である。

ローレンス(ラリー)・スキャッデン博士は1939年、米国ロサンゼルス生まれ。5歳の時にけがで失明したが、小さいときから技術に興味を持ち、アマチュア無線などを楽しんでいた。博士はレッドランド大学で政治の学士を得たのち心理学に興味を持ち、パシフィック大学で人間の知覚を学び、1968年に実験心理学の修士号を、さらに1971年にパシフィック大学で博士号を得た。

博士の科学者としての経歴は、サンフランシスコの研究所の研究員として始まる。研究は、視覚障害の人のための文字認識読書機やコンピュータ画面読み上げ音声合成技術などの新しい技術の実験と評価であった。博士はその後30数年、一貫して障害のある人の生活を技術の適切な利用で改善するというテーマに取り組み、100以上の論文、著作がある。国内外での講演も多い。

また博士は電子情報技術アクセス諮問委員会の委員長として、電子技術を障害のある人や高齢の人にも使えるようにするための米国リハビリテーション法508条の「技術基準」を策定した(2000年)。これによって、米国各企業がこの問題に真剣に取り組むようになった。同法は米国以外にも大きな影響を与え、日本では政府指針、業界規格、さらにはJIS規格「高齢者・障害者等配慮設計指針―情報通信における機器、ソフトウエアおよびサービス」シリーズの制定のきっかけの一つとなった。

博士は他にも多くの公的な役職を務めてきた。主なものには、下院の科学技術委員会顧問、電子産業財団の技術応用プログラム委員長、国立障害リハビリテーション研究所副所長、国立科学財団(NSF)の障害をもつ人のための上級プログラムディレクターなどがある。

博士はまたその業績に対して多くの名誉号や賞を受けている。たとえば、北米リハビリテーション工学協会(RESNA)フェロー称号、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校の障害センターのストラッシェ・ナショナルリーダーシップ賞受賞、支援技術コンピュータ国際学会(ICCHP)ローランド・ワグナー賞などがある。

さらに、障害をもつ生徒のための科学・工学・数学教育地域連合(RASEM)と障害をもつ生徒のための科学教育団体(SESD)には、博士の名前を冠した「障害のある生徒の科学教育に卓越した教員へのローレンス・スキャッデン賞」が制定されていて、障害をもつ生徒への数学、工学、技術などの教育に優れた業績を挙げた教員に贈られている。

博士は現在はハワイで引退生活を送っている。しかし楽隠居ではなく、ホームレスの人を支援するボランティア活動に力を入れるなど、依然として社会的な活動で活躍している。

さて、本書『期待を超えて』は、博士の見えない立場での人生を語ったものである。ここまで紹介してきたことからは、博士の人生は栄光に満ちた輝かしいものばかりのように見える。確かに博士は、自身の才能、両親や妻ソニアを含めた周囲の人々に恵まれていたといえるかもしれないが、やはり全盲ということから、あらぬ差別、偏見があって苦難も多かったものと思われる。しかし本書には困難とか苦労とかいうことはあまり出てこない。初めの方の章に、見えなくなっていくときの精神的危機や、修学、就職についての苦労が比較的淡々と書かれているだけである。「怒り」という単語はただ一箇所にしか出てこない。この辺りは、博士の人柄がよく現れていると言ってよいであろう。

本書は6つの部からなる。第1部「教育と経歴」は全体の約3分の1を占め、博士の生い立ちから、大学卒業、職探し、そして科学者、政策立案者、障害のある人の代弁者として国際的に称賛されるに至るまでの彼の活動が語られる。第1部は次のように始まる。

「ジム、あんたと奥さんはラリーに大学へ行けなんてそそのかしてるけど、それはあだになってるんじゃないか」。これは私の父がキワニスクラブの会合にでていたとき、校長先生から投げつけられた言葉です。1956年の春、私がストックトンの高校を卒業するちょっと前のことです。……両親は有名な大学の教育学の博士号を持っているその先生の忠告に従わなかったのです。

博士の両親は全盲の息子が大学に進むことに何のためらいもなく、深い理解をもって後押ししてくれたのである。冒頭にこれを掲げたことには、博士の、両親への感謝の気持ちと、周囲の危惧を振り払い、期待をさらに超えて人生を切り開いてきたことへの誇りがよく表れている。

第2部「見えないことの影響」は、盲の人の生活について人からよく聞かれる質問を取り上げて、自身の経験からその答えを示している。どれも筆者のように視覚障害のないものにとっては「なるほど、そうなのか」と思わせるものである。たとえば、単語や数字に色を感じる現象(共感覚)があるというのは面白い。人によって色は異なるが、博士にとってTという文字は深い金色、Eはミルキーホワイトだそうである。小さい頃の視覚経験がある人にはときにあることらしい。

第3部「自分自身の成長」は、子どもの頃の、見えなくてもできる遊びの工夫や、アマチュア無線の楽しみ、白杖での歩行や反響定位の利用の訓練、さらには恋愛の経験と悩みなどが書かれている。さらに、妻となったソニアとの出会いと、デートでは「キスの仕方がうまくなったわね」と言われたこと、やがて結婚して女の子の誕生で父親となった喜び、しっかり一家を支えてきた誇りが活(い)き活きと描かれている。

第4部「国際的活動の経験」には、講演などで訪問した、インド、イスラエル、西ヨーロッパ、ロシアでの体験と、それぞれの国での視覚障害の人の状況、貧しい人々への気持ちなどが述べられている。

第5部「珍しい体験」は、盲についてよく知らない人の盲の人に対する反応や、全盲であることから起こったいろいろな経験、アクシデントが描かれている。視覚障害のない人には気が付かないようなことが分かって、面白いと同時に参考になる。

第6部「半生を振り返って」では、まとめとして、盲の人が社会に完全に受け入れられるには、盲に適応するだけでは十分ではないということ、障害のある人が必要とする技術を得られるようにするためになされるべきこと、障害のある子どもたちとその両親に伝えたいことなどが語られ、障害のある若い人とその家族へのアドバイスで締めくくられている。

筆者が初めて博士に会ったのは今から15年ほど前の2月、雪の中をワシントンDCの博士のオフィスを訪問したときである。当時、リハビリテーション法508条について調査をしていた筆者は、前述のように、同法の技術基準を策定した博士にいろいろ伺うために訪ねたのである。

「ああ、こういう人を本当のジェントルマンというのだな」というのが私の第一印象である。大変うかつな話だが、それまで博士が全盲であるとは知らなかった。白杖を見て初めて知ったのである。

博士は大変地位があり、かつ多忙にもかかわらず、長時間にわたって筆者のつたない英語の質問に一つ一つ丁寧に的確に答えてくださり、帰りにはエレベーターのところまで送っていただいた。誠実な人柄がにじみ出ている方だった。本書にも面白いエピソードとして、ある眼科医が「……その義眼はどのくらい見える?」と聞いたことが紹介されているが、博士の目は義眼とは思えないほど輝いていて、アイコンタクトがきちんと取れるのである。これもまさにその人柄によるものだろう。

その後、日本でリハビリテーション法508条についてのセミナーを開くことになり、博士と奥様を講師として日本にお呼びしたのをきっかけに、筆者とは家族ぐるみのお付き合いをいただくようになった。数年前、ハワイの博士のお宅を訪問した際に「自伝を書いている。障害のある子どもとその両親に読んでもらいたいと思っている」と聞いた。昨年、出版された本が送られてきたので、日本でも紹介しようと、現在翻訳を進めているところである。

(おかもとあきら 筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター)

○自伝の原題(Surpassing Expectations: My Life without Sight)