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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年3月号

ワールドナウ

第9回ヘレン・ケラー世界会議&世界盲ろう者連盟第3回総会の報告

庵悟

第9回ヘレン・ケラー世界会議が2009年10月22日~25日、世界盲ろう者連盟第3回総会が10月26日~27日、アフリカ東部にあるウガンダのカンパラ市において開催された。

日本からは、盲ろう者5人を含む20人が参加した。

以下、その概要を報告する。

ヘレン・ケラー世界会議とは?

世界中から盲ろう者が集い、お互いの情報や経験を分かち合い、それを自国での取り組みに活かすための場である。また、会議を開催することによって盲ろう者の存在を啓発し、盲ろう者の人権、社会参加、機会均等を促進させるものだ。

第1回ヘレン・ケラー世界会議が1977年、ニューヨークで開催されたのをきっかけに4年に1回、世界各地で会議が開催されてきた。当初、この会議は世界盲人連合の支援を受けていたが、1989年、スウェーデンで開かれた第4回世界会議以降、盲ろう当事者の手によって企画・運営されるようになった。

そして、1997年、コロンビアで開かれた第6回世界会議では盲ろう者の当事者組織として、世界盲ろう者連盟の立ち上げが決議され、2001年、ニュージーランドにおいて設立総会が行われた。今では、世界盲ろう者連盟が世界会議の企画・運営を行っている。

世界会議の様子

会場の「スピークリゾートムニョニョ」は、ビクトリア湖湖畔に位置し、敷地内には会議施設やホテルのほかに、プール・乗馬場・結婚式場・ロッジ・レストラン等がある。

41か国から各国の盲ろうの代表者が通訳・介助者や言語通訳者を同行して参加した。アジア地域からは、バングラデシュ、カザフスタン、日本の3か国だけだった。全体で約400人が集まり、その中で、盲ろう者は90人前後(うち地元ウガンダからは15人)だった。

会議で使われる言語は主に英語。メインホールには、難聴者用のループ席や弱視手話を見やすくするための明るいスペースが設けられていた。しかし、英語によるパソコン要約筆記者がたった1人だけ、言語通訳ブースがない、舞台での全体手話通訳がない等情報保障があまり整っていない状況だった。各国で言語通訳と盲ろう者向け通訳を用意しなければならなかった。

私たち日本人グループは人数が多いため、早めに会場に行って席を確保した上で、日本から持ち込んだFMトランシーバーを使って、3人の日英通訳者の言語通訳により、通訳・介助者が指点字、音声、弱視手話等それぞれの盲ろう者に合わせた方法での通訳体制を整えた。

今回の会議のテーマは、「盲ろう者の権利が尊重され、強化されるために、我々は障害者権利条約をいかに活用できるか」というものだった。

開会式では、ウガンダの政府関係者が来賓のあいさつの中で「最初に批准した20か国の中にウガンダが入っていることを誇りに思う」と自慢げに話していた。

全体会では、世界盲ろう者連盟のレックス会長が総合司会を務めた。基調講演では講師もされ、障害者権利条約を盲ろう者の生活に引きつけて、とてもわかりやすく話された。

「条文に書いてある『障害者』という言葉を『盲ろう者』に置き換えて読んでみてごらんなさい」

「条約は、パーソナルアシスタントをつけることを権利として保障している。盲ろう者は、あらゆる場面で通訳・介助者をつけることが保障されなくてはならない。盲ろう者が困っていることやどうしてほしいのかを十分に説明する必要がある。そして、要望するだけではなく、どうすれば盲ろう者のいろいろな問題を解決できるのか提案する必要がある」

もうひとつ印象的だったのは、人権を専門とするフィンランドの盲ろうの弁護士のリク・ビルタネン氏が片手で触手話の通訳を受けながら、「公的文書とは何か、また市民社会団体は障害をもつ人の権利運動のために公的文書をどのように活用することができるのか」というテーマで発表されたことだった。

分科会は、11のテーマに分かれて議論が行われた。私が出た分科会「支援体制 通訳者・介助者、その他の支援者を得るためにどのように国連障害者の権利条約を活用できるか」では、スウェーデン盲ろう者連盟副会長で通訳者養成学校の教師をしている盲ろう女性のリンダ氏が盲ろう者向けの通訳を「盲ろう者が他の人と同じように独立して参加できるようにするのに必要な通訳」と定義することを提案し、「盲ろう者はあらゆる場面で通訳・介助者が必要。いつでも通訳を得られるようにたたかい続ける必要がある」と話され、日本でも頑張らなくては、と大いに勇気づけられた。

分科会「障害者の権利条約第12条 法・法的能力・人間の尊厳・人間の品性の下における人の認知」では、レックス氏が「法的能力とは自分のことを決める能力。第12条は意思決定に関するもので、自分で決めるための情報を持っていて、自分で決定した結果を確認できることが保障されるべきことをうたっている。結果については自分で責任をもつ。盲ろう者は自分でわからないからと、他人が勝手に決めてしまうことは違法になる。政府は、盲ろう者が自ら決定するための支援を保障しなければならない」と語られ、障害者権利条約が盲ろう者にとって強い味方になることが実感できた。

今回の会議では、日本を大いにアピールし、楽しく国際交流を深めることができた。

点字を発明したルイ・ブライユ生誕200年を記念した点字の夕べでは、当協会評議員の門川紳一郎氏が、日本の指点字の紹介をした。道具を使わないのでお金もかからない方法として、多くの注目を集めた。

当協会理事の福島智氏は、世界盲ろう者連盟のアジア地域代表の役員の立場で、過去4年間の日本におけるアジア地域での取り組みを発表した。アジア地域は、世界で最も組織化が遅れている。

私は、全体会で、権利条約第24条にある「deafblind」が日本政府の仮訳で「重複障害」と訳されているので、「盲ろう」と正しく訳してほしい、と訴える取り組みを行ったことを英語でスピーチした。

世界盲ろう者連盟総会

ヘレン・ケラー世界会議が終わり、10月26日~27日の2日間、2009年~2013年の役員を選ぶための選挙が行われた。会長は、デンマークのレックス氏が再任されたのをはじめ、15人の新役員が決まった。アジア地域代表として、福島氏が再任された。総会のとき、日本も何か国際貢献をしなくてはとおだてられて、計数者として、イギリスの健常の男性とノルウェーの盲ろうの女性と一緒に参加者の採決や投票の数を数える仕事をやらせていただくという貴重な体験をした。

この計数者が票を数えている間の時間を使って、6つの地域(アフリカ・アジア・ヨーロッパ・北アメリカ・南アメリカ・太平洋)代表役員が過去4年間の取り組みを発表した。

福島氏が発表するとき、最初に「私の体からなにやら煙のようなものが出ていますが、これは日本の伝統的な蚊取り線香であって、爆弾ではありませんので、ご心配なく」とあいさつし、会場は大爆笑に包まれた。ほとんどの日本人メンバーは、ウガンダに滞在している間、マラリア対策で携帯用の蚊取り線香やベープマットを昼夜問わず身に付けていたので、煙やにおいがたちこめていて、会議参加者の間ではかなりの評判だった。

総会では、次のことが決議された。

ヘレン・ケラー女史の誕生日である6月27日を「国連盲ろう者の日」として国連に提案することが決議された。また、2013年の世界会議を日本で開催されることが満場一致で承認された。

2013年世界会議に向けて

「世界盲ろう者連盟」が2001年ニュージーランドでの第7回ヘレン・ケラー世界会議において設立されたとき、福島氏がアジア地域代表委員に選出された。これを受けて、全国盲ろう者協会では、2003年より厚生労働省の委託を受け、「盲ろう者国際協力推進事業」を開始し、世界の盲ろう者事情について調査を進めるとともに、もっとも組織化が遅れているアジア地域を重点に、支援活動を始めた。

2005年、フィンランドのタンペレ市で開催された世界盲ろう者連盟第2回総会では、アジア地域の盲ろう者活動を強化するために、2009年の世界会議を日本で開催することが検討されたが、2009年は「アフリカ障害者の10年(2000年~2009年)」の最後の年に当たるため、南アフリカから開催の申し出があり(最終的にはウガンダで開催)、アジア地域での開催が見送られた。

その後、2007年3月には韓国へ代表団を派遣し、「韓国盲ろう者自立と支援会」の設立を支援した。

2009年3月には、ネパールにおいて合同の国際セミナーを開催し、今後の盲ろう者組織をつくるための足がかりを得た。

このような経緯の中で、2009年のウガンダの総会において、2013年の世界会議を日本で開催することが満場一致で承認された。アジア地域では、初めての開催となる。

日本開催に向けての取り組みを通じて、国連障害者権利条約を盲ろう者の立場で広めていくとともに、アジア地域の組織化をいっそう図っていきたいと考えている。

(いおりさとる 社会福祉法人全国盲ろう者協会職員)