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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年3月号

震災から2年、復興はこれから

中村亮

東日本大震災から早くも2年が過ぎ去ろうとしている。震災前の記憶が遠い遠い過去のことのように思えるほど、震災を境に時の流れが全く変わってしまった。

震災発生当時、私は自宅を兼ねた鍼灸治療院の事務室で、帰ったばかりの患者のカルテをつけながら、3時の予約患者の来訪を待っていた。午後2時46分、突然地鳴りを感じ「また地震か」と思った。2日前にマグニチュード7.3の地震があったばかりだったからだ。しかし、2日前の地震とは比較にならないほどの大地震だった。間もなく大津波警報が発令された。

外出先から戻ってきた妹と避難準備をし、近所の人の誘導で200メートルほど離れた一次避難場所に飛び込んだ。後ろを見ると、津波が車を巻き込んで流れていくのが見えた。その後、二次避難所になっている近くの寺院に移動し、そこで2週間ほど過ごした。500人を超す避難者ですし詰め状態であった。大人数の中での避難所生活は障害者にとっては極めて過酷な条件での生活となることを覚悟した。幸い同室の方々の配慮もあり、徐々に避難生活にも慣れていったが、トイレの環境が改善しないため、少し体調を崩してしまった。

障害者にはそれなりに福祉避難所が設置されているものと思い、身障者センターに問い合わせたところ受け入れてもらえることになり、早速移動した。だが、そこは正規の避難所ではなかったため、食材の調達は個人で行わなければならず、慌てふためいた。が、後日、緊急に福祉避難所に指定されたため食料調達の心配は解決した。

その後も紆余曲折がありながらも3か月を身障者センターで過ごし、6月下旬に仮設住宅に入居した。23棟、130世帯が入居する団地だが、視覚障害者であることを配慮していただき、分かりやすい位置に入居させていただいた。

安心したのはつかの間、そこは団地入り口の近くであるために車の出入りが頻繁で、視覚に障害がある者にとっては危険が伴うことが分かった。また、ゴミステーションの場所も離れており、駐車スペースと混在しているため、危険を避けるには遠回りしてゴミを捨てに行かなければならないという不便さも分かった。これらは後日、福祉相談員との話し合いで横断歩道や白線を引いたり、近所の方にゴミ捨てのサポートをしていただくことで解決することができた。

仮設住宅での生活を始める一方で、自宅の改修工事を行い、昨年1月下旬に自宅に戻ることができた。自宅は海岸から500メートルほどの地点。津波で1階の治療室は水没、2階も床上50センチまで水が入った。幸い鉄筋コンクリート造りだったため、土台や柱など構造的には問題がなかったので修繕して住むことにした。元の場所での診療再開を新聞広告にて告知し、一応震災前の生活スタイルを取り戻した。

私の居住する地域は、震災前の90%以上の建物が解体されている。被災2年目の昨年秋には市の復興計画が本決まりとなり、本格的な復興は今年からである。

現在の焼け野原同然の地域で生活するにはいろいろな面で困難が生じている。視覚に障害がある私たち兄妹にとって、最も大きな問題は外出時のサポートが不可欠だということだ。津波で目印となる建物がほとんどなくなっているため、単独歩行には不安と危険を感じる。まして、スーパーや銀行など日常生活に欠かせない店舗が遠方にあるため、移動には車両を利用せざるをえない状況である。そのためボランティアさんの存在はとても心強い。中心商店街の復興が形を整え、視覚障害者の単独歩行に支障のない程度に復興するまでは、現在のボランティア団体による外出支援の継続を切望している。

また生活を支えるべき鍼灸院の経営であるが、当院の利用者の中にも数名の犠牲者を含めて多数の被災者がいる。当然、方々(ほうぼう)の仮設団地に入ったり、みなし仮設住宅に入居しているのだが、地理的にも交通の面でも震災前とは大きく環境が変わっている。さらに被災による経済的な不安も加わって、来院する患者さんは、診療開始1年を経過した現在、震災前の5、60%にとどまっている。幸いにも新たに治療を求めて来られる患者さんもおり、今後のまちの復興に合わせた治療院の経営安定を図る上で大きなプラス要素として捉えている。

東日本大震災後の2年間に震度5程度の強い余震が数回発生し、津波警報や注意報が3回発令されている。そのうち、昨年12月のマグニチュード7.4の強い地震に伴う津波注意報(宮城県は警報)の際には、福祉課長が自ら避難誘導に駆けつけ、近くの寺院に避難した。

行政に対しては、震災後の釜石地域の視覚障害者協会の総会や県視覚障害者協会などの集まりを通じて、災害発生時における福祉避難所の設置や視覚障害者に対する避難支援マニュアルの確立などを訴えてきた。今後しばらくの間、さらに大きな余震の発生も予想される中、基本的には自らの身は自ら守ることを念頭に置きながらも、災害弱者の立場から、避難と支援のあり方をさらに細部まで検討していただくよう、関係方面との連携を固めておかなければと考える昨今である。

(なかむらりょう 岩手県釜石市)