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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年3月号

あれから2年が過ぎて

岡幸枝

あの日は、月一度の自立支援委員会の真っ最中だった。協議も終わりにさしかかった頃、突き上げるような揺れを感じた。市役所庁舎の天井はいまにも落ちてきそうだった。階下に見下ろした光景は、屋根や土壁の崩れた家。車中のラジオから聞こえる大津波警報の叫び声。数十分後、海は田畑や家をのみこみ、老人ホームをのみこみ、街を恐怖に包んだ。息子の入所している須賀川の施設に連絡すると、大きな被害はなく少し安心した。念のためにとすぐにガソリンを補給しに行ったので、翌日、補給を待つ長蛇の列に巻き込まれることは避けられた。

その夜から、わが家は津波からの避難者、翌日は20キロ圏内警戒区域からの住人と、てんやわんやになった。福島第一原発が爆発したのはそれから間もなくで、報道も情報も不十分なまま30キロ圏内にある南相馬市自体が屋内退避のエリアになった。やがて、福島県全体が原発のウイルスに侵されていったのだ。

14日夜、とりあえずの食糧と息子の必需品をかばんに詰めて街から避難。同様に、福島方面に向かう飯舘村の一本道は長いライトの列が続いた。めったに混雑しないこの道路のこの光景は、今なお忘れることができない。もうこの街には戻って来られないのかもしれない。言いようもない不安でいっぱいだった。会津に着いたのは夜中の1時を過ぎていた。

翌日、高速で片道1時間ほどの距離を1日がかりで息子を迎えに行った。息子は自閉症。避難の意味が分かるはずもなく、理解できない息子に2週間くらい会津にとどまること、南相馬の自宅には戻れないことを紙面で提示した。

避難生活で混乱しないようにスケジュールを立てた。会津には何度か来ていたので、比較的落ち着いて過ごすことができた。まだ外は寒かったが、日に何度も散歩をし、バスに乗り市内を散策した。

会津に来てほどなく、福島県自閉症協会の安否確認が開始された。県内全体の安否がすべて確認できたのは3か月ほど後のことだった。早い時期から安否確認が行われたことが、被害を受けた会員には安心感をもたらしたことを後に聞き、言葉を交わす意味、協会に入会している意味を深く感じた。

協会を通して各地から物資、人的支援、さまざまな支援をいただいた。自閉症の子を連れて列に並ぶことや待つことはなかなか困難な我々には、本当にありがたいことだった。

地元に戻り、幾日か過ぎて、支援団体による要援護者の安否確認が始まった。これがことのほか難航したのだ。個人情報の保護はこんな時必要なのだろうか。JDFをはじめ各支援団による個別訪問で、避難が困難だった人、情報不足で避難できなかった人や日常の支援は年齢を増すほど手薄であること、団体に所属していない人ほど支援が行き渡らないこと、障害をもたなくてもいかに弱者が多いかなど、さまざまな問題が浮き彫りになった。

あれから2年の歳月が流れた。いろいろなことが激変するほどの進歩があったわけでもなく、なんとなく日々が過ぎて行った。南へ向かう道路はいまだ立ち入ることはできない。山の中の一本道は、相変わらずラッシュが起き、高齢者の交通事故が頻繁に起きるようになった。

のどかだった街は一変し、子どもや若者の姿が少なくなり、企業や事業所の働き手の流出に歯止めが利かない。障がい者の事業所も例外ではない。年度末には、ボランティアや支援が打ち切りになる。安心できる支援が受けられるのだろうか。ただでさえ選択できるほどの資源や事業所があるわけでもないのに、ますます行き場がなくなるのではないか。警戒区域内の事業所には、戻る地もなく仮住まいのところも多い。

会員の中でも問題が多い。仮設や借り上げ住宅など、周りに気兼ねしながらの生活が続く。何よりもこの地は放射能という大きな不安を抱えながらの生活なのだ。ほとんどの土地は除染さえ進まず、市内の小中学生の帰還率は40%ほど。家族ばらばらの状態が、より大変な生活状態がいまだに続く。しかし、障がいをもつ子どもたちは、そこになじめず、戻ってくることも少なくない。だが、これは、不安があることを承知で、それでも元の生活を選んでいることを忘れないでほしい。

親や支援者の不安が伝わってくる。頑張っている人も実は心身共に疲れていることが多い。先に進むにはまだまだ立ち遅れている福島。多くの弊害やリスクを抱えた私たちも、ときにはメンテナンスが必要かもしれない。共に考え、寄り添い、子どもたちの療育、親の支援、事業所の支援をしていくうえでどのようなケアが必要だろうか。何が足りないのだろうか。国の機関の方々にも現状の複雑な姿を一度見ていただきたい。

豊かな自然に恵まれ、穏やかだったこの地が、現在もなお、さまざまな状況が改善されていないこと、済んでしまったことと記憶の中から消されてしまうことのないように、私たちはこれからも発信し続けていこうと思う。

(おかさちえ 福島県自閉症協会、南相馬市在住)