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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年3月号

名簿作りから新しいネットワークの構築へ
~福島県手をつなぐ親の会連合会の取り組み~

七宮弘

福島県手をつなぐ親の会連合会(以下、当連合会。会員数は現在1,886人)は、昭和33年に発足以来、幾多の時代の変遷を経て今日に至っておりますが、さすがにこのたびの「東日本大震災」に遭遇したことは晴天の霹靂(へきれき)であり、古今東西未曾有の大災害であったと思います。

思い出すのも嫌になるほど辛い体験は他県とは異なり、福島県は東京電力福島第一原発事故という想定外の苦難が襲いかかってきました。

浜通りの原発周辺の住民は文字どおり着の身着のままで、民族大移動を余儀なくされる事態になりました。

幹線道路は大渋滞になり、大パニックになるとともに全国各地に散り散りばらばら知人縁者を頼って移動して行きました。

特に幼い子どもをもつ親や妊産婦は健康被害に不安を感じ、福島県内に3,942人が移動避難し、山形県に10,572人、新潟県に6,014人、埼玉県に4,295人、栃木県に2,638人、東京都に6,870人、千葉県に3,168人、群馬県に2,094人、茨城県に2,337人と県外46都道府県に55,793人が避難しました(出典・共同通信社)。

震災前(2011年3月11日)の福島県の総人口は2,024,401人だったのに対し、2013年1月現在では3.2%減の1,959,000人で、200万人を割り込んでいます。

大都市と異なり、福島県の交通手段は自動車に依存しており、ガソリンスタンドの供給制限により移動手段にも困窮し、さらに停電も加わり二重三重の悲哀を味わいました。

富岡町の障がい者支援施設(2法人)は千葉県や群馬県に移転し、いまだに1法人は望郷の念にかられているとのことです。

しかしながら、いろいろな事情で県外に避難できなかった人々は、いまだに空気、水、食料などの放射能汚染による健康被害におびえる不安な日々を送っています。しかし、全国の仲間から心温まるメッセージや義援金をいただき、それにどれほど勇気づけられたか分かりません。

当連合会もただ悲しんでばかりはいられません。そこで、全国に散らばった会員の状況把握に着手しました。幸いにも携帯電話により、当連合会事務所から各市町村親の会会長への連絡が可能であることが判明し、それからようやく芋づる式に会員の移転先の把握に結びつくことができました。

しかし、転々に散らばった会員個人から会費を徴収するのは困難となりましたが、全日本手をつなぐ育成会からいただいた「義援金」の中から、当連合会の会費を3年間充当させていただくことができましたので、休会や解散が危ぶまれていましたが、辛うじて免れることができました。

次に、津波による建物被害、全壊、半壊、一部損壊、死亡、原発事故による帰還困難者世帯など、各市町村親の会からの上申を「義援金配分検討委員会」にて精査し、迅速に各市町村親の会(育成会)口座に送金しました。

涙ながらの感謝の言葉をいただき、今もって思い出すと目が潤んできます。

NHKや日本赤十字社等の組織と異なり、緊急時の連絡網を持たない当連合会では、今後の対応をどうするか苦慮しているところです。

福島県内の避難者は地元のテレビや新聞等での情報が入手可能ですが、県外在住者には情報が希薄になって不安が増幅してきていると推察されます。そこで、県内各地域の親の会の活動を情報誌(年1回発行だった)にまとめ、年4回に増刊して会員に届けようと計画し、現在印刷に着手したところです。そのため、会員の「住所録」作成に取りかかったのですが、個人情報保護法の弊害で頑(かたく)なに断られるケースが多く、四苦八苦しているところです。

大震災からもう2年になろうとしていますが、原発避難区域に指定された区域の土地は荒れ放題で、家の中は鼠(ねずみ)とハクビシンが住みつき朽ち果て、荒れ果てた農地には犬や牛が野生化し野放し状態になっています。働く場所もないところには復興の兆しは見えず、いつになったら元の生活に戻れるのかを考えると胸が締めつけられる思いですが、私個人の考えだけでは解決の目途(めど)は付くはずもありません。

障がいを有する者でしか分からない気持ちを皆で共有し、支え合い、明日に向かっていこうと奮い立たせている今日このごろです。

このたびの大震災に対し、全国の皆様の温かいご支援に感謝と御礼を申し上げます。

(ななみやひろし 福島県手をつなぐ親の会連合会事務局長)

図 福島県は今拡大図・テキスト