「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年8月号
スポーツ機器の開発と普及
齊藤直
1960年にスタートしたパラリンピックは、今日までにたくさんの競技種目が誕生してきました。たとえば、車椅子テニスや車椅子バスケットボール、それに、車椅子マラソンや、冬期パラリンピックのチェアスキー(モノスキー)はメディアでもしばしば取り上げられるので、誰もが一度は目にしたことがあると思います。
これらパラリンピック競技は、非常に見応えがある競技ですが、この「見応え」を創り出しているのは、「障害者スポーツ専用の用具」と言えます。
健常者のスポーツでは、種目やルールの特性を引き出すために、用具が開発・製造されています。これに対し、障害者のスポーツでは、使用者(障害者)の障害に合わせて、用具が開発・製造されています。ご存知では無い方も多いかもしれませんが、たとえば、車椅子テニスと車椅子バスケットボールでは、使われている車椅子が異なります。
車椅子テニス用の車椅子は、素早いフットワークができるように、キャンバー角やタイヤの経に改良がされています。また、車椅子バスケットボール用車椅子は、フレームが、コンタクトプレー(接触プレー)にも耐えられる強度に設計されており、また、スタート・ストップを瞬時に行うことができるように、キャンバー角やタイヤの経が作られています。
スポーツ用具が、競技に影響を及ぼすことは、スポーツをしたことがある人なら、誰でも身に覚えがあることでしょう。たとえば、素人がバドミントンを行う際に、ガットが硬く張られた重目のラケットを使うと、思うようにシャトルが打てず、また、腱鞘炎やテニス肘になりやすいリスクがあります。
逆に、素人がガットが緩めに張られた軽目のラケットを使ってバドミントンを行うと、シャトルが簡単に遠くまで飛び、また、身体的な疲労・ストレスが少ないので、「もう少しやろう」「またやろう」という、継続意欲が沸きます。
この「スポーツ用具が競技に及ぼす影響」は、熟練競技者(トップアスリート)にも当てはまります。たとえば、先のバドミントンの例で言えば、熟練競技者(トップアスリート)が、ガットが緩めに張られた軽目のラケットで競技を行なった場合、スピードの早いショットが打てない、強いショットが打てない、シャトルとガットが当たる衝撃に耐えられず、ガットが切れる・ガットの間にシャトルが挟まる、といったことが起こります。
逆に、熟練競技者(トップアスリート)がガットが硬く張られた重目のラケットで競技を行なった場合、スピードの早いショットや強いショットが打て、多才なショットの使い分けができる、となります。
つまり、「スポーツ用具が競技に及ぼす影響」は、競技レベルにかかわらず誰もが受けるものと言えるのです。
この「スポーツ用具が競技に及ぼす影響」は、健常者のスポーツよりも、障害者のスポーツの方が、大きくなります。
その理由は、たとえば、パラリンピックの種目である、チェアスキーや車椅子バスケットボールをご覧いただければお分かりのとおり、障害者スポーツ(身体障害者のスポーツ)は、競技者(身体障害者)のために製造・改良された用具があって、はじめて成立する種目(スポーツ)だからです。
たとえば、車椅子バスケットボール。車椅子バスケットボールの選手が、「生活用車椅子」や障害者・高齢者施設に常設されている「介護用車椅子」を使った場合と、車椅子バスケットボール用の車椅子を使った場合と、同じパフォーマンスが出せるでしょうか。
お察しのとおり、「生活用車椅子」や「介護用車椅子」では、車椅子バスケットボール用車椅子を使った時のようなパフォーマンスは、出せません。そればかりか、車椅子バスケットボール用車椅子を使うように「生活用車椅子」や「介護用車椅子」を使うと、その衝撃や動きに耐えられず、「生活用車椅子」や「介護用車椅子」は壊れてしまいます。
つまり、車椅子バスケットボールという競技は、「車椅子バスケットボール用に製造・改良された車椅子」があるからこそ、あれだけ早く、また、見るものを圧倒するプレーができるのだと、言えます。
この例で分かるとおり、身体障害者のスポーツでは、用具があって、はじめてパフォーマンスが成立するのです。言い換えれば、用具の開発が、選手のパフォーマンス(競技力)を向上させると、言えるのです。
そのため、身体障害者のスポーツでは、「選手の競技力向上」を基準に用具が改良・開発されています。しかし、「選手の競技力を向上させるための用具」だけでは、その種目に取り組む(触れる)人口が増えません。
先のバドミントンの例で言えば、ガットが硬く張られた重目のラケットとガットが緩めに張られた軽目のラケットの双方があって、はじめて、バドミントンという競技に取り組む(触れる)人口が増えるのです。
これは、障害者のスポーツでも同じです。実はあまり知られていませんが、競技用具の製造・開発を支えているのは、レクリエーショナルユーザー用用具の製造・販売です。
たとえば、北京パラリンピックから正式種目になった、ハンドサイクル。
ハンドサイクルは、トップアスリートモデルになると、空気抵抗を最小限にしたカーボンフレームや、徹底的に軽量化されたロードバイクコンポーネンツが使われています。
しかし、これらのトップ選手用モデルを必要とするのは、ほんの一部の選手です。そのため、メーカーは、ほんの一部の選手が使うトップアスリートモデルだけの製造・販売をする訳にはいきません。その理由は、「数が売れないから」です。
では、トップアスリートモデルは、どのような条件のもとに開発・製造されているのでしょうか。実は、トップアスリートモデルが開発・製造される背景には、「売れるレクリエーショナルモデルの開発・製造・販売」があります。
テレビや雑誌で見るハンドサイクルは、90%以上が競技用ハンドサイクルです。しかし、市場で一番売れているハンドサイクルは、素人が乗ってすぐに漕げる「レクリエーショナルモデル」です。
これが事実だとしても、日本人にはピンと来ません。なぜなら、日本では「競技」に取り組む人だけが、障害者スポーツに取り組んでいるからです。
アメリカやヨーロッパでは、障害のある人が日常的にスポーツを楽しんでいます。特にアメリカでは、身体障害者は、リハビリテーション施設入院(入所)中から、スポーツをする必要性とそのメリットについて指導を受け、また実際に体験できる機会があります。そのため、身体障害者は、リハビリテーション施設を退院(退所)した後も、毎日の生活でスポーツに取り組み、楽しむことができるのです。
ではなぜ、日本では、障害者スポーツのレクリエーショナルユーザーが少ないのでしょうか。それは、日本のリハビリテーション施設では、入院(入所)中に、障害者スポーツに触れる機会が少なく、また、入院(入所)中に、「身体障害のあるあなたが、なぜスポーツをする必要性があるのか」について指導されることが、ほぼ皆無だからです。
ハンドサイクルの例でお分かりいただけると思いますが、レクリエーショナルユーザー(楽しみのためにそのスポーツに取り組む人々)が少ないと、その種目で使われる用具の開発・製造は進みません。つまり、障害者スポーツ用具の開発と普及のためには、スポーツに取り組む障害者の『層』が必要だということです。
たとえば、ビーチ用車椅子ヒッポキャンプは、競技者を支えるために作られた商品ではありません。この商品は、身体障害者も海で遊べるように、開発・製造された商品です。
この商品の登場で、ビーチで遊んだり、マリンスポーツを楽しむ障害者が世界中に増えました。ヒッポキャンプは、日本でも各地の海で使われています。中でも、NPO法人FULL CIRCLE JAPANは、車椅子でもサーフィンの楽しさを! 日本全国の海にバリアフリーを! をモットーに、各地の海で活動をしています。
ヒッポキャンプの登場は、直接、障害者のマリンスポーツ競技を生み出したわけではありません。しかし、ヒッポキャンプの登場により、マリンスポーツを楽しめる障害者が世界中に増えました。
先に、ハンドサイクルを例にあげましたが、障害者スポーツという領域では、レクリエーショナルユーザーが少ないと、その種目で使われる用具の開発・製造は進みません。しかし、逆に、レクリエーショナルユーザーが多ければ、その種目(スポーツ)に取り組む(触れる)人口が多くなるので、用具の開発・製造にも期待が持てるのです。
レクリエーショナルユーザーが増える
↓
その種目(スポーツ)に取り組む(触れる)人が増える
↓
用具の開発が進む
↓
産業が起こる
つまり、NPO法人FULL CIRCLE JAPANの活動は、「用具の開発・産業を生むための元となる活動」ということができるのです。
2016年には、ブラジルリオデジャネイロで。2020年には、東京でパラリンピックが開催されます。つまり、東京パラリンピックまで、あと6年です。この6年で、日本国内でも、障害者スポーツに取り組むレクリエーショナルユーザーが増え、そこから競技者の層が生まれ、世界に発信できる障害者スポーツ用具の開発が進むことを、切に願っています。
(さいとうなお 株式会社ARE代表取締役)
・HP(www.are-jpn.com/)