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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年7月号

1000字提言

今日も聴覚障害の後見人が行く。

稲淳子

「100万円のリフォームが決まったって」。Aさん宅に訪問しているヘルパーから話を聞いた私はまたか、とダッシュして駆け付けた。業者をつかまえて「後見人でっせ。契約は無効や」と撃退。

Aさんは戦前生まれ、読み書きが不得手。いつ頃からか、聴覚障害の友達が家に来るようになり、楽しいよ、とにこにこしていたAさんだが、「50万円のパソコンを買ったよ」「温泉旅行に40万円いるよ」などお金に関する話が多く出るようになった。役所に相談をしたが、役所は、Aさんが自分で判断したことだからと言うばかり。

Aさんだけでない。手話で楽しく話せる仲間がいると、「お金貸して」「これ買って」とつい、気楽に応じてしまうのは、聴覚障害とコミュニケーションが仲間意識を作るから? 健常者中心の社会で歯を食いしばって働いてコツコツと貯めたお金なのに、同じ仲間だから、とお金を渡してしまう。聴覚障害者同士だけ通じる会話がいとも簡単に信用を作る。

Aさんが簡単に信用するからだ、と周囲が責めるのは簡単。でも、仲間を大事にするAさんは悪い?

知的障害を併せもつBさんは、親から遺産の土地をもらったが、土地の管理が分からない。親の知人だという健聴者が「代わりに管理するから」と言って、土地を売り、お金を持って逃げてしまった。周囲はBさんに、印鑑や土地権利書を渡すからだ、と責める。しかしBさんにとって、知人は手話ができるから信用できる人だった。手話でコミュニケーションがとれる。それだけで聴覚障害者は安心する。その心情が理解できない、と周囲は言う。

健聴者の顔色をうかがい、口の形を懸命に読み取って、愛想笑いをしながら毎日を生きてきたろう者たちにとって、仲間がいることの安心さは得難い。

「信じていたのに」と悲しい顔を見るたびに、大げさだけど意思疎通は地球より重い、と思う。そこに障害者、高齢者など判断能力が不十分な方々を、法律面や生活面で保護、支援する「成年後見人制度」がある。しかし、後見人は、ほとんどが健聴者だ。手話通訳者と一緒でも遠慮してしまう。困ったことは?と聞かれても、ない、と答える。実は、先週家に来た友人から投資を勧められたが、30年ぶりの友人なので断われない。通訳を介しても話しにくい。でも、後見人と直接手話でコミュニケーションがとれたら、目を合わせて話せる。「大事な友人だね、楽しかった?でも、投資はお金がたくさんいるね」と私は、投資の情報を提供しながら、一緒に考え、手話で話し合う。こうして、生活状態を見ながら安心して生活していけるように、と見守る。

「ほしい物をどんと買ってきてや。あなたのお金だから」と楽しい1日を過ごしてもらうために、今日も会いに行く。


【プロフィール】

いなじゅんこ。精神保健福祉士、社会福祉士として大阪ろうあ会館や重複聴覚障害者施設等で精神保健相談支援、ハローワークで就労支援のほか、後見人業務にも携わっている。日本聴覚障害ソーシャルワーカー協会会長。聴覚障害者。