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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年3月号

時代を読む77

精神保健福祉士国家資格の誕生

1997年(平成9年)12月の臨時国会の最終日に「精神保健福祉士法」が成立しました。当時、精神科の病院でソーシャルワーカーとして勤務していた私は、このことをとても素直に喜びました。日本の精神障害者に対する処遇の劣悪さは、内外の知るところであり、「隔離収容」は「保護」と名を置き換えられ、入院中に受ける処遇は「生活療法」と名付けられていた時代が長く続いていたのです。そのような中でも、退院支援や経済的保障の獲得支援、家族調整などに奮闘していた精神科ソーシャルワーカーの仕事が評価されたと思ったからです。

宇都宮病院事件という悲しい出来事のあと、1987年に精神保健法が成立し、精神障害者の人権の尊重、社会復帰の流れが芽を出し、精神障害者処遇にようやく新しい風が吹き込みました。初めて病棟に公衆電話が設置された日には、電話の前に長い列ができました。しかし同時に、ナースステーションの電話は家族からのクレームで鳴りっぱなしでした。「法律の改正で電話は自由にできるようになった」と説明し続けましたが「家にかけさせないでくれ、困る」と。家族にさえ存在を否定されていた患者さんたちが目の前にいたのです。1993年障害者基本法で初めて「精神障害者は福祉の対象である」と位置づけられても、それまでの間に国によって植えつけられた精神障害者のイメージはそう簡単には払拭できず、相変わらず「入院させておけ」の声が世の中の多数でした。

一方で、精神科病院ではソーシャルワーカーを採用する所が徐々に増え始め、長期入院患者の処遇改善、退院促進に前向きに取り組む病院も増え始めます。さらにその後、「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」の成立を背景に、精神障害者の人権擁護や地域生活支援を推進し、社会的入院の解消のためにも精神科ソーシャルワーカーの質及び量の向上が不可欠との理解が広がり、国家資格化が実現しました。

第1回の国家試験は、1999年1月に行われました。国家試験の受験には一定の経過措置があり、精神科ソーシャルワーカーとしての経験が5年以上ある者には、現任者講習会の受講をもって受験資格が付与されるため、私も毎週土日の講習会を受講しながら、一部の科目の講師を務めるという過酷な時間を過ごしました。受験勉強も講習もできたばかりの教科書と、社会福祉士との共通過去問題(当時は心理学・社会学など)に委ねるしかありませんでした。それでも、精神保健福祉士法は、私たちの念願でしたし、精神障害者の社会復帰(退院のみを意味せず広く社会的復権を意味すると私たちは考えます)が使命として与えられたことに喜びを感じていました。その後、精神保健福祉士に対する期待は高まり、障害者相談支援、教育領域、司法領域など支援対象者は、広くメンタルヘルスに課題がある国民へと広がりを見せています。

(橋本(はしもと)みきえ 西九州大学社会福祉学科准教授)