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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年3月号

当事者からの提案

視覚障害被災者の4年半後の支援訪問から

加藤俊和

私たちは、被災3か月後から、団体や施設とつながりのない被災地の視覚障害1・2級の人たち千人以上の方々を支援してきたが、4年半を経て、全員への電話確認と一部の訪問支援を行なった。以下はその中の状況である。

*70代、全盲男性、仮設で妻と2人暮らし

心臓ペースメーカー使用、以前は漁師で目が悪くなってからも近所で仕事をしていた。踏み竹などの運動を少ししたが面倒なのでやめた。手の届くところにラジカセを置き、ラジオと好きな歌をカセットテープで聞いて過ごしている。(訪問して話を伺った1時間半の間、座椅子から投げ出された両足は、むくんでいて全く動かされず、典型的な「生活不活発病」に陥っていると観察された。しかし、訪問介護員も「運動したら」と言うだけとのこと。)

*40代、全盲女性、復興住宅で夫と2人暮らし

仮設にいて、つい先日、モデル復興住宅が補欠で当たった。非常に使いづらかったが、断ったらずっと先になると言われて入居した。リビングと居室との通路の仕切りがなく使い勝手は非常に悪く、暖房費もかかる。居室のすぐ外が外部の人が通る通路となっていてカーテンも開けられない、ベランダに雪が少しでも積もると室内に水が入る。(彼女は難病の視覚障害者で理解されず、被災直後から辛酸をなめ尽くしてこられた方。復興住宅は健常者も多くの方々が断ったり転居したりしており、被災者の状況や意見が全く反映されていない住宅のようであった。)

*50歳前後、全盲男性、仮設で一人暮らし

仮設には最後にやっと入れた。復興住宅も障害者優先のはずなのに優先されず、8階になった。エレベータには音声案内があるが、他の配慮もほしい。

*その他

「水は床上40センチ、皆さんで片付けてくれた。料理、洗濯などはすべて自分でやってきた」という一人暮らしの方など前向きに過ごしている方もおられたが、少数であった。

そのほか、「震災後、障害がかなり進んだ」「体調を崩して入退院を繰り返している」という方は多くおられた。また、「かさ上げも道路もどうなるのかの情報がない」「一人暮らしで、圧迫骨折したり、夫の世話で体が弱り、よからぬことも何度か考えてしまったが、今は何とか立ち直った」など、さまざまな状況を伺うことができた。

当会では、今後への訪問支援活動に結びつけることを目指している。

(かとうとしかず 日本盲人福祉委員会、元視覚障害者支援対策本部事務局長)