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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年4月号

文学やアートにおける日本の文化史

「面白さ」と「やりきれなさ」と
―「心病む人」のアートを「観る/観せる」こと

荒井裕樹

2009年から、「心のアート展」という展示会が、概(おおむ)ね隔年で開催されている。「東京精神科病院協会」が主催するアート展で、同協会に加盟する精神科病院に入院・通院する人たちのアート作品を広く社会に向けて展示することを主旨としたものだ。

私も外部からの研究者として、このアート展の実行委員を務めている。毎回印象的な展示会になるのだが、2011年に開催された第3回展「生命の光芒―再生と律動」(アーツ千代田3331/10月20日~24日)は二つの意味で特別な回になった。一つは、東日本大震災の起きた年ということもあって、いろいろと思い悩みながら開催したこと。そしてもう一つは、堀井正明という人間と、彼の作品に出会えたこと。

第3回展の審査のために、堀井は長らく入院している病院内で描きためた作品郡から数冊のスケッチブックを送ってきた(当初は「H・M」というイニシャルでの応募だった)。それらの全頁には、人間と自然の万物が境目なく溶け合い、支え合い、反目し合うような、不思議で濃密な作者の宇宙観―いわば「堀井曼荼羅」―が描かれていた【図1】。作品のすばらしさにも驚いたけれど、それらを病院内で延々と大量に描き続けてきた人間の存在自体にも驚いた。私の掌には、スケッチブックをめくるたびに突き刺さってきた衝撃が、いまも皮膚感覚として残っている。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で図1はウェブには掲載しておりません。

自作の展示を観るために、堀井は病院職員とともに電車を乗り継いでアーツ千代田に来場した。線が細く、物静かで、予想していたよりも高齢に見えた。たしか私から一言話しかけて、堀井が一言うなずいてくれたような記憶がある。慣れない遠出に疲れたのか、会場にいた時間は長くはなかったが、フリースペースに座ってよどみなくコラージュを1枚作って行った。

その堀井は2014年の夏、入院する都内の病院で亡くなった。その後、堀井が実家で描きためていた作品が相当数存在することがわかり、彼を担当していた病院職員と、心のアート展実行委員とで作品を引き取り、実姉から詳しい話を聞かせてもらった。実家に遺されていた膨大な量の作品からは、堀井の「情念の残り火」さえ感じられた。実姉は弟の人生を「絵が生きることのすべてだった。絵しかない。そういう人生だった」と振り返ったが、家を埋め尽くさんばかりの作品や画材類は、文字通り「絵と共に生きるしかなかった人間」の苦難を物語っていた。

堀井が亡くなった翌年、「第5回心のアート展:創る・観る・感じる パッション―受苦・情念との稀有な出逢い」が開催された(東京芸術劇場5階 ギャラリー1/2015年6月17日~21日)。この展示会で、堀井という表現者が存在したことを広く知ってほしいとの思いから、「堀井正明特集展示」が企画された【図2】。堀井が自宅や病院で描きためた作品をまとめて展示できることは、私にとって天恵ともいうべき仕事だったけれど、それと背中合わせの「やりきれなさ」もなかったわけではない。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で図2はウェブには掲載しておりません。

こんなことは当たり前なので殊更に書くまでもないが、「心の病」は辛くて苦しい。それは本人ばかりでなく、本人を想う家族や周囲の人びとにとっても同じだ。本人も病気を怨み、病気になった自分を怨む。周囲の人びとも病気を恨み、場合によっては病気になった当人を疎ましく思うことさえある(「心の病」をもつ人は、そもそも「人間関係」と呼べるような関係性自体を奪われていることが少なくない)。

その一方、病気・病人と生きることは、「人と人が共に生きるとはどういうことか?」といった、日ごろ省みることのない問いを噛(か)みしめる貴重な契機ともなる。悩みなく健康に働き続けることとは異なる、人生のきらめく破片を知る好機ともなる。とは言うものの、こんなこともやはり「きれいごと」なのであって、苦難の渦中にいる人びとにとって病気はただただ辛くて苦しい。でも、辛くて苦しいけれど、その向こう側には、やはり得がたいものがあると信じたい……。こんなやりきれないジグザグ道を、とにかく今日1日分を歩き続ける。そして明日もまたこれを繰り返す。病気・病人と共に生きるとは、そういったことなのかもしれない。

「心のアート展」の作業が始まると、毎回このような「やりきれなさ」を凝縮して味わうことになる。たとえば堀井の作品からは、圧倒的な心の熱量が感じられる。それに触れることは面白い。でも、その熱量の背後には、彼と彼を支えた人びとの苦労が貼りついている。こんな熱量に溢れた作品を描いていたとき、堀井の病状はかなり厳しいものだっただろう【図3】。周囲の人びとも、生活のすべてを絵に注ぎ込んでしまう彼のことを複雑な思いで見ていただろう。そのご苦労を慮(おもんばか)れば、彼が遺した作品を観て軽々に「面白い」の一言を発するには、身を切るような覚悟がいる。でも、身を切ってでも叫びたいと思う。堀井正明の作品は「面白い」。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で図3はウェブには掲載しておりません。

「心のアート展」を続けていると、ときおり堀井のような表現者に出会える。自宅の一室で、病院の一画で、あるいはこの社会のどこか片隅で、絵画・文章・身体表現など、さまざまな表現活動=「アート」を支えにして、今日という日を生きている人がいる。そんな映画や小説みたいなことが、実際にいまもどこかで起こっている。でも、そういったことは忙しい日常に埋もれていて気付かない。アート展というささやかな祝祭は、そんな日常に少しだけ切れ目を入れて、堀井との出会いのような小さな奇跡を運んでくれる。

私は最近まで、そういった埋もれた表現者たちを「励ましたい!」「支えたい!」と強く思っていたけれど、実は要らぬお節介でしかないことに気が付いた。彼らは別に、私が励ましたり支えたりしなくても、自分にとって大切なことは自分で見つけて、きっと表現し続けるからだ。いまはただ、彼らがいまもどこかで表現できていることを静かに深く祈るばかりだ。

最近、「障害者アート」「アール・ブリュット」「ボーダレス・アート」と銘打って、病気や障害をもつ人たちの作品に重点化したアート展が盛んに開かれている。なかには本当に誠実で感動的な展示会もあり、こうしたアートの裾野が広がることを心から喜びたいと思う。ただ、そう思うのだけれど、やはり同時に「やりきれなさ」が頭をかすめる。

仮に「ボーダレス」と言った場合、その「ボーダー」とは一体どのようなもので、誰が作ったのだろう? どうして堀井正明はあんなに苦しまなければならなかったのだろう? それは単に病気のせいだったのだろうか? 社会が彼を苦しめなかったと言えるだろうか? 私たち一人ひとりが、彼と同じ病を抱える人を冷たく遇(ぐう)さなかったと胸を張って言えるだろうか? そして、そんな苦しみの裂け目から噴出した作品を「面白い」と言ってしまう自分とは何なのだろう……。

「力」のある絵は、技巧の良し悪しを超えて、「面白さ」と「やりきれなさ」という交わらない感情を投げかけてくる。でも、病気や障害と共に生きることは、そういった感情をまるごと抱えて生きていくことだ。実行委員の一人として「心のアート展」は、来場者の一人ひとりと、そうした感情を分かち合い、共に悩み、共に楽しめる場にしていきたいと思っている。

堀井正明の作品は「特定非営利活動法人 黒川こころの応援団」(宮城県黒川郡)が運営する「にしぴりかの美術館」に大部分が収蔵され、一部展示されている(HP:http://m-kissa.com/)。また堀井の詳細については、『第5回心のアート展 図録』(東京精神科病院協会発行)で紹介したことを付記しておく。

(あらいゆうき 二松学舎大学文学部)