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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年9月号

1000字提言

障害者が生まれにくい国

市川亨

日本の障害者福祉の予算は、欧州諸国に比べずっと少ない。そのため、日本は「障害者が生きにくい国だ」としばしば指摘される。では、たとえば英国と日本で障害者が「生まれにくい」国といったら、どちらか。誤解を恐れず言えば、答えは英国だろう。

どういうことか。それは、出生前診断に関係する。以下、ロンドン駐在時の取材に基づいて話をしたい。

英国では、母親の血液を使って胎児のダウン症の確率を調べる「母体血清マーカー検査」が1980年代から順次、公的医療に導入され、現在は一部の地域を除いて全国で提供されている。数万円かかる日本と違って、公費負担なので無料だ。複数ある検査の一つとして一律に行われるため、ほとんどの妊婦が特に意識することなく受けている。

血液検査でダウン症の確率が高いという結果が出て、羊水検査を受けて確定すると、約9割の妊婦は中絶を選ぶ。英国でも多くの人は知らないことだが、これは統計に基づく事実である。

では、英国ではダウン症の子はほとんど生まれないのかというと、それは違う。確かに一時期は減った。1990年に年間約740人だったダウン症の赤ちゃんの出生数は、2001年には約570人になった。ところが、出生率の回復で全体の出生数が増え、ダウン症の確率が高くなる高齢出産も増えたため、近年は90年と同水準に戻っている。

英国の名誉のために言えば、英国は障害者が生きにくい国では決してない。障害者関連の公的支出が国内総生産(GDP)に占める割合は、日本の約3倍。日本より約20年も早い1995年に障害者差別禁止法(現「平等法」)を制定した。障害を理由にした中絶の権利を認める一方、生まれてきた障害者の権利も尊重する。それが英国流の考え方といえる。

こんな話を持ち出したのは、「英国の障害者福祉は日本よりずっと良いのだろう」と思う人が多いが、そう単純でもないということを伝えたかったからだ。もう一つは先日、日本で試行導入されている新型出生前診断に関する記事を読んだためだ。羊水検査で異常が確認された妊婦のやはり約9割が中絶を選んでいた。障害が分かったら、約9割の人は産まない選択をする―。これは万国共通なのだろうか。

英国でも、気がかりなことはあった。出生前診断があまりに当たり前になっているため、いわば「思考停止」の状態に陥っているように思えたのである。「障害者が生まれる機会を奪っていることになり、差別につながる恐れがある」と指摘すると、初めてそれに気付いた、といった反応に何度か出くわした。

「障害者が生まれにくいけれど生きやすい」英国。では、出生前診断が広がっていったとき、日本はどうなっているだろうか。「生まれにくく、生きにくい」。そんなふうにはなってほしくないと思う。


【プロフィール】

いちかわとおる。全国の新聞・テレビなどに記事を配信する共同通信社・生活報道部記者。1972年山梨県生まれ。地方支局や厚労省担当などを経て、2011年から3年間、ロンドン特派員。16年から2度目の厚労省担当キャップ。ダウン症のある子の親でもある。