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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年5月号

素敵な出会いはトラベルで!トラブルで!?

大平啓朗

僕は北海道に住む、自称全盲の旅写心家(たびしゃしんか)。37歳。

僕が失明したのは24歳の秋。大学院生の時に、有毒なメタノールを誤って飲んでしまうという事故で僕は完全に光を失った。

目が見えていた頃から僕の趣味は旅とカメラ。車で、電車で、フェリーで、ヒッチハイクで…それに野宿もしながら日本中を撮影旅行していた。

失明した後は、いろいろとあったけれど、周りの支えもあり、僕はすぐに白杖を使っての歩行訓練を開始し、それから数か月後、大学時代の思い入れのある東北へ旅に出た。

「見えないで旅ってできるの?そもそも見えないのに旅って楽しいのかな?」、こんな疑問と好奇心が僕の出発を後押しした。

そして、単独歩行の自信がつくのとともに、僕の旅のフィールドは日本中へと広がり、事故から数年後、僕は、目が見えなくても旅は楽しめることを確信した。その街の風の香りや聞いたことのない鳥の囀(さえず)り、うまい飯、方言が……そこら中に待っていたから。

僕は目が見えなくなってから、思ったことがある。それは、『困っているのは障害者じゃなくて、どう接していいかわからない健常者ということもある』ってことだ。でもこれって、本当は健常者が知らないだけだったりする。

そこで僕は、すべて一般の家に泊まるというルールで47都道府県を一人で周ることにした。つまり、旅のテーマは「出会い!」「生の障害者を見てもらいましょ。触れ合って知ってもらいましょう♪」ということも旅の楽しみの一つにした。決して無銭飲食泊をしたかったわけじゃない(笑)。

2009年6月、旅のスタート地点である那覇市に到着すると、もう本当にウマくいかないことだらけだった。

旅費を稼ごうと自分の写心を道で売ってもぜんぜんダメで…。暑い沖縄ならタンクトップが当然だと勘違いして肩や腕が日焼けで水ぶくれになってしまったり…(涙)。そして一番問題になったのは、泊めてくれる人がみつからないということだった。どこの馬の骨かわからない、しかも全く見えない、写心家を自称する謎なヤツなのだから当然だ。

鹿児島県から宮崎県へ向かう高速バスの車内。覚悟を決めた僕は、通路の一番前から後方のお客さんに白杖をジャーンと見せ、「宮崎県で野宿するなら、どこが一番安全ですか~」と大声で叫んだ。もちろん、期待したのは、「ウチに泊まりますか?」という答えだ。すると、「○×△?川の近くは比較的、安全でーす!」という返事が返ってきて…。僕の祈りはアッサリと散った(号泣)。

それでも旅を続けていると、僕も自分の旅の目的をよりシンプルに、そしてきちんと人に伝えられるようになっていき、「全国のみんなでゴールまで繋(つな)げるぞ~」と楽しみながら応援してくれる人たちまで増えていった。

「旅は迎える方も楽しいよ♪」宮崎県でもらったこんな嬉(うれ)しい言葉も自信に変えて、九州を北上し→四国→本州→ゴールの北海道の最北端、宗谷岬に到着した。僕は結局、一度も野宿することなく47都道府県を366日間で周り切った。

この旅では、一緒に夏休みの宿題をやった児童養護施設の子どもたちから「まった来てね~!」と嬉しい言葉をもらったり、「バスなんて乗せないよ。少しでも長く一緒にいたいから次の県まで車で送っていくさ♪」、「泊まる所がみつからなかったら、いつでも戻ってきていいのよ」…と僕は人の温かさに触れる毎日だった。

僕は旅をして大切なことに気付いた。

それは、「障害のことを過剰に気にしていたのは僕なのかもしれない」ってことだ。心を開いて、自分のできること、できないことを素直に発信すれば、人は温かく接してくれるし、サポートもしてくれる。

僕は、なまら良いヤツっていうわけではないけれど、なぜか旅で出会った人と仲良くなれるのも、こういうことなのかもしれない。人と人との心の交わりに障害とか健常とか関係ないと思う。気の合う人は合うし、合わない人は合わない。もっと言うなら、合うなら会うんだよ、きっとね。

旅の楽しみ方は人それぞれでいい。でも、気持ち一つで人生(たび)はいくらでも楽しくできるというのはみんな一緒だと思う。

僕の旅には、いつも素敵な出会いが待っている。それと、旅をより楽しく演出してくれるいろんな問題も…。だから僕はこれからも、狙ってトラブル気はないけど、見えないものにビビってトラベらない気はもっとないんだ。

(おおひらひろあき 旅写心家)