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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年7月号

時代を読む93

銀鈴会の創立と歩み

公益社団法人銀鈴会は喉頭、咽頭、甲状腺、食道などのがんのため、声帯を摘出し声を失った人たちに対して食道発声、電気式人工喉頭(EL)発声、シャント発声等の代用音声の獲得をお手伝いするボランティア団体である。銀鈴会は東京を中心に活動する団体であるが、全国の56の団体約6000人で日本喉摘者団体連合会を結成し、全国151か所の発声教室を展開している。

東大病院医学博士であった高藤次夫(たかふじつぎお)先生は銀鈴会の初代会長の重原勇治(しげはらゆうじ)氏を手術し、昭和29年重原氏と共に喉摘者団体、銀鈴会をお寿司屋さんの2階に10人ほど集めて立ち上げた。以来今年で63年である。

銀鈴会発足以前は、タピア式の笛式人工喉頭による発声がほとんどであった。彼らは発声器具に頼っていてはコンプレックスとなり、自分の肉声で会話できれば身体障害者の引込み思案を克服し、自信と勇気を持って社会復帰できると考えた。当時、欧米で行われていた道具を使わない肉声の食道発声を銀鈴会の指導訓練の主流とすることに決めたが、食道発声の音声を聞いたことがなく、練習、訓練方法も分からないなか、ドイツの文献、資料を読み漁って調べた。

高藤先生の手術で昭和34年に入会した中村正司(なかむらしょうじ)2代目会長は高藤先生と毎日6、7時間におよぶ練習の結果、彼の食道発声は喉頭がある健常者と聞き分けられないほど上手で、後に名人と言われるほどになった。この中村会長の存在が食道発声を大きく発展、レベルアップさせた。その後、銀鈴会で上達した会員が地方に戻り、地方の指導者として発声訓練指導に貢献され、食道発声法は全国的に普及することとなった。

また先人たちは「声をなくした喉摘者に国境はない」という信念の基、高価な道具を必要としない食道発声法をアジアの喉摘者にもと、昭和59年、喉頭摘出者団体アジア連盟(AFLA)を創設し、10年間にわたる国連の助成金を得て加盟各国の拠点都市に喉摘者団体の設立と指導者養成研修の手助けをしてきた。

こうしてアジアの食道発声の普及に大きく貢献した成果が認められて、国連の経済社会理事会は平成9年、喉頭摘出者団体アジア連盟に対し国連と協議資格を有するNGOと認定し、AFLAが発行するすべての印刷物に国連のシンボルマークを使うことを許可したのである。その後、時代に合わせてEL発声教室、シャント発声教室などを開設した。平成25年には指導手順を標準化し、指導員を「日喉連認定発声訓練士」と位置付ける資格制度を確立した。この日、喉連認定発声訓練士の資格制度は代用音声習得の主役である発声指導員に励みと自覚を促し、全国どこでも同質の質の高い訓練が受けられるようになったのである。

(松山雅則(まつやままさのり) 公益社団法人銀鈴会、NPO法人日本喉適者連合会、NGO喉摘者団体アジア連盟、各会長)