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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年8月号

列島縦断ネットワーキング【北海道】

第7回日本脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会 北海道帯広大会
~障害のある人たちと共につくりあげた大会の報告

菅谷智鶴・水口迅

日本脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会について

2017年6月10日~11日、一般社団法人日本脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会の第7回全国大会が、北海道の帯広で開催されました。

この学会は、病気やケガで脳損傷になった時、どのように回復し、主体的に暮らしていけるのかを、障害当事者、さまざまな職種や立場の人々が集まり、研究しています。「ケアリング」とは、障害のある人々が周囲から一方的に支援を受けることに限定するのではなく、お互いが影響しあいつつ双方向で支え合い、学び合う関係であることを意味しています。

大会の概要

大会は2日間の日程で、基調報告、市民公開講座、当事者を主体に座談会やシンポジウム、音楽パフォーマンス、ポスター発表などが行われ、脳損傷のことなど、障害当事者の生の声を発信し、市民レベルで多くの方に知っていただくことを目的にプログラムを企画しました。

実行委員会の取り組みの中で

第6回の東京大会での精神を引き継ぎ、第7回大会でも実行委員に当事者が参画し、大会の核となる部分を形作っていきました。その他のメンバーもバラエティに富み、医療福祉の分野に限らず、保健職、行政職、僧侶や当事者家族、学校の教員、観光業界など幅広い方々が集まりました。障害も、高次脳機能障害、脳梗塞の後遺症や脊髄損傷、脳性マヒの方などが集まり、さまざまな角度から議論ができました。

実行委員会は月2回4時間の長丁場で、最初の半年は、そのほとんどを障害当事者の体験に耳を傾け、「知る」という時間に費やしました。冷蔵庫を開けると洋服が入っていたりするなど想像もつかない当事者のエピソードに、聞く側は、その生活の大変さを想像し深くうなずくばかりでした。伝える側は、皆がうなずいて聞いてくれるのが嬉(うれ)しく、気持ちや行動に変化が起こったといいます。「これまでは分かってもらえないという気持ちが強く、一方的に自分の思いを発信ばかりしていたが、今は人の話を聞こうと変化している。自分にとっては奇跡に近いことだと思っている」と話してくれました。

安心して本音を語り、聞いてくれる場として保障されることが、それぞれの持つ力を引き出すきっかけになることを感じました。一人ひとりの思いを丁寧に聞き取り、まずは受け止める。そんなスタンスがこの大会の基盤となっていきました。

他にも、さまざまな変化が起きていきました。これまで「高次脳機能障害があるから文章は書けない」と言っていた方が、仲間からの「苦手なのはみんな同じ、障害を言い訳にしてはだめ。できなかったら手伝う」という声かけに発奮し、登壇者に熱烈な思いを込めて依頼文書を一晩で書き上げました。失語症でなかなか思ったことを表現できず、大勢の前で話をするのは無理と言っていた方が、大会の総合司会を立派に果たしました。

また、ある人は、この学会に関わるまでは、街で車いすの人が前から来たら目をそらし、大きくよけ、障害者と話す時は、慎重に言葉を選んでいたといいます。これは障害のことが分からないことへの恐怖心からだと振り返っています。この1年、さまざまな人と関わることで障害者ではなく一人の人間として見られるように、自分の意識が変わったと話しています。

大会プログラム

いくつか、大会プログラムを紹介いたします。

市民公開講座は長田乾氏による、脳損傷の機能回復についての講演でした。当事者が困難に抵抗するレジリエンス(復元力)が重要であり、好奇心が高いことや未来への肯定的な感情、安定した生活環境、信頼できる人間関係によって、その威力を発揮するというお話でした。

脳損傷者の当事者自身が体験を語る座談会では、31歳で発症し失語症になった野村隆敏さんが、どん底から這い上がるきっかけの一つに飲み屋通いをあげました。飲み屋に上手に話を聞いてくれた人がいたことで、会話の機会が増え、言葉の改善と出かける意欲につながった体験を語り、会場を大いに沸かせました。

スポーツについての座談会では、約3年半前に脳幹出血に見舞われた神田光幸さんが、諦(あきら)めていたゴルフを再開したことを報告しました。そのきっかけは、ゴルフをやりたいと会議でつぶやいたことでした。仲間の「やりたいなら、やればいっしょ~」の一言に背中を押され、打ちっぱなしから、コースに出ることになり、さらには受傷後、初の道外旅行を兼ねて片マヒのゴルフ全国大会に行くことになるなど、次から次へと目標ができ「やりたいと思うことを発信することが大事!」と呼びかけました。

また、神田さんはパフォーマンスでも思いの込もった太鼓を披露しました。「大好きだった和太鼓の演奏をもう一度やってみたいと自ら手を挙げました。それからの約4か月間、片手での演奏用に曲をアレンジしたり、練習方法に工夫したりして何とか本番の演奏にこぎつけました。病後、すべてに自信を失っていた僕ですが、障害を負ってしまったが諦めずに創意工夫と努力を積み重ねていけばできないことはないとの想いを強くした出来事でした」と語っています。

実行委員 千葉絵里菜さんの感想

最後に実行委員として、この学会に参加し、総合司会とシンポジウムの登壇者として大活躍した千葉絵里菜さんの感想を紹介したいと思います。

『大会1日目の総合司会。「これから日本脳損傷者ケアリングコミュ二ティ学会を始めます」と、大学の後輩(札幌学院大学4年・奥田桂子氏)と声を一緒にして夢の共演。大会2日目、シンポジウム登壇。総合司会より緊張感が増してご飯も口にできないほどでしたが、内容の濃い充実した最高の舞台でした。

ケアリング・コミュニティで感じたことは3つです。

1つめ、夢はどんな障害があっても追いかけられるということ。和太鼓を叩いた片マヒの神田光幸氏を舞台裏で見ていて涙が出た。片マヒで一本の手でしか叩けないけど、立派に聞こえた。

2つめは、当事者から発信していくことの大切さ。今後は、いろいろな活動を通して「障害者だって頑張って生きてるんだぞ」というのを見せていきたい。さまざまな人たちが共に考える世界は絶対に面白い。多種多様の人が集まって、議論したり笑ったり泣いたりする世界になればいい。

3つめは仲間ができたこと。自分の意見を言っても否定することなく、受容し、その意見を共有しあう。「お腹すいた!あのお店へ行きたいけど行けない!」と言った時、してあげてる感ではなく、一緒にしようという感じが伝わる仲間ができた。何か失敗をしても、人生経験だからと言ってくれそうな家族みたいな仲間。ありがとう。ケアコミ。これからもよろしくお願いします』

おわりに

この1年、大会の成功を目指してきましたが、皆の感想や変化から、成果だけではなく、開催までのプロセスにも意義があったとつくづく感じています。実行委員の間で、健常者と障害者という区別は意味を持たなくなったのですから。

派手な取り組みではないけれど、ケアコミの輪にたくさんの人を巻き込んでいき、等身大の私たちで、今後も活動していきたいと思っています。

(この原稿の本来のタイトルは「さまざまな人たちと共につくりあげた大会の報告」だと思っています。タイトルに「障害のある人たちと」と入れざるを得ないのは、一般的にはまだそれが当たり前ではない、ということです。いつか、それがどうした当たり前だろ!と言われる社会になることを願って)

(すがのやちず 第7回日本脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会北海道帯広大会大会長・みなぐちじん 同大会副大会長)