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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年10月号

盲導犬ユーザーとして伝えていきたいこと

鈴木加奈子

どこへ行くにも、いつも左足に温かなぬくもり、そして「大丈夫だよ」と言ってくれているような力強い足取りをハーネスから感じつつ、風をきって自由に歩ける幸せ。

盲導犬とともに歩く安心感は、何にもかえがたいものであり、私にたくさんのチャレンジする気持ちや勇気をも与えてくれている。

現在、私の隣りに寄り添ってくれている盲導犬は、2代目となるアリエル。イエローのラブラドールの女の子だ。明るくて愛嬌たっぷりの彼女は、どこへ行ってもみんなから好かれるキャラクターである。

もともと弱視であった私は、大学4年生で一気に視力低下し、卒業後、ほとんど視覚を失った。それまで、白杖も必要としない程度の視力があった私だが、見えなくなってからは、常に外出は家族の手を借りなければならず、必要以上の外出はできなくなり、引きこもりがちになっていた。

そんな時、とある盲導犬ユーザーのホームページに、「見えていた頃と同じような速度で、風を感じながら歩けるようになった」という文を見つけ、私もまた風を感じながら歩きたい!もっと自立したい!という気持ちが一気に芽生えた。

白杖の訓練をしてから3年後、待ちに待ったその日がやってきた。初めてのパートナーは、ナンシーという真っ白な大きな女の子。1か月間の共同訓練を終え、夢に見ていた盲導犬との生活がスタートした。

風や鳥の声、花の香りを感じながらの目的もない散歩は、私にとっての最高の時間だ。開放された自然体な自分になることができ、胸を張って歩けるようになった。外出の機会も増え、人との交流範囲も広がった。

パートナーの世話も日課に加わった。排泄、食事、ブラッシングや歯磨き、月一度のシャンプーなど。でも、これらのことを大変だと思ったことは、一度もない。彼女たちは、それ以上の喜びや幸せを私にくれている。

時には、とても悲しい出来事もある。レストランでの入店拒否だ。犬は外につないでおいてほしいなどと言われてしまうことがたまにある。話をすることで理解していただけるお店もあるが、なにを言っても理解していただけない時は、本当に悲しい。悔しいや怒りの気持ちではなく、悲しいのだ。パートナーを全否定されてしまったような気がして、やり場のない気持ちになる。せっかくの楽しいはずの外食が、心がすっきりしないものになってしまう。補助犬法の周知徹底の必要性を感じている。

それと同時に、ユーザー側としても、やらなければならない義務もある。「行動管理」「健康管理」「衛生管理」の3つだ。これらをしっかり守ってこそ、胸を張ってどこへでも入店できるということなのだ。

昔は、公共交通機関に乗るのにも、あらかじめ乗車時刻を伝えておかなければならないという時代もあったようだ。それに比べれば、現在は、補助犬ユーザーにとって、かなり生活しやすくなったと思う。それも、今までのユーザーの方々の地道な努力があったからこそだ。未来のユーザーのためにも、今私たちが積極的に社会参加し、理解を広げていくことが重要だ。

たて続けに起きた、盲導犬ユーザーのホーム転落事故は大きな衝撃をみんなに与えた。盲導犬がいるから大丈夫だろうという認識が、直接、手助けするチャンスを失っていたのかもしれない。盲導犬の仕事は、段差、障害物、曲がり角を見つけることの主に3つであり、あとはユーザーの頭の中の地図と盲導犬の動きを照らし合わせて、ユーザーが指示を出している。そのため、頭の中の地図がくるってしまうと、盲導犬がいても迷ってしまうことも多々あるのだ。信号の判断も、犬ではなく人がしている。「お手伝いしましょうか?」などの声かけがありがたい。

盲導犬は決してかわいそうな犬ではないということも伝えていきたい。まだまだ世間では、盲導犬=かわいそうな犬というイメージを持つ人が多いように思う。世間一般で見られる盲導犬の姿は、いつもキリリとしてユーザーを誘導しているという姿だろう。ところが家に帰りハーネスを外せば、普通のペットのように過ごしている。おもちゃ遊びもするし、ひざに乗ってきたり、仰向けになって甘えてくる。そのような姿も、もっと積極的に伝えていきたい。

ユーザーと盲導犬は、特別な絆で結ばれている。その様子は、常に笑顔でパートナーに話しかけながら歩くユーザー、そしてその隣りで、しっぽを振りながら誇りに満ちた顔で歩いている盲導犬を見ていただければご理解いただけるだろう。

ユーザーの社会参加がもっとしやすい世の中となるために、これらのことを社会へ伝えていく必要性と、質の良い盲導犬育成やユーザー個々の技術向上が、よりいっそう求められると思っている。

(すずきかなこ トロンボーンソリスト)