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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年10月号

頸髄損傷の私とタフィー
―生活を変えた感謝の出合い―

平野友明

「介助犬に興味ない?」。毎年秋に行われる国際福祉機器展で、日本介助犬協会から声をかけられたのは平成24年。その存在は知ってはいたものの、目の前に実際の介助犬が居ることに興奮し、まるでテレビや雑誌を見ているような感覚のまま話を聞いたことを覚えている。

その約半年後に2歳で、石川県初の介助犬候補としてやってきたのが、私の相棒「タフィー」。今年の8月に8歳になった、ちょっと小柄なラブラドールレトリバー。優しい目が特徴的な甘え上手な女の子である。

私の障害は「頸髄損傷」、仕事中に屋根から転落したのだ。手術後のICUのベッドの上では、手足が動かない・寝返りが打てないのはおろか、顔や頭が痒(かゆ)くても自分で掻(か)くことができない。そのため、気管切開していた2か月間は、容易にナースコールを押すこともできず、声も出ないので、掻いてほしいと訴えることすら至難の業だった。しかしその頃から、自分自身で決めていた目標がある。それは「一人で外出する」ことだった。

こんな状態で、一人で外出するという目標を、家族や友人は鼻で笑っていた。しかし介護者と喧嘩(けんか)をしても、その介護者の手を借りなければ気分転換すらできない。常に誰かがそばに居るのは人間らしくないし、絶対に嫌だと強く思っていた。

しかし退院してみると、思った以上に家族が離れられない状況が続いた。私は胸から下がマヒしており、自律神経もうまく働かない。突然、体温や血圧が上がったり下がったりするなど体の不調が頻繁に起こる。それに対応するため、介護者である妻は買い物にもなかなか出られない。肺活量が少なく、腹筋が利かないため、テレビがついていると自分が呼ぶ声すら隣の妻には届かず、そのため、妻はお風呂もトイレも開け放して入る生活を強いられることとなった。

また、私自身、母親がリウマチで、子どもの頃からさまざまな道具を工夫するのを見て育ち、介護についてもある程度知識を持っていた。そのため、もっと生活しやすくすることを常に考えて、入院中から知り合いの福祉用具業者に「こんな道具ない?」と聞いては「ありません」と返されることの繰り返しだった。退院し、それがだんだんといたちごっこのようになって来た頃、「東京の国際福祉機器展へ行って、ほしいものを探して来てください。あれば仕入れます」と、事実上、両手を挙げられてしまい出かけたのが、冒頭の福祉機器展で、私が介助犬を持つきっかけとなった。

それから約5年。私の生活は大きく変わった。一番大きなことは、日帰りではあるが、補助犬学会に参加するために一人と一頭で飛行機に乗り、東京に行ったこと。日常生活では、退院時は、通院もリハビリも妻が付き添っていたが、今では買い物や会合もタフィーがいれば付き添いはいらなくなった。妻も自分に付きっきりの生活から、週に3日程度、アルバイトに出られるようになった。

介助犬は手足の代わりというより、心通わせ・目と目を見ながら世話を行うという、生きているからこそ、他には代えられない心の支えとなっている。

今でも、血圧が低い・寒い・痙性が強いなど、体調不良のため1日をベッド上で過ごしたり、やっと起き上がれてもすでに夕方ということが時々ある。しかし、介助犬がベッドの足元でじっーと待っている姿を見せられては、「なんとか起きて世話をしないと」という気持ちが自然と湧き上がってくる。辛いのを我慢してなんとか起こしてもらうと、タフィーはしっぽを振りながらすり寄ってくる。無我夢中で世話しているうちに、不調だったことをすっかり忘れてしまっているのは日常茶飯事だ。

また介助犬は、障害の進行や自分でできる動作の変化にあわせ、仕事を増やしていける。介助犬に頼んでできたことは、自分でやったことだと思えると使用者の間ではよく言われるが、介助犬のおかげで「自分でできること」がどんどん増えてきた。

そして最も大きなことは、あちこちで介助犬の啓発活動も含めた講演活動をさせていただくようになったこと。きっと自分の経験が役に立つ人がいるはずだからと思って断らずにきたら、これ以上は受けられないくらいになってきた。その時に、妻は介助犬のデモンストレーションを行い、時にはすでに成人した子どもたちもボランティアとして加わり、家族共通の話題も増えた。近隣に代わりができる人がいないという緊張感と、体調不良でも多少無理を利かせ出かけることで、寝込む時間が短くなった。そして講演時はもちろんのこと、病院やショッピングモールなど、あちこちで介助犬は人々の潤滑油となっている。

ケガをしなかったら会えなかった人・経験できなかったことが山ほどある。しかしそれらすべては、タフィーがいるからこそ、自然と集まってきたもので、タフィーには感謝しかない。

(ひらのともあき 石川県脊髄損傷者協会)