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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年10月号

1000字提言

気楽が一番

今中博之

真似(まね)っこしている。わたしの子どもは幼稚園の年中さん。今中さくら、4歳だ。食べる仕草(しぐさ)も、話す言葉も、なんだかわたしに似てきた。「これは、さくらが食べるの。パパのと違うで」とお茶碗をぶんどり自分のものにする。そうかと思えば「パパは靴下を自分で履けへんのやから、さくらが履かしてあげるからな」なんていう。我欲と気づかいが互い違いに顔をだす幼子をみていると、わたしの素性もこうなのだと苦笑する。

わたしが、お空に還(かえ)ったお婆(ばあ)ちゃんと暮らしたのは、7歳のころまでだった。よく親戚の叔母ちゃんにこんなことを言われたものだ。「ひろっちゃんは、お婆ちゃんとそっくりの気性してるな。負けん気は強いし、口は達者、そんで人を笑かすのがうまいわ」。いまもわたしは、お婆ちゃんの真似っこしている。そのひとつが「気楽が一番」だ。

一緒にいて、心配することなく、のんびりとしていられる気楽な「ひと」が側(そば)にいてほしい。そのひとを家族と友の中に求めたい。ただ、容易(たやす)く得られるものではない。ひとは〈わたし〉からの支出に対して、〈わたし〉への収入が見合わない時、感情が苛(いら)つきざわつきだす。「わたしは、これだけ愛しているのに…あなたは…」と。

〈求めない─すると心が静かになる〉〈求めない─するとひとから自由になる〉〈求めない―すると自分が無意識にさがしていたものに気づく〉。お婆ちゃんと同じ時代を生きた故・加島祥造氏は“足るを知る”という老子の思想から生まれた「求めない」1)ことを詩に託した。それは「気楽が一番」と同義語である。〈求めない─すると君に求めないひとは君とともにいる〉。

わたしの持っているものを握りしめていると、新しいものは入ってこない。求める心を少しだけゆるめれば、人生は案外、楽かもしれない。

お婆ちゃんは、日中、酒屋の店番をしていた。陽が落ちれば内職がはじまる。その内職は、和裁所から送られてきた着物の手直しが主だった。着物のほつれを直したり、小さな糸ゴミを探してはテープにひっつけて取っていた。内職で得たお金は、親戚の子どもたちの生活費や学費に消えた。当然、支出は増大し、収入が伸びないお婆ちゃんの生活は苦しかった。屋根瓦は崩れ、家の天井から空が見えていた。そんなあばら屋に子どもたちは集まり、飯(めし)を食べ、雑魚寝をして学校に出かけていく。それがお婆ちゃんの「気楽が一番」の状態だったのだ。

「気楽が一番」な仕事をして、「気楽が一番」なひとと暮らしていこう。それが「気楽」である。


1)加島祥造(著)、2007『求めない』小学館

【プロフィール】

いまなかひろし。1963年生まれ。先天性下肢障がい。社会福祉法人素王会 理事長。アトリエ インカーブ クリエイティブディレクター。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会エンブレム委員、同委員会文化・教育委員。厚生労働省、文化庁構成員等。賞歴:Gマーク・通産大臣賞等。著書:『観点変更』等。