障害児の養育にさいして認められる親の情緒的問題

障害児の養育にさいして認められる親の情緒的問題

 Emotional Issues in Raising Handicapped Children

 Elva O.Poznanski,M.D.

中司利一**

 障害児を養育することはどれほど困難であるか医師が気づけば、適切な時期に一層多くの援助を与えることができるであろう。疾病の情緒的側面は身体的側面ほど取り扱いが容易ではない。大多数の障害児はヘレン・ケラーにはならない。非常に大切なことは、障害児は、早くから学校から脱落したり、職を見つけるのが困難であったり、客観的に能力があるのに失職する傾向を持っていることに注目することである。

 児童の持つ欠陥は家族全体に―障害児自身だけでなく―本当に好ましくない効果を与えている。しかし、パーソナリティーのどの領域が侵されるかについての研究結果はさまざまである。また、こうした家族にどれほど多くのストレスが与えられているかについて特に測定している研究もない。養子縁組に関する機関(adoption agencies)では、すでに重度な障害児のいる家庭には児童を送らないところをみると、障害児の親はストレスを受けているということが仮定されている。ここで、次のような疑問が提起される。「障害児の心理的問題は養育過程にその原因を求めることができるか?」

 筆者は主として二つのグループ、身体障害者と精神薄弱者について論じることにする。精神薄弱者の家族の方がストレスが多いということがいくつか示されているが、両方のグループには多くの共通点が認められる。たとえば、ときには障害と遅滞の間に共生関係がある。すなわち、盲児は一つの感覚刺激が低下するため、その母親から視覚以外の方法で刺激することを教えられなければ正常な発達の割合に近づかない。また、ダウン症では、遅滞のひどさは遺伝的な原因からだけでなく、生後最初の数年間のマザーリングの性質(または施設でのその欠如)から生じる。

 純粋な情緒障害児の養育は、この論文では扱わない。障害に対する情緒的反応は明らかに、ある共通の特徴を持っている。しかし、いくつかの問題はユニークであって特別な疾病から生じるであろう。さらに、親は、背景やパーソナリティーのちがいのためにこれらの児童に非常にさまざまな反応を示す。それにもかかわらず、また一般化しすぎる危険はあるが、本論文は主として、障害児を養育するときに共通してみられる情緒的反応に焦点をあてることにする。

 予言できることであるが、欠陥のある児童の誕生は、父親と母親の両方に情緒的混乱をひきおこす。どちらの親も、無力感、失望、不信、怒り、混乱、罪障感によってうちたおされる。こうした種類の感情を小児科医が受容すれば―良き母親と父親についてのわれわれの文化が持つステレオタイプな考えでは受け入れられないものであるが―、医師と家族の間に多くのラポートをつけることができよう。

 母親は妊娠期間中欠陥のある児童を持つ可能性をしばしば恐れている。しかし、こうした考えはあっても、実際は決して、欠陥のある児童に対する準備をしていない。いろいろな理由でそれは困難なことであろう。一般に児童は両親の延長と考えられている。そこで、欠陥のある児童を生むことは、失敗したという経験を両親に与える。Solnitは、大半の親が妊娠中に心にいだいた期待された児童のイメージは、父親、母親、祖父母などの望ましい特性の組み合わせであるため、その状況を嘆きの反応(mourning reaction)になぞらえている。これらの楽しい期待にもとづいた予想は、児童が欠陥を持って生まれたときうちこわされる。Solnitは、妊娠中空想した正常児が失われたことによる苦痛は、本質的には悲嘆反応(grief reaction)であると考えている。KleinとLindemannは欠陥のある児童の誕生を家族の「危機期」と名づけている。それは、他の危機状況と同じように、ここで家族の破壊が生じ、いかにそれを解決するかは、後の家族の機能を非常に強く決定するからである。

 いくつかの指摘によれば、両親の反応の状態は社会経済的階級によって異なり、嘆きの反応は社会経済的に高い家族の方が強い。そこでそれは、文化と結びついた現象であると考えられる。多分、これらの家族は、児童に対してあらかじめ高い期待をいだいており、それがより強い反応を生じていると考えられる。大家族の場合は、一人の児童への期待は少なく、そのため苦痛を和らげることができる。しかし、情緒的問題を経験しない家族は一つもなく、大半の家族は現実的適応を行うために時間がかかる。

 どれほど多くの時間があれば十分か、また限界はどのくらいかはわからない。しばしば若い小児科医は、すぐ受容することを期待する。精神科の教科書にある6か月という期間でさえ、一つの幻想であるかもしれない。重度な心理的外傷後に再適応するためにはその程度の期間が必要であるということは一般に認められているが、それが現在述べている場面にあてはまるとは思われない。多分、あらゆる心理的外傷は比較的長い期間があれば適応されるが、障害児の場合、その物理的存在が常に悲しみと失敗を思い出させるため、外傷はある意味で進行しているといえよう。

 中途障害児に対する両親の反応も、欠陥のある児童の誕生に対する反応と似た過程をたどる。両親は健全な児童に期待していた目的や空想を放棄し、それとは別のそして通常期待を下げて、障害児に接しなければならない。

 この変更は容易ではない。しかし、中途障害では一つの大きなちがいが認められる。児童が生後障害児となったとき、通常、両親はすでに児童に強い結びつきを形成している。新生児の場合は、母親の情緒的な結びつきはまだ相当に弱く、簡単に阻止される。

 医師はこうした母親と新生児の間の高度に傷つきやすい関係を認識し、必要とされる医学的知識を与えるときは、できるだけ安心させる存在でなければならない。筆者は、家族にあらゆる可能な結果をすべて知らせる傾向のある時代には、児童の長期の発達のため制限が必要とされると考えている。母親と子どもの結びつきは、障害児が、身体的に母親から離れた特殊な医療を必要とするときにもこわされる。たとえば、乳児がさまざまなチューブや装置のついた保育器に入れられると、母親は、抱くという単純な腹部の満足をうばわれる。

 最近の研究は、母親と児童の間の早期の身体的接触が欠如すると、母親の子どもに対する愛着行動(attachment behavior)の発達が遅れることを示唆している。乳児が入院していたため、1か月接触が遅れた母親は、初期から接触していた母親と比較してより少ない愛着行動を示した。彼女たちは、乳児を見たり、笑いかけたり、愛撫したりすることが少なかった。この必要とされる早期の身体的接触の欠如は、多くの未熟児が後によく育つことができなくて入院する理由であると仮説的に考えられている。同様に、虐待された子ども(battered children)は、未熟であったか、出生時に重大な疾病にかかったことのある可能性が強い。

 障害児の養育という情緒的な衝撃に対してただちに見られる反応は、児童から離れることまたは拒絶である。アパート症候群児はしばしば、精神薄弱児施設に入所している。しかし、専門家たちは、知恵遅れについて現在かなりの疑問を示しており、これらの児童は実際は器質的には劣っておらず、心身の形成期に、両親によって多くの拒絶をうけたためにそうなったのではないかと考えている。この可能性は、Spitz、Goldfarb、およびYarrowの研究にもとづく有名に母性的養育の喪失の効果と一致している。アパート症候群の場合、はなはだしい拒絶は乳児のみにくい容貌によると思われる。いくつかの病院では、形成外科が乳児の顔と四肢の様子を変えるため早期の手術を試みて、家族が乳児を受容することができることを期待している。

 すべての重度な奇形児が両親によって拒絶されているわけではない。ある児童は、筆者が会ったうちで最悪の一人であったが、顔がひどい奇形であった。まぶたは反転しており、下あごは形成不全で四肢はエビのはさみ状の奇形を呈していた。しかし、両親は思いやりがあり、物わかりがよく、児童の年齢にあったゲームや本を使って一緒に遊んだ。普通でない唯一のことは、看護婦が児童の世話をすることを拒絶したことであった。母親は、普通の人が児童の奇形にどのような反応を示すか敏感で恐れをいだいているように見えた。そして、児童を隠そうとしていた。後に、次の年、幼稚園に連れていくことをどんなに怖がっていたかを述べた。

 欠陥が目に見えるかどうかが、どんなに重要であるかはいくら強調しても足りない。もし目に見えるならば、児童が障害児であることはすぐにわかる。障害児というラベルは情緒的な意味を持っている。そこにはほとんどすべての人―両親を含む―によるステレオタイプで固定した態度が含まれている。軟骨形成不全者の主な障害は身長の低いことである。文化的に、低い身長の者は高い身長の者よりも社会的評価が低い。巨人は反対の方向にある異常であるが、小人ほど社会的拒絶を受けない。目に見える障害はいつも否定しがたく、そのため、情緒的に反応することを避けることはより困難である。それは人々の中に好奇心をひきおこし、またひっこみをもひきおこす。

 幼児はしばしば障害児を見ると次のようにたずねる。「あの男の子はどうして歩くことができないの?」「あの女の子はどうしておかしなかっこうをしているの?」親は困って、普通、静かにするようにいい、多分「そんな質問をするのは失礼ですよ」とつけ加える。しばしば、障害児の親は人々のせん索のもとで恥ずかしさを感じている。これに加えて、成人社会は障害者を見ることを嫌悪しているため、彼らは自分自身と児童のために社会的隔絶を選ぶ。小児科医は両親と良いラポートを持っていれば、社会的隔絶への傾向とたたかうのを助けることができる。

 最初のショックのあと、両親はしばしば、障害が永久的な喪失を意味することを否定しようとする。彼らは児童が成長すると障害がなくなるとか、治療法が見つけられるとか、家ではみんなうまくやるとか言うかもしれない。この種の否定は適応過程の一段階かもしれないし、ずっと続く態度かもしれない。否定は両親の慢性的悲しみを静めるのに必要であり、ある意味である程度適応していると論ずる者がいる。しかし長期にわたるはなはだしい否定は医学的管理を妨げ、両親と児童の心理的適応をじゃまする傾向がある。

 筆者は、子どもが先天性心臓疾患を持っているという考えを持つことができなかった母親を思い出す。彼女は娘を検査のため大病院につれてきたあと、最終的な検査の直前に助言に反対して子どもをつれさった。このパターンはミシガン大学に別の検査のため入院したときもくり返された。子どもは最終検査がなされる前に、突然退院した。筆者が知っている最後のことは、母親が娘を、三番目の医療センターへ入れたということである。児童の心臓機能についてさらに検査の進められる前に、母親は感情を切り抜けることができるよう援助を受けていればよかったのに、と思うであろう。いずれにせよ、この例は、どのようにして否定が医学的管理の妨げになるかについての多くのバリエーションの一つである。

 障害児の親は自分たちの怒りを直接児童に向けることは難しいと感じている。このことは、しつけを困難にする。それは、通常しつけはある程度の怒りを必要とするが、障害児に怒りや攻撃を向けることはだれにも大きな罪の感情をひきおこすからである。われわれはみな、障害者に特別にふるまい、怒りの感情を隠す傾向がある。この意味で障害児の親はユニークでない―彼らは葛藤を一層強く経験しているにすぎない。これは医師が親にとって助けとなる領域である。

 すべての親は、正常児であろうと障害児であろうと、自分の子どもがいなければよいと願うときがある。こうした感情はちょっとしたものであるときは問題にならない。しかし、それがしばしば生じたり、強いときには親は罪障感を持ちやすい。障害児は両親に多くの要求を行うが、比較的少しの報いしか与えないため、ときには普通感じるよりももっと強い怒りの感情さえひきおこす。特別な負担による怒りの感情、子どもの親の気持を考えない要求によるイライラ、無力な子どもに対する怒りと敵意のために感じた罪障感―これらはみな家庭の生活にとって嵐の目となりうる。

 しばしば児童は両親の憤慨と罪障感を感じとり、それを利用してさらに自分の要求に応じるように圧力をかける。そして、憤慨、罪障感、過保護の悪循環ができあがる。一般的に、親は怒りをくいとめるため強い防衛を行う。

 親が示すさまざまな姿勢の中で、過保護は非常に一般的なものである。児童は兄弟よりも多くの注意を得ることと、障害からみて必要とされるものより多くの注意を得るという点の両方で過保護の状態にある。両親によるこの特殊な構えは、こうした児童の身体と情緒のリハビリテーションにとって取り扱いにくい障壁である。過保護から生じた問題は多く、種類もさまざまである。たとえば、筆者らの病院では、医師と理学療法士は、ときに、児童を入院させて両親切除術(parent ectomy)を行わなければ新しいレベルの運動機能に達することができないと感じている。過度の受動性と未熟さは親の過保護と相関があるようである。

 まさに過保護はこのように問題であるので、その背後にあるものを理解することは重要である。明らかに大半の親は、あたかも反対の情緒を感じているかのようにふるまうことによって、怒り、不快、罪などの感情を否定することができる。両親たちは子どもに制限のあることをまた思いだしはするが、子どもがその制限とたたかっているのを見るという苦痛をまぬがれる。最後に、過保護によって親は子どもの機能不全を償うことができる。―それは一部は子どもに欠陥のある才能を与えたことによる罪障感から生じた要求である。

 過保護はこうして多くの目的のため役立っている。それは両親と児童の両者が孤立することとからんでいる。慢性病児の親は近所の人々とつきあいをしなくなる傾向があり、まれにしか児童を休暇や散歩に連れていかず、息子や娘が社会に出ることを思いとどまらせる傾向がある。家族の孤立は、アンビバレンツな感情を薄めるのに非常に必要なチャンスをほとんど与えないため、こうしたことは問題を曲げてしまう。交際することを直接制止することは、児童にさらに制限を与え、隠さなければならないもう一つの不快の源をつくりあげる。

 このような親は地域社会からだけでなく、自分自身の家族の中でも孤立する傾向がある。Linderは障害児の親とグループワークを行って、女性はみな、家では子どもの機能不全についての話題は出ないと報告することを見い出した。そこでは沈黙が続いている。障害児の親は祖父母と欠陥について話しあうことをかなりいやがっている。しかし、おそらく、最も重大な沈黙は夫婦間のものであろう。障害児を持つ家族にみられる高い割合の離婚を考えると、こうした場合の代価は明白である。

 結婚生活に問題のないときでも、父親は家族から孤立する傾向があり、母親は子どもと一緒になる。こうしたパターンは障害児の家族に特有のものではないが、もちろんすでにストレスのもとにある夫婦関係にさらに問題をつけ加える。

 親に成就感を与えることのできる養育は、子どもの障害について十分に知り、成長と発達のチャンスを最大限与える場面を作るよう努力することである。ときには奇妙な状況のもとで慈悲にあふれた養育が行われる。生育歴に生後早く生じたてんかんを持つ青年期の少女がいた。彼女は児童期の中ごろ、母親の死という心理的外傷を経験し、4年間州立病院に入院した。しかし、父親の愛人が一緒に住むと、彼女は新しい、より高度の学習や社会性を獲得することができた。その婦人は少女の要求を理解し、非常にバランスのよくとれた保護と養育の感情を与え、同時に新しい学習を行うようはげましたのである。

 Selma Fraibergは、ノイローゼの問題に深く立ち入らないで、どうしたら一緒に遊ぶことによって視覚障害のある乳児の技能のレパートリーを広げることができるかを、教育者は例によって親に教えることができるということを示している。脳性マヒ児の親は、幼児が自分自身の手のとどくところにおもちゃを置くことが、どれほど大切であるかを知らなければならない(しばしば無視されている)。ともかく親は、子どもの身になって、世界はどのように見えるかを理解し、同時に子どもが成長と発達のために必要としているものを客観的に知覚しなければならない。

 正常児にとって思春期は、親と児童の両者に性についての意識を持たざるを得ない身体的変化を意味している。たとえ親に性の混乱を助けることができなくても、友だちとのつきあいや援助が大きな力を持っている。思春期の障害児の場合、孤立しているため、友だち関係に欠けているであろう。さらに彼の身体的な外観のハンディは成熟した性となるため障壁をもたらすであろう。親の態度は非常にしばしばこれらの問題をさらに難しくしている。脳性マヒ児の母親とのグループディスカッションで、母親は子どもが性の感情について述べることにまったく否定的であり、起こりうる結婚についてアンビバレントであることが見い出されている。ここでは、親は過保護し、障害児をずっと子どもとして考えるという立場をとっているが、それは本質的には障害児を無性としつづけるということを意味している。

 そこで興味あるのは、思春期の障害児が彼らのグループディスカッションで親よりも、もっとすぐに性についての問題をとりあげたことである。多くの親は、正常児の場合でも、性的な問題には不安を示すので、障害児の親がそれを難しいことであると考えるのは当然である。性についての質問はまれにしか直接提出されず、その場合もばくぜんとした形で言及される。こうした問題に自信のある医師は、思春期の障害児と親に知識を与えるだけでなく、カウンセリングのために多くの援助をすることができる。

 ときには、障害児を家庭で養育すべきかどうかの問題が出生時又は後の段階で生じる。以前は、もし新生児が出生時に明白な欠陥を持っていた場合、医師は、両親は子どもを見ないでただちに施設に入れるよう助言、しばしば主張したであろう。今では、欠陥についての親の空想は実際よりもずっと悪く、子どもを見ることは実際は情緒的な援助となるということが認められている。明らかに親以外のだれもこの決定、とりわけ重度な奇形を持つ場合、をすることができない。すぐに施設に入れることを主張した医師は、親が障害についての感情を直視することをさけ、彼らが子どもと深く結びつく前に施設に入れる方が幾分楽であることを直観的に気がついていた。

 今日、大半の医師は、とりわけ6才まで、母親が障害児を家庭で養育するよう、はげましている。それは一般に児童の発達は施設より家庭での方がすぐれているからである。実際、いくつかの州は、児童が5才か6才まで在宅するよう要求している。あるいは、施設に入るためのウェイティングリストは5~6年間の長さがあるため、実質的にそうせざるを得なくなっている。いくつかの家族では、このことはひどい苦しみをひきおこしている。児童が成長したとき、施設に入れる問題が生じた場合、両親は彼らの感情、欠陥のある児童を持ったことについてだけでなく、養育にあたって生まれた無数の感情すべてに直面しなければならない。施設に入れることに対する親の反応は、非常に複雑で緊張にみちている。前のアンビバレントな感情が再びめばえ、次のような恐ろしい質問をなげかける。「子どもを拒絶しているのではないか?」またはもっと一般的には「どうして子どもを手離すことができるか?」家族はしばしば、最終的決定を下す前に何年もの間、罪や恐怖や不安とたたかっている。

 家族が施設入所を決定する場合、情緒的要因とは別のいくつかの現実が入所の時期に影響を与える傾向がある。その第一は障害の程度である。より重度な障害児は早く施設に入れられる傾向がある。第二の要因は年齢である。すなわち、身体的な介助は、年長の体格の大きな思春期の児童よりも年少の児童の方が容易である。さらに、あまり述べられていないことであるが、施設入所の時期にあたって、思春期の性の問題が一つの役割を演じているのではないかと思われる。

 筆者は養育に焦点を置いてきたが、障害児の兄弟に与える影響も切りはなせない問題である。大半の障害児の親は正常な子どもも持っている。臨床家は、親たちがほとんどのエネルギーと注意を、正常児を除外して、あまりにもしばしば、障害児に向けることを知っている。児童精神科医として筆者は、障害児よりももっと重度の情緒的問題を持つ正常な兄弟にたびたび出会ってきた。また、しばしば、障害児が兄弟にどのような情緒的影響を与えているかについての調査は、調査者の偏見によってゆがめられている。すなわち、調査者は、障害児が在宅すべきか入所すべきかについて、強い個人的感情を持つ傾向がある。そのことは、調査またはデータ自体に疑念を投げかけるものである。

 Grossmanはいく人かの者は障害児を兄弟に持ったことから利益を受けているようにみえたと報告している。それは、彼らが大学生として同年齢の青年より寛大で、思いやりにあふれ、偏見に注意しているように思えたからである。筆者は、それらの学生が福祉に関する専門を選んだことが、単に成熟または思いやりの問題にすぎないのか、罪や敵意、あるいは両者の強い感情に対する過保護のあらわれなのか疑問を持っている。しかし、どちらが正しいかは十分なデータがないのでわからない。

 Grossmanの研究では、別の兄弟は傷つけられており、家族の状況についてはげしく憤慨し、怒りの感情を示し、自分自身を失っていた。いくつかの家族では最年長の姉に一層多くの重荷が負わされていた。彼女は早くから母親の責任の多くを受け入れるよう求められている。

 筆者は臨床でしばしば、精神薄弱児を兄弟に持つ児童の問題に出会ってきた。それらは親が精神薄弱児の養育という負担に努力し、残りの児童が必要とする時間と注意を犠牲にしたことから生じている。現在、精神薄弱児の場合、施設での完全な保護をやめ、地域社会の援助を受けながら家庭で養育することが賛成される傾向にあるが、地域社会がもっと適切な援助を発展させる前に、別の理性のない極論がでてくるかもしれない。地域社会の援助としては、たとえば、デイケアセンターのようなものがあげられる。それは家族の非常時や休暇の間の短期間の全日保護やカウンセリングサービスを行うこともできる。

 要約すると、家庭で障害児を養育するのは非常に難しい課題である。こうした児童の養育では多くのストレスを受ける。そこで、彼らを家庭で養育するかどうかを決めるときは、どの家庭もそれにうまく対処する能力が自分たちにあるかどうかをよく判断しなければならない。われわれはそうした場合いつでも必要な援助の手をさしのべることが大切である。

(Rehabilitation Literature,November 1973 から)

参考文献 略

ミシガン大学精神医学部助教授
**横浜国立大学教育学部助教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1974年7月(第14号)18頁~24頁

menu