心理 スティグマの処理と切断者リハビリテーション

<心理>

スティグマの処理と切断者リハビリテーション

Stigma Management and Amputee Rehabilitation

Harris Chaiklin*, Ph. D. and Martha Warfield**, M.S.W.

橋本厚生***

 米国では、障害者の約2/3が少なくとも何らかの医学的治療を受けるが、そのうち、リハビリテーションを全うする者の比率はわずか18%にすぎない。トリートメントがほどこされなかったり、不完全なものであったり、あるいは失敗に終わったりすることは、人類に大きな損失をつくり出すことになる。リハビリテーションにおける身体的・心理的構成要因は徹底的に調べられてきているが、トリートメントの他の要因については、医師はなかなか考えようとしない。1960年代になって初めて、社会的諸要因が真剣に考えられ始めた。

 ここで報告される研究は、切断者たちがその障害のために生じた人間相互間の緊張をどのように処理するかを明らかにする。静的な社会的変数を越えて、専門家がそのトリートメントを進める上で社会的諸要因を統合できるようなプロセスにまで移行するために、相互作用の要因に焦点をあてた。Elledgeによれば、ソーシャル・ワーカーは、そのチームの他のメンバーたちが、患者の生活状況をそのすべての社会的現実のうちに見るように、患者の社会的状況を設定できなければならない。〔心理社会的評価〕は、病気もしくは障害が当該患者やその家族に対してもつ意味を個別的に示してくれる。

 Goffmanのスティグマ概念は、障害者が直面する重要な社会的現実を要約している。スティグマとは、「個人が社会的に十分受け入れられる資格をはく奪されている状況」のことを言う。切断のように、スティグマのもとになる属性が明白な場合、期待されるもの(全人的な健常者の1人)と現実にそうであるもの(「びっこ」)との間の食い違いにより生ずる緊張の処理に直面することになる。こうした相互作用を扱う方法が、スティグマ処理(stigma management)と呼ばれる。処理上の戦略には、健常者として「通用」(“pass”)してしまおうとする方法もあれば、社会的に孤立した仲間との接触に限定してしまう方法もある。

 身体障害者のスティグマ化された地位や社会的周辺性は、従来から知られていた。期待され、受容されている健常者から逸脱している人々のスティグマ化された感情は、その行動の諸点にはっきりと影響を及ぼしているという仮説を証明する研究文献が徐々に現れている。

 障害者のトリートメントにおける相互作用の要因が重要であると次第に認知されてきているにもかかわらず、スティグマを扱っているごく最近の文献は、相変わらずソーシャル・ワーカーや他のチームメンバーによって無視されている。リハビリテーションの専門家たちがスティグマを認めて、扱おうとしないことが、彼らの専門業務の失敗の原因となっている、とFriedsonは述べている。彼によれば、専門諸機関は、スティグマを認めず、そのためスティグマが実際にコミュニティの中に社会的に存在するという事実を無視する傾向を強く持ち、結局、個人のコミュニティ生活に与えるスティグマの結果も否定する傾向を強く持つのである。Sillerもまた、リハビリテーションの心理学的要因の重要性を強調し、以下のようにきっぱりと言う。「家族やコミュニティとの相互作用から生ずる現実問題について、適切なオリエンテーションをせずに人々を送り出している我々はあまりにも不注意すぎる」。

 リハビリテーションが成功するかどうかを予測しようとする際に、社会的諸変数を使用する研究は、従来から、年齢、性別、自己概念といった静的な要因に焦点を置いてきて、相互作用のうちに生ずるところのダイナミックスには焦点を置いていない。Fishmanは、以下の三組の変数をもって研究する必要があるとしている。1)切断者が処理しなければならない経験と現実の諸問題、2)この経験に対して示す行動的、情緒的反応の種々性、3)客観的な経験と行動的、情緒的反応との因果関係を示すダイナミックなプロセスを認識すること。

 前述のスティグマを扱った最近の文献を契機に発展した一般的論議は、人間が自己を見る方法はその人間がリハビリテーションのコースを進む上での能力に影響を及ぼす、というものである。もし、他人によってスティグマを与えられることが行動に影響を及ぼすのであれば、それはリハビリテーションにおける進歩にも影響を及ぼすはずである。この進歩に介入してくると思われるものは、スティグマによる影響が中性化されるようにスティグマ化を扱う方法である。従って、ここでのプロジェクトの作業仮説は以下のようになる。

 スティグマ処理の方法と、リハビリテーションの目標への進歩との間には相関がある。

対象

 この仮説の検定には、障害程度を統制したひとつのグループが必要であった。メリーランド大学病院物療・リハビリテーション部の外来義肢クリニック(the outpatient Prosthetic Clinic of the department of physical medecine and rehabilitation of the University of Maryland Hospital)がこの要望に合った準備をしてくれた。理学療法士の許可を得た後、1970年の2月から4月の間に当クリニックで治療を受けていた下肢切断者の全員がこの研究に参加するように要請された。研究対象者として選ばれた基準は以下の通りである。1)義肢リハビリテーションの対象として判定され、受け入れられていること、2)二度目ではなくて、初めて義肢を装着される場合であること、3)リハビリテーションの進歩程度を評価するのに必要な治療期間として、すでに1か月間当クリニックに規則的に通院していたこと、4)18歳以上であること。これらの基準に合った26人の患者のうち、24人が研究に参加した(参加しなかった2人のうち、1人は四肢以外にも主要な身体的損傷があった者であり、もう1人は規則的に通院してはいたが、病院でだれにも相互作用していなかった者である)。

 選択基準としての制限はあったが、この研究対象のグループは、公的病院の一般的義肢使用者母集団を代表している。その記述的特性が表1に示されている。これらのデータがこの研究目的以外に持っている別の重要な意味があるが、それはSchonが視覚障害者に対するサービスについて行った分析の場合と同じである。切断者母集団には、労働力として復帰できる若い人もいれば、老齢で十分に労働力として参加できない者もいる。諸サービスがこの母集団に提供されるが、そのニードと合致するような有益なサービスはない。

表1 義足使用対象者の記述
性別 男性 58
女性 42
年齢 50歳以上 83
50歳未満(18歳以上) 17
人種 黒人 63
白人 37
既婚・独身 既婚 75
25
HollingsheadのISPによる社会階層 38
62
生活援助源 福祉 38
社会保障 8
年金 22
家族 27
自活 5
切断理由 糖尿病 67
循環器の疾患 17
事故 16
トリートメントを受けた時期 3か月前 54
3─6か月前 34
6か月以上前 12
職業リハビリテーションの経験 75
25

データ集計

 スティグマ処理は、認知と相互作用のカテゴリーに分割された。スティグマの認知は、ニューヨーク大学義肢装具研究(The New York University Prosthetic Devices Study)から引用した8項目を使用して測定された。各項目は、「いつも」から「一度もない」までの5つの選択肢から構成されている。従って、スコアは、最小8点のスティグマの認知から、最大40点のスティグマの否定までとなる。データの分析のために、スコアは25点を境に分割された。

 相互作用の要素は、Feinblattによって使用された要素をモデルに作られた文章完成法の質問から測定された。患者は以下のような文章を完成するように依頼された「子供が私をじっと見つめている場合、私は……」。この文章完成法による質問の18項目のスコアは、以下の観点から測定された。1)積極的な相互作用、2)消極的な相互作用、3)相互作用なし。各回答のスコアは、少なくとも2人の独立した人間によって判定された。最初のスコアリングの結果では、全回答の98%以上に判定の一致が得られた。回答が上記三つの観点のいずれかについて60%の一致を得れば、それが相互作用の型(mode)として決定された。

 この論文の最後の部分で説明するが、こうした手続きのスコアリングは各回答に非常に種々性を与えてしまう。例えば、患者は、感情や態度に関連した質問にも、行動に関した質問にも反応している。また、実際に起きた状況についても、想像した状況についても述べている。あるいは、自分たちの障害について身体的、社会的な側面に焦点を置いている場合もあるし、情緒的な側面に焦点を置いている場合もある。さらにまた、自分自身の反応についても報告していれば、他人の実際のもしくは予想される反応についても報告しているのである。

 リハビリテーションの進歩は、身体的進歩、予後、動機、態度、満足度に関して、理学療法士により評価された。スコアは、「すぐれている」(excellent)から「劣っている」(poor)までの間に尺度化された4点を合計して得られた。

 患者とスタッフはデータ収集に非常に協力的であった。実際、大多数の患者が切断についての感情を話し合う機会を持つことができて喜んでいたことは大きな発見であった。ある患者は、「私にこのような質問をしてくれて楽しかったです」と言った。

結果

 表2に、スティグマの認知とリハビリテーションの進歩との関係が示されているが、まずまずの結果である。スティグマを否定する傾向にある者のうち、そのトリートメントにおいて十分に進歩している者は少ない。

表2 スティグマの認知とリハビリテーションの進歩
認知
進歩
すぐれている 3 7
その他 8 6
N=24 11 13

a リハビリテーションの進歩について、10人が「すぐれている」に入り、11人が「良い」(good)に入っていたので、この分析の目的としては、残り3人を「良い」の方に入れた。

 表3に、相互作用の型とリハビリテーションの関係が示されているが、まずまずの結果である。スティグマであると分かるような種々な状況に対して、積極的相互作用、もしくは相互作用なしで回答した者は、一定でない(variable)回答をした者に比べ、「すぐれた」リハビリテーションの進歩を示さない傾向にある。表3には消極的相互作用のカテゴリーが示されていない。相互作用についての項目の全回答504個のうち、消極的相互作用の回答者のほとんどすべてが「一定でない」カテゴリーに入れられた。

表3 相互作用の型とリハビリテーションの進歩
相互作用の型
進歩 積極 なし 一定でない
すぐれている 6 1 3
その他 10 3 1
N=24 16 4 4

 表2と表3を解釈しよう。スティグマの極端な否定は、リハビリテーションのプロセスにおいて妨害となる。表2にこの否定が直接的に反映されている。表3では、この否定は反映されているだろうと推測するにとどめられる。なぜなら、消極的相互作用カテゴリーに入る数人の者は、安易でステレオタイプ化された「優等生」的な回答をしているからである。

 否定についての結論は、仮説的ではあったが、他の研究により支持される。Feinblattの結果では、情緒障害児の母親で、そのスティグマ化された役割を受容している母親は適切な行動をすることが多い、となっている。Kaplan、Boyd、Bloomたちは、精神病の者で、患者としての役割を受容していない者はトリートメントを受け入れようとしないことを示している。Kaplanたちは、こうした状態にある者について以下のように言う:

精神病の者がそのリハビリテーションの経験から、治療的な最大の利益を得るには、そうした病気であるという事実を受容するように、また、そうした病気に対する人々のそしりにより生ずるストレスを最小にするように、この受容と治療の問題を解決しなければならない。

 スティグマ化した地位にある者ならだれにとっても、こうしたことは危機的な問題である。精神欠陥(ex-mental)の患者、囚人、アルコール中毒者、障害者、その他らい病のように社会的に隔離されたカテゴリーに入る者の諸組織は、集団的参加により生ずる効果に対して、いつも価値を主張するのである。逸脱した地位を受容することから生ずる長期、短期の効果について、もっと多くのことが知られる必要がある。もし社会的地位がねじ曲がった役割に相変わらず甘んじていれば、おそらく社会的再統合やトリートメントを促進させるのにすぐ有用となるものも失われてしまうだろう。

 小パイロット研究の対象者という制限があったからにせよ、なぜ得られた結果の差異が大きいものでなかったのか、また、なぜさらに詳しく統計分析をしなかったのか。それは以下の三つの点で説明される。第一に、トリートメントに効果的に関与している者に対象を限定してしまったため、「良い」進歩の尺度に余計負荷がかかってしまった。第二に、他のクリニックと比べて、当クリニックにおけるケアの継続はすぐれていた。対象の患者たちは一貫して同じセラピスト、同じ医師に治療されていた。対象の患者たちは週2、3回は当クリニックに来て数時間過ごしていたので、スタッフと他の患者との間には多くの相互作用があった。このことは、多くの情報交換を可能にさせる反面、相互作用に対するステレオタイプ的回答に寄与し、ひとつの回答セットを創り上げてしまっていた。この研究が行われた時には、チームに1人のソーシャル・ワーカーもいなかった。そのため、リハビリテーションの専門家たちは義肢について身体的、技術的側面に焦点を置き、コミュニティでの生活に関連してくる人間相互間の圧力に焦点を置いていなかった。

表4 性別、人種、相互作用の型等とリハビリテーションの進歩
積極 なし 一定でない
性別と人種 a -b - -
黒人男性 4 1 2
黒人女性 1 7
白人男性 1 3 1 1 1
白人女性 1 1
N=24 6 10 1 3 3 1

a すぐれている
b その他

 第三に、最も重要なことであるが、性別、人種、スティグマ処理等と、リハビリテーションの進歩との間には複雑な相互作用があった。例えば、表4で分かるように、積極的相互作用の型を示す黒人男性は「すぐれた」進歩をしているが、同じく積極的相互作用の型を示す黒人女性と白人男性は不満足な進歩をしている。これら表4のデータについて多くの考察が可能ではあるが、実りはないであろう。少なくとも年齢がさらにひとつの要因として考慮されねばならないであろう。たとえここの研究対象グループが身体的障害に関して同質的であっても、社会的要因が非常に種々で多くあるので、これ以上の分析はすぐに止められてしまうだろう。

 相互作用の質問に対する回答を基礎にしていくつかの説明を以下にするが、否定的回答がリハビリテーションのトリートメントに演ずるところの現実の及び予想される役割に対して、これらの説明は臨床的な援助を提供してくれるだろう。

 一般の人々や見知らぬ人々と一緒にいる時で、自分が実際そこにいて、本当に参加できるような状況の場合、切断者は積極的に反応する。この場合は、「一緒にいる」とか、「一緒にいて快適である」とか、あるいは「一緒に話している」、「援助してもらっている」といった環境となるのである。「じっと見つめられている」とか「びっこ」のラベルを付けられている場合は、切断者は相互作用を回避するかもしくは消極的になる傾向にある。9個の消極的回答のうち、8個は、「じっと見つめられる」の項目と、「ラベリング」の項目から得られているのである。

 人から自分がのろまであると、もしくはステレオタイプの対象として見られていると感ずるような状況が最もむずかしい状況のようである。社会的な相違があまりにも大きいので、相互作用を自ら進んで行うことは容易ではない。また、無力感があまりにも大きいので、生じてくるフラストレーションに対して何もできないのである。最も消極的な回答を引き出している項目は、「もし私が群集の中にいて、だれかが“びっこ”と言うのを聞いたら、私は……」という明らかにラベリングを扱った項目であった。例えば、回答として以下に示してみよう。

○私はこう言うだろう、「仕方がないじゃないか」(怒った口調で言った)。

○そうですね、その人間が何のために私をびっこと言ったのか知りたいですね。自分がびっこなのは百も承知です!(やはり、怒った口調で言った)。

○うるさい! 死んじまえ!

○私はタクシーの運転手に腹を立てたことがある。その男は杖や車イスを使用する者は家にいればいいと言った。私は、その男に何と言ってやったか夢中だったので分からない!

 消極的回答は、相互行為を「一定でない」ものにするように寄与していた。数は少ないが、これに相当する者は「すぐれた」進歩をしていた(表3)。また、この項目は、否定もしくは合理化を示すところの相互作用なしの回答も多く生ぜしめている。例えば、その典型的な回答を以下に示そう。

○私は、彼らを気の毒に思う。

○気にしない。人がびっこについて何も言わないなんて聞いたことがない。人はいつもびっこについて何かを言うとは限らない。

○別に何でもない。私はそう悪いことだと思わない。私は確かにびっこなのだから。

○その通りです。私はびっこなのです。私はそう言われても不満ではない。

 我々の印象では、多くの患者がこうした反応を経験してきているが、それをどう扱ってよいのかよく考える訓練を十分受けていないようである。こうした患者は「その他」の進歩をする傾向にある。切断者に対する他人の態度を、あるいは対人関係の変化を切断者に評価させると、積極的相互作用と相互作用なしとを混合させた回答をする傾向にあった。ほとんどすべての患者は他の人々と一緒になることを欲しているが、彼らはまた、他人が自分たちを「本当は」どのように感じているのか確信をもてないのである。例えば、「人々があなたは切断者だと知った時、人々は……」という項目に対する典型的な回答を以下に示してみよう。

○話しかけてくるでしょう……たぶん……私に。

○私はそんなことに気づいたことがない。そんなことを言う人はだれもいなかった。

○彼らはしない。彼らが何を考えているか分からない。普通の人は助けようとする。

○何人かは同情しているようだ。

 研究対象グループの人々は、切断者になってから友人と親密になった者と、疎遠になった者とに丁度半々に分けられる。社会参加が低下してくる主な原因は障害により生ずる疎遠である。その例を以下に示す。

○私はかつてのように人々と一緒にいない。多くの人は働いているし、日曜日には座って酒を飲んでいる。私は、家の囲りでただ座っているだけです。

○私は動き回るのが困難です。そんなに多くの人々と会わない。

○私は、古い友人と会っていない。足を失ってから会ったのはたった一人だけです。私はただ家にいるだけです。外出は一度もない。

○たぶん、私は何もできない。参加はしない。

 こうした人々は「その他」の進歩をする傾向にある。これに対して、友人と親密であると感じている切断者は、社会的、人間相互的な回答を示す傾向にあった。以下にその例を示す。

○私は、そんなことを考えたことがない……親密です……彼らはいつも私を呼んでいろいろな所へ連れていってくれる。

○両足があった時よりももっと彼らは援助してくれるようだ。

○彼らは恩を売ることなく切断者にサービスできると思っている。だれかがいつも手を貸せるように見守っている。

○彼らは同情しているようだ。

 こうした切断者は「すぐれた」進歩をしている。切断者が人々をどのように扱うか、切断のもつ現実に直面せねばならないような状況をどう処理するかをスティグマ相互作用の質問紙は十分に説明してくれる。例えば、子供は特別な問題を創り出していて、切断者は子供に対して種々な反応を示していることや、医療専門家たちは切断についての感情を論議する時間を持っていないと考えられていることが分かった。結局、これらすべてのことが到達するところは、切断に適応させるということは新しい相互作用パターンの発達を必要とするような複雑なプロセスのことである、ということになる。

結論

 パイロット研究という制限のために、スティグマ処理とリハビリテーションの進歩との間の関係をはっきりと肯定することができなかったが、切断者のもつ経験と現実問題をトリートメントに結びつけるようなダイナミックなプロセスをさらに研究する必要が諸結果によって示された。社会の諸状況における切断者の行動は法則性のないものではなくて、関係してくる人と状況によって変化するような予測可能なパターンに従っているのである。スティグマとスティグマ処理は、切断者が対人関係で示す行動を理解しやすくする概念上の道具を提供している。

 リハビリテーション専門家は、その業務の一部として、スティグマを論じるべきである。リハビリテーションのソーシャル・ワーカーは、患者がその感情を扱ったり、スティグマ処理の効果的方法を実行するのを援助してやるべきである。このことは、初期トリートメントにおいて特に重要となる。というのは、この時期には、患者の家族のメンバーも社会心理的な評価の対象の一部とされるからである。ソーシャル・ワーカーは、チームのメンバーや患者の家族に対して患者の感情と現実のニーズを正確に解釈してやらなければならない。さもなければ、患者はその障害の適応から生ずる負担をすべて背負わなければならなくなる。スティグマ処理の考察は、リハビリテーションのトリートメントの成功率を高める一要因である。切断や他の型の障害は、個人的なプロセスでもあるし、人間相互的なプロセスでもある。

付記

 義肢クリニックのディレクター、Katharine Kemp(M.D)及びメリーランド大学病院ソーシャル・サービスのディレクター、Jean Dockhorn(ACSW)の両氏の御厚意と御協力に感謝の意を表します。

参考文献 略

*メリーランド大学ソーシャルワーク・コミュニティプランニング学部教授
**メリーランド州ボルティモアにあるユダヤ家族・児童サービス(Jewish Family and Children's Service)の児童部門のケースワーカー
***筑波大学心身障害学系技官


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1979年7月(第31号)18頁~24頁

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