D. Soeharso*
面積190万平方キロメートルに拡がるインドネシアの人口は約1億4,500万。統計によると、その約2.46%が障害者であるとされている。障害の原因には、先天性疾病や家庭内事故、交通事故、あるいは労働災害、脳性マヒ、ポリオ、戦場での負傷などがある。
インドネシアでは、第2次世界大戦後、インドネシア独立戦争で多くの若者が負傷し障害者となったことがきっかけとなってリハビリテーション活動が始められた。他の諸国と同様に、第2次世界大戦後、仕事も将来への希望もないままとり残された数多くの若者たちのために、とくにリハビリテーション活動に力が入れられるようになったのである。
以上の状況を背景として、1946年、ジャワ島中部にあるソロで、スハルソ博士によるリハビリテーション事業が始められた。その後、インドネシア政府はスハルソ博士の活動に関心を示し、1950年にはリハビリテーションおよび補装具製造技術の研究のため博士をイギリスへ派遣した。
スハルソ博士の研究室があった総合病院の車庫にリハビリテーションセンターなるものが存在していたが、博士がイギリス滞在中に病院の裏の方にある病棟に移設された。建物も改築され、医療科、義手義足製造調整科、職業訓練科などを備えた新しいリハビリテーションセンターに生まれかわったのである。また、インドネシア各地から治療に来院する患者のためには寮が整備された。
その後もインドネシアにおけるリハビリテーション事業は着実に発展を続けた。とくに、1952年11月初旬にポリオがインドネシア全域に拡がってからは、1953年に肢体不自由児協会が設立された。やがてポリオだけでなく、脳性マヒや先天性疾病、脊柱側弯、股関節疾病など、整形外科の治療を必要とする3歳から18歳までの子どもたちが全国各地からこの協会に集まってきた。
1954年には、スマラン、スラバヤ、マラン、ジャカルタの各都市に肢体不自由児のためのセンターが開設された。インドネシア障害児協会は、創立後の15年間にインドネシア各地に12にものぼる支部を開設した。また、現在では、主要都市に5つの成人向けリハビリテーションセンターと15の障害児向けセンターがあり、そのほかにも、視力障害者施設、精神薄弱者施設、聴覚障害者施設などが開設されている。
リハビリテーションセンターでは、医療サービスや補装具サービスのほか、職業訓練も行われている。職業訓練では下記の指導が行われ、自由に選択できるようになっている。
木工、家具作り、洋服仕立て、印刷、簿記、事務、時計修理、理容、手工芸、農作業、溶接、機械、自動車修理、なわ工芸、電気関係、ラジオ修理、義手義足製造調整、デザイン。
また、リハビリテーションセンターでは就職相談も行っており、職業訓練を終えた者のために工場や事業所などでその人に適した仕事を斡旋している。うまく職場がみつからない者には、たとえば洋服屋になるために必要なミシン、理容師や美容師に必要なハサミなどの小道具を国が支給し、自分で仕事を始めることができるように援助している。
インドネシアには、知恵遅れの子どもたちのための特殊学校のほか、聾学校、盲学校、身体障害児のための特殊学校などがある。しかし、3年前から視力障害児を普通校3校に通わせる統合教育の試みがなされ、新しい環境や学習方法に子どもたちがうまく適応している実態が調査を通してわかった。勉強を続けることができる子どもたちは高校へ進み、場合によっては大学へ進むこともあるが、それ以外の子どもたちのためには職業訓練や予備職業訓練が行われ、洋裁や手工芸、機械編み、養鶏、バティック、印刷、美容技術などの訓練が受けられる。
年齢が満たないために成人のリハビリテーションセンターで訓練を受けられない子どもたちには肢体不自由センターで16歳から20歳までを対象とした職業訓練と予備職業訓練が始められた。
以上のような活動を通じて、家内工業の仕事についたり、協同ストアや洋服屋を始めて成功している者の例は多い。
しかし障害をもつ人々の深刻な問題を解決するには、われわれのこのような努力だけでは十分でないことは明らかである。毎年1万人にものぼる障害者がリハビリテーション・サービスを受けて社会復帰するためには、他に何らかの方途をみつけ、問題の解決にあたらねばならないといえる。
インドネシア政府は障害者のリハビリテーション問題に対して高い関心を示し、1974年、社会事業省が、コミュニティをべースにした脱施設型のリハビリテーション・プログラムの案を打ち出し、保健省、労働省とともに共同プログラムとして進めることになった。具体的には、1975年、インドネシア障害児協会の準団体であるインドネシア脳性マヒ協議会(CCPI)のプロジェクト委員ハンドヨ・チャンドラクスマ氏が中心となって、スハルソ博士リハビリテーションセンターや自治体関係者、医療従事者、ならびに各種民間団体とチームを組みながらこのプログラムの実施にあたることになった。
プログラムを進めるにあたっては、村の婦人会であるPKK(1)や「ロカ・ビナ・カリヤ」などが非常に重要な役割を果たしている。「ロカ・ビナ・カリヤ」というのは障害者のための協同コミュニティセンターで、障害をもつ人びとが指導や訓練などの諸サービスを受けられる場である。障害者のもつ技術の向上をはかると同時に、障害者にかかわる問題について情報を提供したり、予防リハビリテーションに関する社会指導やリハビリテーションサービスの開発のためのセンターとしての機能も有している。現在、25県に51の「ロカ・ビナ・カリヤ」があり、そのうちの4か所はILO(国際労働機関)とUNDP(国際開発計画)がスポンサーとなっている。
地域リハビリテーション・プログラムは、村の役人やソーシャルワーカー、そしてボランティアの人々が主体となって医療面、教育面、社会面のサービス提供を行うものである。そのメンバーの中には障害者自身の身内の者が参加している場合もあり、交通費をやっと払えるくらいの低収入の人たちも含まれている。
障害をもつ子どもたちは、医師を含むリハビリテーション・チームの診察のあと必要な治療を受け、他の子どもたちと同じ村の普通学校へ行くことができるようになる。特殊学校へ行かなくてもすむわけである。
初等教育には年齢が高すぎる子どもたちのためには、能力に合わせた職業訓練が行われる。職業訓練を担当するのは、職業訓練科の先生や家内工業を行っていて障害児を見習い生としてこころよく受け入れるような村の住民である。訓練の内容には、たとえば製陶、ほうき作り、マット作り、洋服仕立てなどがある。見習い生を受け入れる村の住民に対しては国からいくらかの手当てが支払われる。この方法は、障害をもつ大人が職業訓練や指導を必要とする場合にも採用されている。このようにして、障害をもつ子どもたちや大人たちも後に「ロカ・ビナ・カリヤ」に入会し、村の中の生産的な存在となれるわけである。
中部ジャワでは、現在までにすでに26の村で地域プログラムが実施され、1982年12月からさらに4つの村で新しく開始された。
地域リハビリテーション実施地区
A バンジャルネガラ県
1 プルウォレジョ・クラムポク郡 8村
2 カランコバール郡 2村
3 シガル郡 5村
B スラカルタカランガンヤール県
コロマドゥ郡 11村
C ウオノギリ県
ウオノギリ郡(1982年12月開始)4村
計 30村
地域リハビリテーション・プログラムは正式に政府プログラムとして認められ、その活動が広くインドネシア全域に拡がる日も間近いと思われる。
最後に、前述の村の婦人会PKKについて少しつけ加えたいと思う。PKKというのは、村長夫人を会長とする村の婦人たちの集まりであるが、社会事業省の後援を受け、インドネシア全国に広がりをもつ組織でもある。PKK活動として村の婦人たちは、洋裁、手芸、子育て、保健衛生、上手な家事のきりもりの仕方、輸入ものを使わず地元でとれた材料を使ったクッキーやお菓子の作り方などを、お互いに教えあったりする。文盲の婦人たちのためには、読み書きのクラスも開かれている。このPKKが地域リハビリテーション・プログラムに対して非常に協力的で重要な役割を果たしていることはすでに述べたとおりである。
なお、表1はスハルソ博士リハビリテーションセンターで得られた1974~82年のプログラムの成果を示すものである。また、表2は社会復帰した人々の数を示している。
本稿では視力障害者、聴覚障害者、精神薄弱者のリハビリテーションについてとくに詳しく触れられなかったが、インドネシアにおけるリハビリテーション活動の現状理解に少しでも役に立てば幸いである。
年 |
訓練障害者数 | リハビリテーション終了者 | 就職先 | ||||||
1982 | 1981 | 計 | 再雇用者 | 民 間 | 施 設 | 自 営 | 政府関係 | ||
74/75 | 397 | 190 | 66 | 256 | 123 | 2 | 66 | 51 | 4 |
75/76 | 509 | 186 | 355 | 541 | 300 | 13 | 14 | 265 | 8 |
76/77 | 345 | 209 | 471 | 680 | 385 | 1 | 12 | 355 | 17 |
77/78 | 452 | 182 | 235 | 417 | 240 | 1 | 3 | 224 | 12 |
78/79 | 580 | 224 | 149 | 373 | 150 | 1 | 38 | 68 | 48 |
79/80 | 595 | 170 | 132 | 302 | 132 | 18 | 11 | 102 | 1 |
80/81 | 647 | 189 | 125 | 314 | 125 | 69 | 1 | 55 | ― |
81/82 | 733 | 234 | 148 | 382 | 150 | 57 | 12 | 81 | ― |
82/― | 522 | 74 | 54 | 128 | 54 | 11 | 4 | 39 | ― |
年間平均 | 531 | 184 | 193 | 377 | 184 | 19 | 18 | 138 | 9 |
県/郡(2) |
村名 |
人口 |
戸数 |
年 齢 層 |
障害者数 |
|||||
0歳~6歳 | 7歳~17歳 | 18歳~45歳 | ||||||||
女 | 男 | 女 | 男 | 女 | 男 | |||||
バンジャルネガラ県 プルウォレジョ・クラムポック郡 |
クチトラン |
3,889 |
766 | 8 | ― | 8 | 3 | 20 | 11 | 50 |
カリウィナス |
3,125 |
586 | 2 | 1 | 8 | 4 | 13 | 10 | 38 | |
カリマンディ |
3,643 |
737 | 1 | ― | 3 | 7 | 9 | 9 | 29 | |
カリランダック |
3,100 |
645 | 2 | 1 | 9 | 4 | 10 | 12 | 38 | |
パガック |
2,498 |
478 | 1 | 4 | 11 | 4 | 6 | 11 | 37 | |
プルワレジャ |
7,245 |
1,493 | 4 | 5 | 9 | 5 | 18 | 3 | 44 | |
シルカンディ |
4,504 |
761 | 1 | ― | 6 | 5 | 14 | 16 | 42 | |
クラムポック |
6,135 |
1,023 | 2 | 1 | 8 | 15 | 8 | 11 | 45 | |
バンジャルネガラ県 シガル郡 |
グムボンガン |
2,313 |
462 | 1 | 1 | 7 | 5 | 14 | 12 | 40 |
ランドガン |
714 |
135 | 3 | 4 | 8 | 5 | 18 | 10 | 48 | |
トゥンゴロ |
1,800 |
258 | 2 | 1 | 6 | 8 | 14 | 13 | 44 | |
ボジャネガラ |
2,800 |
328 | 4 | 2 | 13 | 11 | 15 | 16 | 61 | |
サワル |
1,947 |
353 | 2 | 3 | 5 | 8 | 22 | 15 | 55 | |
スラカルタ・カランガンヤール県 コロマンドゥ郡 |
グドンガン |
2,848 |
475 | 4 | 1 | 10 | 4 | 17 | 7 | 43 |
クロドゥラン |
1,897 |
317 | 2 | 2 | 4 | 1 | 11 | 4 | 24 | |
マランジワン |
9,543 |
1,866 | 5 | 3 | 15 | 16 | 23 | 14 | 79 | |
ガジャハン |
1,075 |
150 | 1 | 3 | 8 | 5 | 5 | 11 | 33 | |
ブルルカン |
2,764 |
453 | 9 | 7 | 14 | 6 | 18 | 17 | 71 | |
トフダン |
2,679 |
568 | 4 | 4 | 5 | 5 | 17 | 15 | 50 | |
ガワナン |
2,395 |
460 | 1 | ― | 6 | 3 | 10 | 14 | 34 | |
パウラン |
1,800 |
385 | ― | 3 | 8 | 2 | 8 | 11 | 32 | |
バトゥラン |
2,141 |
465 | 1 | 4 | 4 | 2 | 5 | 4 | 20 | |
ボロン |
3,366 |
750 | 1 | ― | 6 | 2 | 8 | 4 | 21 | |
ソガスム |
2,784 |
552 | 1 | 2 | 4 | 3 | 14 | 9 | 33 | |
合 計 |
77,005 |
14,566 |
62 | 52 | 185 | 133 | 317 | 262 |
1,011 |
訳者注
(1) Pembinaan Kesejahteraan Keluarga (Family Welfare Development)の略。各レベルでの行政官の夫人たちが自動的に会員となる全国組織の婦人会で、地元の各種の開発運動を支援している。
(2) インドネシアは26州(Propinsi)から成っており、各州はさらに県(Kabupaten)、郡(Kecamatan)、村(Desa)へと行政区分されている。ここにあげた県はいずれも中部ジャワ州に属する。
(高島和子訳)
*国際リハビリテーション協会・インドネシア国内事務局長
(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1983年11月(第44号)11頁~14頁