特集/公共交通とアクセス 老人および身障者のためのモビリティ対策

特集/公共交通とアクセス

老人および身障者のためのモビリティ対策

―米国の経験と現状―

菊池慎也**

1.緒言

 老人および身障者のための交通対策が最近の日本の重要な交通問題の課題になっている。本文は米国における老人、身障者に対する交通政策の歴史と現状について報告する。米国の老人、身障者の交通対策は差別解消、人権擁護の精神に根ざしており、市民権運動(Civil Rights Movement)の一環として理解しなければならない。したがってこの問題に関する研究、政策作成が米国に端を発したことには意味があり、その歴史と実状から学ぶものがあると思われる。本文では連邦政府レベルの政策の変遷および問題点を都市大量交通を主体にして述べる。

2.老人、身障者のモビリティに対する政策の歴史

 米国の老人、身障者のモビリティ対策の歴史は人権擁護と交通政策実施方法の2つの観点から調べる必要がある。人権擁護の立場からは老人、身障者のモビリティ確保は差別廃止の原則に基づいたものであり、交通のみならず連邦政府の重要な国内政策の一環をなすものとしてとらえられている。一方交通政策の観点からは、いかにして差別廃止、市民権擁護を交通面で反映するかという問題になる。この場合“老人”と“身障者”は交通政策上“Elderly and Handicapped Persons,E&H”として一つのグループとして扱われているが、人権擁護および社会福祉の観点からは別のグループであり、法規も異なる。

2.1 人権擁護の観点から

 1960年代の米国はよく反体制の時代として特徴づけられる。当時の都市の黒人暴動、反戦運動、市民権運動に象徴される如く、過去の価値観、社会体制に反抗する新しい市民レベルの社会価値観が生まれてきた時代であった。当時に設定された法令の一つに1965年市民権法(Civil Rights Act)がある。これは雇用、居住地選択、教育等において人権、宗教、米国移住前の出身国に基づく差別をいっさい廃止し、全国民に均等の機会を与えることを規定したものである。Civil Rights Actはその後の国内政策の重要な前提となり、各省に市民権局(Office of Civil Rights)が設けられ、この法令の実施がモニターされている。その後、この中に年齢、性別、身体障害も差別廃止の基礎とする項目が加えられた。

 市民権法と時期を同じくして、1965年に老人法(Older Americans Act)が設立された。この法令は老人の社会福祉政策を確立するもので、この結果老人局(Administration of Aging)が設けられ、さらに大統領に任命された15人からなる高齢化審議会(Council of Aging)が構成された。

 1968年には建築障害物法(Architectural Barriers Act)が定められ、連邦政府の補助を受ける建物は、身障者が利用できるように障害を取り除くよう、設計、建築することが義務づけられた。

 1960年代後半から70年代初期は市民参政運動が徐々に法令化された時代である。老人、身障者に直接関係はないが1969年の環境保護法(Environmental Protection Act)が定められた公共事業(特に交通事業)の計画段階で環境アセスメントおよび市民参加が義務づけられた。

 1973年には、その後の政策に最も大きなインパクトを与えたリハビリテーション法(Rehabilitation Act)が発布された。この法令は身障者の雇用の機会均等の保証、およびそのための社会福祉面の実施事項を規定したものであるが、その504条に次の規定がある。

 “体の不自由な理由だけで連邦政府の補助を受けるプログラムおよび活動に参加すること、またその便益を受けることから、拒否あるいは差別待遇を受けることがあってはならない。政府各省庁はこの法律施行のための規定を公布しなければならない。”

 興味深いことは、この施行方法が各省庁に任されていることであり、このことがその後の政策に問題を残すこととなった。

 504条が連邦政府のすべてのプログラムの施行に及ぼした影響は大きい。交通においても都市大量交通機関の施設建設計画、車両設計、運行方法に大きな変更を要求することとなった。この法令に基づき建築交通障害に関する基準認可機関(Architectural and Transportation Compliance Board)が設立された。この機関は最少限度の設計ガイドラインを設定しており政府条令にそれは載せられている。

 以上のように老人、身障者への人権擁護政策は1960年中期から盛り上がり、リハビリテーション法504条制定に至るまで発展した。交通対策もその中で必然的に出てきた問題である。

2.2 都市大量交通政策の観点から

 本節では都市大量交通機関の計画、運行の観点から老人、身障者対策の歴史について述べる。

 米国の都市大量交通機関計画および運行に関する連邦政府の役割は、1964年の都市大量交通およびその改正法に規定され、法律施行の詳細は条例(Code of Federal Regulations,CFR)に規定されている。(この法律は改正後も1964 Urban Mass Transportation Act as Amendedと呼ばれている)。

 簡単にこの法律の背景を述べると、60年代初期には自動車の普及、道路網の拡大、人口の郊外移転等による利用者の減少によって、大都市の都市大量交通機関は財政的危機に落ち入り、運行主体が私有から公有に移っていった。そのためこれらの公共運行事業体への財政補助とともに、計画手法および運行基準を確立する必要が生じ、連邦政府のレベルにおいて都市交通への補助管理をするためにこの法令が設立された。

 その後、都市大量交通機関局(Urban Mass Transportation Administration,UMTA)が交通省の中に設けられている。現在米国全都市の大量交通機関は公的機関のもとに運営されており、運行赤字の補填、車両購入、施設建設費に対して連邦政府の補助が行われている。

 1970年の改正法で、老人、身障者は他の人口グループと同じように、都市大量交通機関を使用する権利があると明記され、これによって、都市交通の計画、運行上、特別の努力(Special Effort)を図るよう定められた。この“努力”のために、国の補助金の3%まで使用できることが定められた。

 1974年の改正法では国の財政補助を受ける条件の一つとして、老人、身障者へのオフピーク時の料金を非老人、非身障者のピーク時の料金の半額にするよう定められた。

 1978年にはCFRで車両の設計、施設設計、駅での案内および情報、優先座席に関する基本的ガイドラインが規定された。またその年の都市大量交通機関法の改正法の16条(b)において、州または地方行政府が運行する老人および身障者専用の交通サービスの計画、運行、車両購入に対して連邦政府の補助金が出されることになった。また民間の社会福祉事業体による老人、身障者向け交通サービスに対しても補助が出されることになった。補助の対象となるサービスは、デマンドバスによって、利用者を戸口から戸口まで予約制で運ぶシステムによるサービスである。このシステムは、現在ほとんどの都市で取り入れられており、車いす昇降機のついたミニバスが老人および身障者にモビリティを提供している。

 1970年代後半から、老人、身障者の交通政策をめぐる二つの主張が議論されることになった。一つはFull Accessibilityという考え方によるものであり、交通施設はすべての人が利用できるよう設計、運行されるようにしなければならないという主張と、他方、Effective Accessibilityという考え方のもとで、モビリティを技術的、経済的また現実的範囲内で有効に提供すべきであるという主張である。前者は身障者団体が主張し、後者は都市交通運行事業体が支持する主張である。その後今日までもこの“権利”対“経済性”の議論は続くことになり、福祉関係行政府と交通行政府間の老人、身障者の交通をめぐる見解の相違が表面化した。

 1986年に都市大量交通局(UMTA)は老人、身障者への交通対策を各都市の状況に合わせて次のうちから最も適当と思われるものを選ぶよう勧告した。

(1)現在ある大量交通機関をすべての人に利用できるよう改善する。

(2)現行の大量交通機関の他に老人、身障者専用のデマンドバスシステムを設ける。

(3)上記2つの組合せにする。

 上記の3種類の中から、各都市ごとに老人、身障者のための交通計画を作成し、最適な方法を選ぶことが義務づけられた。したがってどのような都市にであっても、老人、身障者のための交通を提供しなければならない。また交通計画の公聴会ではこの選択について市民の了承を得なければならない。

2.3 その他の交通機関

 都市大量交通機関以外にも、鉄道、航空、長距離バスにおいて、老人、身障者対策が法令化され、割引運賃、駅、空港の設備、案内情報システムの設計等が、連邦政府レベルで指導され法令に載せられている交通事業者は、身体が不自由な理由だけで乗客の乗車拒否をしてはならないことが条令で定められており(CFR 1063.8 Title 49)、交通事業者の義務として身障者の利用にアシスタンスを与えなければならないことが明確にされた。

 また連邦政府の補助を受ける事業に対しては、例えば道路建設に際して、身障者用の駐車スペースを、歩道には車いす用のコーナーカットを設けなければならないことが定められている。

3.老人、身障者交通の実状

 上記の法令に基づいて交通施設とサービスは老人、身障者にアクセシブルなものになりつつあるが、前述したFull AccessibilityとEffective Accessibilityについての議論は、交通省を相手にした身障者団体の訴訟などで何度か行われている。

 都市大量交通機関運行事業団から成るAPTA(American Public Transit Association)によると、都市大量交通事業体は、老人、身障者のために現在年間8億5,000万ドルを使っており、これは事業体の年間予算の6%に相当している。

 このような財政措置もあって、ほとんどの都市で次のいずれかの交通対策がなされている。①18%の都市では現行のバスに車いす昇降装置をつけて身障者向けサービスを行っている。②44%の都市は老人、身障者向けデマンドバスを運行している。③38%の都市は前の二つの方法を合わせて老人身障者にサービスをしている。

 全米の都市交通機関のなかで車いす昇降装置をつけたバスの割合は、以下のとおりである。

 1981年   11%
 1987年   30%
 1993年  53%(予定)

 ちなみに現在の都市バスの総数は5万7,000台である。

 1987年現在、老人、身障者専用デマンドバスは1万1,000システムがあり、全米の87%の郡でサービスが行われている。年間の利用者は約1,500万人で5億トリップをサービスしている。

 老人、身障者交通対策の連邦政府の補助財源は4つある:都市大量交通法に基づくものが2つ(16条(b)と18条)(両方で年間1億ドル)、老人法に基づくもの(年間1億ドル)、社会福祉法に基づくもの(年間補助額不明)。この他地方政府の補助がでている。補助の仕方は、交通事業団体への補助(Supply Side Subsidy)と利用者側への補助(User Side Subsidy)の両方が行われている。

 研究活動についてはTRB(Transportation Research Board)の中にSpecialized Transportation Planning and Practiceが発行され、交通事業体向けにはCommunity Transportationという月刊誌が発行されている。また老人身障者交通の全国的学会がTRBとUMTAの主催で隔年に行われている。

4.今後の課題

 老人、身障者交通の今後の課題には次の項目が挙げられる。

1)人権擁護および機会均等に基づくFull Accessibility対経済性に基づくEffective Accessibility間の議論

2)老人、身障者の定義

3)運行の経済性

4)技術開発

5)関係官庁、交通事業体、福祉事業体間の連絡調整

 1)の人権対経済性の議論は今後も続くと思われる。現在全国レベルで25の身障者団体、62の人権擁護推進団体があり、これらの団体による訴訟が増加することが考えられる。1989年2月にはADAPT(American Disabled for Accessible Public Transit、都市大量交通機関を身障者が利用できるようにするロビー団体)が連邦政府都市大量交通局を訴えた結果、各都市は一般のバス、電車を車いす利用者にアクセシブルにし、さらに老人、身障者専用の交通サービスの両方を提供しなければならないという判決が下されている。

 2)は老人、身障者の定義が明確でなく、どの程度の身障者を対象にして実際の交通施設設計、運行をするかが決められていない。

 3)老人、身障者用交通サービスは、停車時間が長く評定速度が下がるために、運行能率は当然のことながら普通の都市交通に比べて低く、余分の車両、運転手が必要となっている。また老人、身障者専用のデマンドバスにおいては路線が決まっていないので、毎日のルートを需要に合わせて最適に決めないと非能率な運行になりやすい。能率を増やすため相乗りの数を増加すると迂回数が多くなり、途中停車数が増すため、結果的に旅行時間が長くなるので望ましくない。一方相乗りを少なくすると多くの車両と運転手が必要になってくる。最近ではコンピューターよる予約システムと運行スケジュール作成システムが開発されているが、運行効率の向上とサービスレベルの問題は今後の課題である。

 4)上記の運行効率の向上にも関係して、身障者のための交通施設の技術開発が望まれている。

 5)身障者のモビリティは交通のみならず福祉対策、厚生政策の一環として必要であるが、交通事業体、関係官庁、福祉厚生団体間の調整、連絡が欠けており、総合的政策が望まれている。例えば福祉関係官庁からの交通に対する補助と交通官庁からの補助は別個に取り扱われている。福祉目的では交通事業体が食事配達、その他の福祉プログラムの実行を一環して交通事業体が提供することを期待しているのに対し、交通事業体は原則として交通サービスしか提供しないという立場をとっているために、老人、身障者が望んでいるモビリティが提供されていないこともある。

参考文献 略

「活力ある高齢化社会とまちづくり」第20回土木計画学講習会テキスト(平成元年9月)より転載
**米国デラウェア大学土木工学科準教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1990年2月(第62号)15頁~19頁

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