特集 サービスの利用者が主役になる地域中心の総合リハビリテーション-第39回総合リハビリテーション研究大会報告- 特別講演 当事者の立場から考える自立とは 熊谷 晋一郎

特集 サービスの利用者が主役になる地域中心の総合リハビリテーション
-第39回総合リハビリテーション研究大会報告-

特別講演
当事者の立場から考える自立とは

熊谷 晋一郎
東京大学先端科学技術研究センター准教授

要旨

 自立生活運動が,依存しないという意味での自立(independence)や自己決定という意味での自律(autonomy)を個人に強いる近代的規範を,健常者のみならず障害者にも普遍化しようとする実践に過ぎないとしたら,障害者の中に,自己決定能力や自立度による縮小再生産的な序列化をもたらすことになる。また,地域で自立生活を送る障害者たちの中には,体の痛みや孤立,身体のゆらぎに直面している人々もおり,自己決定の困難を経験している。こうした困難から示唆されるのは,自己決定や自立に先行する条件として,たくさんの信頼できる依存先が必要不可欠であることである。自立生活が痛みに満ちた孤立生活にならないために,自立生活運動と依存症自助グループの協働を提案する。

 筆者は,2016年7月に,津久井やまゆり園で起きた事件のことが,今でもなお消化できないでいる。この事件の何が,筆者にとって,そして恐らく多くの障害者にとって衝撃的だったのだろうか。一つには,生産能力のある人かどうかいう基準で,生きていてよいかが決められるという極端な優生思想が犯行の動機として語られたということだ。しかし,それを容疑者の特殊な考え方とみなしてよいのだろうか。例えば,障害者の自立生活運動は,優生思想から無縁だったのだろうか。自己決定,自己コントロールができる当事者はよいけれども,そこに困難を抱える当事者は,序列の下に置かれるという事態に対して,十分に自己批判をしてきたかと振り返ると,自分も含めて不十分であると思う。そして,その問題を避けていたら,この事件への応答責任を,果たすことはできないだろう。
 後述するが,薬物依存症を引き起こす原因として,理想に向かって,なるべく人に頼らず,インディペンデントに生きていこうという規範が重視されている。近代的な自立心や自己決定・自己コントロールへの過信が,依存症を引き起こすという逆説を踏まえたときに,筆者は,近代的価値をマイノリティにも普遍化しようとしてきた運動が見逃しがちな問題,すなわち,逃れ難く巻き込まれている能力主義に対して,どのように距離を取り,しかし再び近代的価値に着地するのかという問題を,依存症の自助グループは意識的に考え続け,実践を蓄積してきたのではないかと見ている。
 筆者は個人的に,障害者運動は,依存症の自助実践と手を組むべきだと感じている。本稿では,自立生活運動は,自立能力のようなかたちで,個人能力主義を密輸入してこなかったかについて振り返るとともに,依存症当事者の思想と実践の中から,自立生活運動は何を学ぶことができるのかについて,予備的な考察を行うことにしたい。

痛みが教えてくれたこと:自己身体への信頼と依存

 自立生活運動は,障害についての人々の考え方を大きく変えていった。従来,障害とは,障害者の体の中に宿るものであり,医学的な方法でそれを取り除くことではじめて,解決されるものであると考えられてきた。今日このような障害の捉え方は,障害についての「医学モデル」と呼ばれている。しかしそのような考え方に対して,自立生活運動は異議申し立てをし,障害者の体の中に宿るものではなく,少数派の体と,その体を受け入れない社会との「間」に生じる摩擦こそが障害だと主張した。このような捉え方は,障害の「社会モデル」と呼ばれる 1)。
 社会モデルの考え方は,リハビリ漬けの毎日の中で,自分の身体を矯正すべきものとして否定し続けてきた筆者にとっても,まさに目から鱗の発想の転換であった。筆者は,10代の頃に障害者運動の思想に触れて以来,現在に至るまで大きな影響を受け続けている。
 しかし近年,社会モデルの発想だけではうまく割り切れない,様々な新しい問題が浮上しつつある。筆者の個人史においても,この新しい問題は,「痛み」という形で現れた。30歳を過ぎた頃に,ある朝起きると,首の後ろから左腕にかけて,これまで経験したことのないような,電気の走るような強い痛みに襲われた。初めて経験する感覚は,強い不安を伴うものである。この感覚は,何を意味するのだろうか。なにか大きな異変がからだに生じているのだろうか。次にどのように動けばいいのだろうか。昨日と同じようにからだを動かしても,取り返しのつかないことにならないだろうか…。未経験の痛みは一瞬のうちに,昨日まで空気のように享受していた「私のからだはこのようなものであり,このように動かせばこのように応答するはずだ」という自己身体への信頼を打ち砕いた。
 身体への信頼を失うと,二次的に様々なものが失われる。たとえば意思決定能力である 2)。次の行為に関して,いくつかの選択肢の中から一つを選ぶためには,各々の選択肢について,それを選んだらどのような結果が訪れるかについて,ある程度の予期ができている必要がある。したがって選択と結果をつなぐ予期が失われると,これが困難になる。次に右足を一歩前に出していいかどうかさえ,逡巡を伴うものになってしまうのである。
 障害者運動において,意思決定は重要な能力とみなされることが多かった。「自分で出来る必要はないが,自分で決めることだけは譲らない」という自己決定の原則が障害者運動の中で重要視された背景には,いつ水を飲むべきか,いつトイレに行くべきか,何を食べるか,どのように生きていくかなど,生活や人生の重要な決定に関して,障害者本人ではなく,家族や介護者の意思が優先されてきたという苦い歴史がある。そのような歴史をくりかえさないためには,自己決定の原則が重要なものであることは論を待たない。
 しかし,この原則は同時に,障害者運動の中に,意思決定能力に基づく序列化が生じうる可能性を示唆している。痛みの経験を通して筆者が痛感したのは,意思決定能力の前提条件として,身体への信頼と依存が必要不可欠であるということである。思えばこれまで主に障害者運動をリードしてきたのは,たとえ障害が重くても,日内変動や季節性変動,進行や軽減といった継時的なゆらぎの振幅が小さい,安定した身体状態を享受してきた障害者たちだったといえるかもしれない。ゆらぎの小ささは,信頼にとって必要な条件である 3)。

依存症が教えてくれたこと:他者への信頼と依存

 痛みの問題を当事者研究していた筆者は,2010年頃,依存症の仲間と出会った。実は,痛みと依存症という2つの病態には共通する部分が多いことが知られている。
 身体障害者は,身体と,主流派向けの環境との物理的な相性が悪いため,依存できる環境資源が少なくなるという特徴がある。そして自立生活運動において目指された自立の概念は,依存しないこと(independence)ではなく,社会モデルに基づき,少数派にとって相性の良い依存先を増やすこと(multi-dependence)だったはずだ。一方で,依存症者の場合は物理的な相性というよりも,「環境が私を支えてくれるはずだという信頼」を失ってしまうことによって,依存できる資源が少なくなると考えられる。
 環境には人的環境と物的環境の二つがある。親からの虐待といった養育環境の問題が,依存症の発症や予後の悪さを予測するという研究 4)を踏まえると,依存症者が信頼を失うことによって依存できなくなる環境というのは,主に人的環境と言える。人は誰でも,依存なしには生きられない。そのような生存の条件の下で,人的環境に依存できないということになれば,消去法で物的環境に依存するしかなくなるのは必然と言えるだろう。
 依存症の仲間によれば,虐待を受けると自己身体への見通しと信頼も失われるようだ。依存症自助グループ「ダルク女性ハウス」代表の上岡によると,依存症者の多くはそれまで,「痛い」と感じてまわりの大人に話しても,相手にされなかったり逆に落ち度を責められたりしてきたため,どのくらいの痛みなら「痛い」と言っていいのかさえわからないという。「実はみんな創造を絶するレベルで身体の感覚がわからなくなっています」と上岡は述べる 5)。

自立が孤立にならないために

 以上みてきたように,自分の身体や周囲の人々に対する信頼を失うことが,痛みや依存症の背景には存在している 6)。身体障害者の自立生活運動においても,依存せず,自己コントロールを過信するという意味での自立を目指すと,このように,痛みや孤立,ひいては病的な依存状態をもたらす。実際に,筆者だけでなく,地域で自立生活をしている身体障害者から,痛みをどうにかしたい,孤独で飲酒量が増えたなどの相談を受けることは少なくない。とりわけ,信頼できる家族の存在を感じられずに幼少期を施設で過ごした障害者にとっては,地域での自立生活が容易に孤立生活に転じ,施設にもどりたいという気持ちが募ることもある。
 筆者は現在,依存症の自助施設のネットワークであるダルクと,自立生活運動を牽引してきた全国の自立生活センターやDPIをつなぎ,「自立が孤立にならないためのSkypeピアミーティング」というプロジェクトを準備しつつある。アクティブに国内外を飛び回る身体障害者たちがいる一方で,体が痛くて,アパートから出られないという身体障害者も少なくないと推定され,そうした仲間でも気軽に参加できるようにと,Skypeを活用しようと考えた。おそらく,孤立しているのは身体障害者だけではないだろう。ダルクの中にも,家族の中に障害をもつメンバーがおり,様々な葛藤の中で依存症になったという語りも少なくないし,介助者の孤立や依存の問題も無視できない。地域での自立生活を支える様々な人々が依りあえる場をつくれればと願っている。

1)星加良司.(2007).障害とは何か―ディスアビリティの社会理論に向けて.東京:生活書院.

2)Apkarian, A.V. et al.(2004).Chronic pain patients are impaired on an emotional decision-making task. Pain. 108, 129-36.

3)筆者は,発達障害や知的障害,精神障害と名付けられる人々の身体性に着目した研究を行っているが,その中で重要な要素の一つは,自分の身体の挙動を予測しやすいか否か,その予測内容が周囲と共有されているかどうかという点にあると考えている。
 参考:熊谷晋一郎.(2016).自閉スペクトラム症の研究において社会文化的文脈に依存しない個別の身体的特徴を探求することの重要性.発達心理学研究,印刷中

4)Schumacher JA, Coffey SF, Stasiewicz PR. Symptom severity, alcohol craving, and age of trauma onset in childhood and adolescent trauma survivors with comorbid alcohol dependence and posttraumatic stress disorder. Am J Addict. 2006;15(6) : 422?425.

5)上岡陽江・大嶋栄子.(2010).その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち.東京:医学書院.

6)熊谷晋一郎・五十公野理恵子・秋元恵一郎・上岡陽江.(2016).痛みと孤立:薬物依存症と慢性疼痛の当事者研究.石原孝二・河野哲也・向谷地生良(編).シリーズ精神医学の哲学3「精神医学と当事者」.(pp.225-251).東京:東京大学出版会.


主題・副題:リハビリテーション研究 第170号

掲載雑誌名:ノーマライゼーション・障害者の福祉増刊「リハビリテーション研究 第170号」

発行者・出版社:公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会

巻数・頁数:第46巻第4号(通巻170号) 48頁

発行月日:2017年3月1日

文献に関する問い合わせ:
公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
電話:03-5273-0601 FAX:03-5273-1523

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