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障害をもつ人のすみよいまちづくりをすすめる「アクセス環境改善評価指針」策定委員会 報告書

3 今後の課題

 今回の調査のなかで、自治体や社会福祉協議会等が発行する福祉ガイドマップの80件のうち、52件が「国連・障害者の10年」前後の年(1991年・92年・93年)に発行されていることから、国際障害者年や「国連・障害者の10年」など節目を機に発行が企画され、さまざまな団体の協力を得て発行されていると思われる。また、国の実施した「障害者の住みよいまちづくり」事業や、「住みよい福祉のまちづくり」事業等が関連しているとも考えられる。
 障害当事者を中心としたまちづくり運動が、国際障害者年を機に国を含めた全国的な行政の取り組みへと広がり、「福祉ガイドマップの作成」が、当事者と地域住民が参加して作りあげる「まちづくり」としての位置を得つつあるように思える。
 この調査は、各地で発行されている福祉ガイドマップが、どのように取り組まれ、どのような内容になっているかについて、その傾向を知るために行ったものである。限られた期間内であり、また今回は社会福祉協議会が作成・発行に関わっているものに限定した調査であり、全ての福祉ガイドマップの分析ではないが、福祉ガイドブックの作成事業について、次のような課題があると思われる。

1.調査の分析結果から

1)調査の対象・内容
 調査対象となった施設は、官公庁等の公共施設はもちろん、医療施設・購買施設(商店街・デパート等)・金融機関・教育文化施設など日常生活に欠かせない施設が中心であったが、幼稚園や保育園などの掲載がいくつかのガイドマップで見られたこととは対照的に、学校関係(小・中・高)の掲載が少ないということは、これら施設が調査の対象となっていない場合も多く考えれるが、「障害者は養護学校へ」という無意識の現れとも受け取れる。また、公共施設等を中心に日常生活に密着した施設を調査をしていると思われるが、飲食店や娯楽施設等の情報が少なかったように思う。日常生活には「ささやかな楽しみ」も必要なことである。
 また、調査の内容としては、車いす念頭に置いたものが多く、車いす用のトイレや出入口の状況、ドアの広さや種類、施設内の垂直移動等のハード面を中心としていた。車いすで一人で行って手伝ってくれるかや、手話通訳・盲導犬を伴って入室できるかなどのソフト面の調査が少なく、この点が今後の課題となりそうである。

2)掲載の内容・方法
 掲載されている内容をみると、それぞれ体制や予算に応じて調査の内容や範囲が違うようである。また、調査した内容だけではなく、福祉の制度の情報や車いすの介助の方法などが掲載されているものもある。
 何が目的の福祉ガイドマップなのかにもよるが、読む側が何を必要としているのかを意識して作らなければ、せっかく立派なものを作っても無駄になってしまう。すべてを細かく調べ掲載するということは、時間的にも資金的にも、体制的にも不可能なことである。調査点検したものをすべて福祉ガイドマップに反映させようとしても無理があるのだから、必要とされている情報は何かという点を考えて、ガイドマップを作成する必要があるのではないだろうか。
 掲載の方法は、ここ数年「見やすいように」と、地図を使用したり、シンボルマークによる表現を中心にしたりと工夫している。調査した中でも、半数以上のガイドマップで地図やシンボルマークを採用している。しかし、その使用方法や基準がガイドマップごとに違っていて、回答の中にも、「全国で統一した方がいいのでは」という意見が出ている。

3)発行物の体裁
 発行物の体裁は、7:3の割合でブック形式が多い。町村レベルでは、比較的マップ形式のものを発行しているようである。これは、対象となる施設数が市区や県レベルとは違うためと思われる。ブック形式のではB5判が多い。
 持ち歩くことを考えるとB5判では少し大きいが、掲載内容が多ければ妥当な線であろう。判が小さくてページが多いと、手の不自由な人にとっては開きにくいものになってしまう。しかし他地域から来る人にとっては、「携帯性」は必要不可欠である。
 ガイドマップは、そこに住んでいる人が読む場合がほとんどであるし、それを前提としているといってもよいほどであるが、地域外から来る人のことも考えて、ガイドマップ作成をする必要もあると思われる。

2.調査の方法・内容とシンボルマークの統一

 前段でも述べたが、今回調査した中では、7割近くが地図やシンボルマークを使用するなど、視覚的に見やすいようにと工夫している。しかし、使用方法やマークのデザインが統一されていないなどの問題もある。
 福祉ガイドマップは、その地域内で調査から作成・発行、配布またそれを読んだ人の社会参加の活動を完結するとは限らない。他地域へ行きたい人もいれば、他地域から来たい人もいる。そういった人にも福祉ガイドマップは有効な情報源なのである。
 最低限必要な情報を、誰もがわかる形で提供するためには、調査の内容や基準の統一、シンボルマークのデザインや使用方法の統一が、これからの課題となっていくであろう。

3.福祉のまちづくりとガイドマップ作成活動

 ガイドマップを作成したことによって、車いすを使用している障害者は、町中にあるトイレや段差についての予備知識が得られ、外出がしやすくなった。また、施設が改善されたという例もある。まだまだ十分とはいえないが、一人でも多くの障害者が街に出ていくことが、「福祉のまちづくり」を加速させていくことになる。
 福祉のまちづくり活動、またその一貫としての「福祉ガイドマップの作成」という事業を継続させていくためには、体制をどう維持していくかが課題となる。行政や社会福祉協議会から委託されて、企画や調査活動をするケースも増えているが、そのようなお膳立てされたものばかりでは、継続するのは難しい。始めはそれでも仕方がないが、調査活動を通じて自発的なグループを形成し、その活動を支えていくという点も、考えなければならない。
 「まちづくり」は「人づくり」である。人材面・資金面等さまざまな課題を乗り越えて活動を継続していくためには、社会福祉協議会やボランティアセンターにその役割を期待したい。

資料

1.「福祉ガイドマップ」調査社会福祉協議会一覧

県名 名称 返送
北海道 函館市
旭川市
苫小牧市
美唄市
赤平市
千歳市
札幌郡広島町
石狩郡新篠津村
亀田郡恵山町
檜山郡江差町
爾志郡乙部町
寿都郡黒松内町
虻田郡留寿都村
余市郡仁木町
上川郡美瑛町
上川郡風連町
紋別郡湧別町
虻田郡虻田町
勇払郡穂別町
沙流郡門別町
河西郡更別村
川上郡標茶町
白糠郡音別町
青森県 青森市
八戸市
黒石市
南津軽郡大鰐町
上北郡七戸町
上北郡天間林村
下北郡風間浦村
岩手県 盛岡市
水沢市
花巻市
釜石市
江刺市
二戸市
岩手郡玉山村
稗貫郡大迫町
稗貫郡石鳥谷町
胆沢郡金ヶ崎町
東磐井郡室根村
気仙郡住田町
宮城県 石巻市
塩釜市
古川市
柴田郡柴田町
伊具郡丸森町
加美郡中新田町
加美郡小野田町
志田郡松山町
栗原郡若柳町
栗原郡高清水町
栗原郡一迫町
登米郡登米町
桃生郡河南町
桃生郡桃生町
桃生郡鳴瀬町
本吉郡津山町
秋田県 秋田市
横手市
大館市
本荘市
鹿角市
鹿角郡小坂町
北秋田郡阿仁町
北秋田郡合川町
南秋田郡天王町
由利郡仁賀保町
由利郡矢島町
由利郡岩城町
仙北郡西仙北町
仙北郡六郷町
仙北郡千畑町
山形県 米沢市
鶴岡市
寒河江市
上山市
長井市
天童市
東根市
西村山郡河北町
最上郡最上町
東田川郡櫛引町
福島県 会津若松市
いわき市
白河市
須賀川市
喜多方市
伊達郡川俣町
安達郡本宮町
安達郡白沢村
安達郡東和町
岩瀬郡長沼町
耶麻郡北塩原村
耶麻郡磐梯町
河沼郡会津坂下町
河沼郡柳津町
西白河郡西郷村
西白河郡泉崎村
東白川郡棚倉町
東白川郡鮫川村
石川郡平田村
田村郡三春町
田村郡都路村
双葉郡広野町
双葉郡楢葉町
双葉郡富岡町
双葉郡浪江町
相馬郡新地町
茨城県 土浦市
古河市
下館市
勝田市
取手市
鹿島郡旭村
鹿島郡神栖町
新治郡新治村
栃木県 今市市
大田原市
黒磯市
河内郡上三川町
河内郡河内町
上都賀郡西方村
芳賀郡益子町
芳賀郡茂木町
芳賀郡芳賀町
下都賀郡壬生町
下都賀郡大平町
塩谷郡藤原町
塩谷郡氏家町
那須郡烏山町
群馬県 前橋市
高崎市
碓氷郡松井田町
埼玉県 秩父市
岩槻市
越谷市
富士見市
比企郡川島町
千葉県 館山市
茂原市
八日市場市
我孫子市
印旛郡栄町
匝瑳郡光町
山武郡蓮沼町
夷隅郡御宿町
東京都 港区
文京区
練馬区
三鷹市
青梅市
府中市
昭島市
小平市
国分寺市
国立市
保谷市
東久留米市
神津島村
八丈町
神奈川県 鎌倉市
小田原市
逗子市
三浦市
厚木市
大和市
中郡大磯町
中郡二宮町
足柄上郡大井町
新潟県 長岡市
柏崎市
新津市
村上市
上越市
刈羽郡高柳町
岩船郡荒川町
富山県 砺波市
小矢部市
石川県 金沢市
河北郡高松町
珠洲郡内浦町
福井県 武生市
小浜市
大野市
坂井郡金津町
山梨県 富士吉田市
山梨市
東山梨郡勝沼町
北巨摩郡明野村
北巨摩郡白州町
南都留郡河口湖町
長野県 上田市
駒ケ根市
小県郡東部町
上伊那郡辰野町
上伊那郡南箕輪村
下伊那郡上郷町
南安曇郡奈川村
北安曇郡美麻村
岐阜県 大垣市
高山市
関市
恵那市
各務原市
恵那郡岩村町
益田郡下呂町
吉城郡神岡町
安八郡神戸町
山県郡美山町
武儀郡上之保村
加茂郡川辺町
土岐郡笠原町
静岡県 静岡市
清水市
藤枝市
田方郡伊豆長岡町
田方郡土肥町
小笠郡菊川町
周智郡森町
周智郡春野町
磐田郡竜洋町
愛知県 岡崎市
瀬戸市
半田市
津島市
碧南市
刈谷市
豊田市
安城市
西尾市
江南市
尾西市
小牧市
新城市
大府市
知多市
知立市
岩倉市
豊明市
愛知郡長久手町
丹羽郡扶桑町
葉栗郡木曽川町
海部郡七宝町
海部郡美和町
海部郡八開村
海部郡佐織町
幡豆郡一色町
北設楽郡東栄町
北設楽郡豊根村
北設楽郡富山村
南設楽郡鳳来町
南設楽郡作手村
三重県 津市
松阪市
上野市
尾鷲市
亀山市
多気郡大台町
多気郡宮川村
度会郡小俣町
阿山郡阿山町
南牟婁郡紀宝町
滋賀県 大津市
近江八幡市
八日市市
守山市
野洲郡野洲町
甲賀郡甲西町
神崎郡五個荘町
愛知郡湖東町
愛知郡秦荘町
伊香郡余呉町
伊香郡西浅井町
京都府 福知山市
舞鶴市
宇治市
向日市
長岡京市
相楽郡山城町
天田郡三和町
大阪府 吹田市
高槻市
枚方市
河内長野市
柏原市
東大阪市
三島郡島本町
兵庫県 姫路市
西宮市
伊丹市
相生市
竜野市
三木市
高砂市
三田市
加西市
川辺郡猪名川町
揖保郡太子町
佐用郡南光町
佐用郡三日月町
宍粟郡安富町
宍粟郡一宮町
宍粟郡波賀町
宍粟郡千種町
城崎郡竹野町
出石郡但東町
朝来郡和田山町
朝来郡朝来町
氷上郡市島町
多紀郡篠山町
津名郡津名町
津名郡五色町
津名郡東浦町
三原郡西淡町
三原郡南淡町
奈良県 生駒郡斑鳩町
北葛城郡上牧町
和歌山県 和歌山市
西牟婁郡白浜町
鳥取県 米子市
八頭郡若桜町
気高郡気高町
気高郡青谷町
島根県 松江市
出雲市
安来市
飯石郡掛合町
簸川郡斐川町
簸川郡湖陵町
簸川郡大社町
邑智郡邑智町
岡山県 岡山市
津山市
児島郡灘崎町
真庭郡湯原町
勝田郡奈義町
広島県 呉市
三原市
尾道市
府中市
佐伯郡吉和村
高田郡八千代町
賀茂郡大和町
比婆郡比和町
山口県 宇部市
萩市
小野田市
美禰市
大島郡東和町
大島郡橘町
玖珂郡和木町
玖珂郡由宇町
玖珂郡本郷村
都濃郡鹿野町
豊浦郡豊北町
美禰郡秋芳町
大津郡日置町
阿武郡阿武町
阿武郡むつみ村
阿武郡旭村
徳島県 鳴門市
名西郡石井町
海部郡海部町
麻植郡鴨島町
美馬郡脇町
香川県 高松市
小豆郡池田町
愛媛県 松山市
宇摩郡土居町
伊予郡広田村
高知県 宿毛市
香美郡野市町
高岡郡窪川町
高岡郡日高村
福岡県 久留米市
直方市
行橋市
宗像市
太宰府市
粕屋郡志免町
佐賀県 佐賀市
伊万里市
鹿島市
佐賀郡大和町
神埼郡神埼町
三養基郡上峰町
東松浦郡厳木町
東松浦郡相知町
杵島郡江北町
長崎県 佐世保市
島原市
大村市
西彼杵郡長与町
西彼杵郡外海町
南高来郡国見町
熊本県 熊本市
荒尾市
水俣市
牛深市
下益城郡城南町
鹿本郡植木町
阿蘇郡小国町
上益城郡甲佐町
球磨郡岡原村
天草郡大矢野町
天草郡倉岳町
天草郡苓北町
天草郡河浦町
大分県 大分市
竹田市
豊後高田市
宇佐市
西国東郡真玉町
東国東郡国見町
東国東郡安岐町
速見郡日出町
大分郡野津原町
大分郡庄内町
大分郡湯布院町
南海部郡上浦町
南海部郡弥生町
南海部郡直川村
南海部郡鶴見町
南海部郡米水津村
大野郡野津町
大野郡三重町
大野郡清川村
大野郡緒方町
大野郡朝地町
大野郡大野町
大野郡犬飼町
直入郡荻町
直入郡久住町
玖珠郡玖珠町
日田郡前津江村
日田郡中津江村
日田郡上津江村
日田郡大山町
日田郡天瀬町
下毛郡三光村
下毛郡山国町
宇佐郡院内町
宮崎県 宮崎市
都城市
延岡市
宮崎郡佐土原町
南那珂郡北郷町
東臼杵郡南郷村
鹿児島県 川内市
串木野市
国分市
西之表市
垂水市
日置郡郡山町
日置郡日吉町
薩摩郡薩摩町
曾於郡輝北町
大島郡瀬戸内町
大島郡与論町
沖縄県 宜野湾市
浦添市
糸満市
国頭郡東村
神奈川県 横浜市鶴見区
横浜市中区
横浜市保土ケ谷区
横浜市港北区
横浜市栄区
川崎市川崎区
川崎市麻生区
愛知県 名古屋市千種区
名古屋市北区
名古屋市熱田区
名古屋市中川区
名古屋市緑区
名古屋市天白区
兵庫県 神戸市灘区
広島県 広島市東区
広島市佐伯区
福岡県 北九州市門司区
北九州市戸畑区
北海道 札幌市中央区
札幌市豊平区
札幌市南区
大阪府 大阪市北区

2.福祉ガイドマップ一覧

ガイドマップ名称 発行元 発行年 判型 頁数
北海道 湯川地区ノーマライゼーションエリアガイドマップ 函館市社会福祉協議会 1991 3 B3
車イスガイド旭川 VOL.II
~あなたと街で出会いたい~
障害者問題を考える会 1992 7 A5 336
車いすガイド苫小牧
~出会いを探そうこの街で~
苫小牧車いすガイドマップを作る会 1992 12 B5 142
青森 青森市福祉ガイドマップ 青森市 1992 3 B5 89
車椅子マップ 黒石市社会福祉協議会 1993 7 B5 81
岩手 ハンディマップいわて 岩手社会福祉協議会
岩手県国際障害者年推進協議会
1988 3 A4 353
車いすトイレマップ花巻 花巻市社会福祉協議会 1987 6 B4 32
ふくしガイドマップはなまき 花巻市 1985 3 B5 58
宮城 石巻の福祉・保健サービスおもいやりまっぷ 石巻市社会福祉協議会
石巻市ボランティア活動推進協議会
1992 3 A4
秋田 街はまっている
ガイドマップ福祉あきた
秋田県 1990 3 A4 167
本庄市福祉地図 本庄市社会福祉協議会
本庄市ボランティア団体連絡協議会
1988 7 B2
車いすガイドマップ 鹿角市 1988 3 B5 34
山形 やさしい福祉のまちをめざして 米沢市社会福祉協議会 1992 12 B5 50
長井市障害者福祉ガイドマップ 長井市社会福祉協議会 1993 3 A4 28
笑顔のままで街に出よう
天童市福祉マップ
輝きのべにばな大会
まごころ運動推進協議会
1992 10 B5 34
河北町福祉マップ 河北町社会福祉協議会 1993 3 B5 19
福祉ガイドマップ つるおか 福祉ガイドマップ作成委員会 1983 6 B5 50
福島 うつくしまふくしまっぷ 福島県 1989 5 A4 793
茨城 コガみんなの街
福祉マップ63(官公庁編)
古河市社会福祉協議会 1988 7 B5 58
福祉ガイドマップ勝田
まちへでよう
勝田市
勝田市社会福祉協議会
1985 3 B5 50
とりでの街を車イスで歩いて見たら 地域に活きたい障害者の会 1992 4 B4 6
栃木 今市市福祉マップ 今市市社会福祉協議会 1992 7 A4
294(フクシ)MAP
~国道294号線を294ロードにしよう~
烏山町社会福祉協議会 1994 10 B5 61
群馬 車いすガイドマップ高崎 高崎市 1983 3 A4 32
あそびにゆこう ガイドマップを作る会 1993 12 B5 75
埼玉 さいたまっぷ
~福祉情報地図~
埼玉県生活福祉部障害福祉課 1992 3 B5 319
ふくしガイドマップ「公共施設編」 富士見市社会福祉協議会 1992 3 B5 39
越谷ロードマップ 報告書 越谷ボランティア連絡会
翔び出す街の会
1983 10 B5 21
千葉 館山あっちこっちかわやMAP 館山市社会福祉協議会 1992 1 B4
栄町車いすマップ 1993 3 B3
東京 港区車いすタウンマップ 港区社会福祉協議会 1994 8 B5 32
青梅車イスマップ あたりまえの会 1993 3 B5 37
小さな旅 こだいら 小平市社会福祉協議会 1994 3 A5 96
くにたちふくしガイド 国立市社会福祉協議会 1994 1 B5 63
福祉マップ みたか
~障害者の住みよいまちのガイド~
三鷹市社会福祉協議会 1994 3 B5 95
車椅子マップ D & S B4
神奈川 Live in 港北
~福祉保健ガイドブック~
横浜市港北区 1993 3 B5 119
三浦 車イス・ガイドマップ 三浦市社会福祉協議会 1989 1 B5 22
新潟 かしわざきふくしマップ 柏崎市社会福祉協議会 1992 10 B4
街へ出かけよう!
福祉マップながおか
長岡市
長岡市社会福祉協議会
1990 2 A4 50
富山 車イス・ガイド・ブック in となみ 砺波市社会福祉協議会 1984 9 B6 62
石川 ふれあいマップ金沢 金沢市 1991 3 B4変形 99
山梨 山梨市お年寄り・障害者のためのトイレガイドマップ 1990 10 B6 23
長野 でてこいマップ 1993 4 A4
岐阜 車いすがいどせき(改訂版) 関市障害者の住み良い街をめざすはぐるまの会 1993 3 B5 103
Largo(ラルゴ)
福祉ガイドマップかかみはら'92
各務原市社会福祉協議会 1992 3 B5 64
下呂温泉身障者ガイドマップ 下呂町身体障害者福祉会
下呂町社会福祉協議会
1993 12 A3
大垣市福祉まっぷ 大垣商業高等学校
インターアクトクラブ
B4 23
静岡 ハンディキャップガイドふじえだ 藤枝市社会福祉協議会 1993 3 A5 137
福祉マップ A3
愛知 あつた福祉マップ 1992 11 B4
みどりふくしマップ 緑区社会福祉協議会 1993 5 B4
岡崎車いすガイドマップ 岡崎市 1990 2 A5 88
瀬戸市福祉ガイドマップ 瀬戸市
瀬戸市社会福祉協議会
1992 3 A5 54
とよた車いすガイドブック 豊田市 1991 4 B5 55
車いすガイドマップ 江南市 1993 5 B5 37
福祉ガイドマップ 尾西市 1993 3 B5 30
福祉ガイドマップ 新城市 1993 3 B5 52
車いすガイドマップみちづれ 知多市 1993 3 B5 35
豊明市福祉ガイドマップ 1993 3 B2
扶桑町福祉マップ 扶桑町 1994 10 B2
七宝町・福祉ガイドマップ 七宝町 1992 3
福祉ガイドマップ 八開村 1993 3 B3
福祉ガイドブック 佐織町 1993 4 B5 21
一色町福祉ガイドマップ 1990 4 B3
福祉ガイドマップ 豊根村 1992 3 B5 24
富山村福祉ガイドマップ 富山村 1993 3 A6 30
うまいもんマップ
~車イス利用者も楽しめる飲食店ガイド~
豊田市車イスガイドブック A5 32
木曽川町福祉ガイドマップ 木曽川町 1993 7 A2
作手村福祉ガイドマップ 作手村 B2
鳳来町福祉ガイドマップ 鳳来町 B2
三重 福祉マップいがうえの 上野市福祉マップをつくる会 1989 10 B5 72
福祉マップ マイタウンおわせ 尾鷲市社会福祉協議会 A4 46
滋賀 大津市福祉マップ 大津市社会福祉協議会 1992 10 B5 105
ちゅうぶふれあいマップ 1994 3 A4 49
京都 福知山市福祉マップ 福知山市社会福祉協議会 1988 3 A4 34
福祉マップ 山城町社会福祉協議会 1994 10 B5 10
三和町福祉マップ 三和町身体障害者福祉会 1993 10 B5 12
大阪 東大阪市Cリージョンセンター
GREENPALふれあいマップ
1993 11 B4
兵庫 姫路車いすプロムナード 姫路市健康福祉局 1993 3 B5 28
高砂市くるまいすガイドマップ 高砂MAPの会 B4
和歌山 福祉マップしらはま 白浜町社会福祉協議会 1993 5 A3
広島 まち点検のまとめ 五月が丘編 広島市佐伯区社会福祉協議会 1994 3 B5 12
心身障害の人のための福祉ガイドブック 府中市福祉事務所 1993 4 B5 42
山口 おでかけ大作戦
~車イスガイドブック宇部市~
宇部市社会福祉協議会 1993 5 B5 301
ふれあいのまち萩(車椅子用ガイドブック) 萩市福祉事務所
萩市社会福祉協議会
1982 10 B5 20
徳島 ふれあいガイドマップかもじま 鴨島町ボランティアセンター 1994 3 A2
香川 障害者ガイドブック高松'90 高松市 1990 3 B5 66
高知 窪川町車イスガイドマップ 窪川町身体障害者連盟 1992 10 B5 48
福岡 車椅子ガイド久留米 障害者も住みよい街づくり協議会
久留米市社会福祉協議会
1982 9 A5 140
しめまちの福祉について考えよう A4 16
佐賀 ハートアンドハート 佐賀市 1993 3 B5変形 107
身体障害者用マップ 鹿島市社会福祉協議会 1992 11
長崎 身体障害者「しまばらガイド」 島原市社会福祉協議会 1986 4 A5 80
福祉マップOMURA 大村市社会福祉協議会 1992 12 B5 24
熊本 ふれあいまっぷ 水俣市 1993 3 B5 52
大分 豊の国ふくしマップ 大分県 1993 3 A4 287
宮崎 車椅子ガイドブック 延岡市 1993 3 B5 45
沖縄 クランクス・うらぞえ福祉マップ ボランティアグループ クランクス 1994 4 A2
ふくしマップ 糸満市社会福祉協議会 1994 1 B4

III部

参考資料

I.アメリカ建築物および交通機関に関する改善命令委員会設立20周年および建築物の障壁に関する法律制定25周年を記念して

II.統一連邦アクセシビリティー基準(UFAS)アクセシビリティー・チェックリスト

資料を掲載するにあたって

 ここでは、アクセス先進国ともいうべきアメリカで組織されている「建築物および交通機関に関する改善命令委員会(ATBCB)」の20年間の小史と、ATBCBが作成したアメリカ国内の建築物のアクセス度を調査するための「統一連邦アクセシビリティー基準(UFAS)アクセシビリティー・チェックリスト」をご紹介します。

 前者は、ATBCBの機関誌である「アクセス・アメリカ」の最新号に掲載された資料です。
 ATBCBは、当初、アメリカにおける公的機関の建築物におけるアクセスを保障するために設置されたものでしたが、現在は「障害をもつアメリカ人法(ADA)」のもとにおける交通機関や建築物におけるアクセス保障のための指針づくりを実質的に行なっており、公的機関だけでなく、民間も含めたアメリカ全体の交通機関や建築物のアクセスに関するチェック機関になっています。
 また、後者は、アメリカ国内の様々な建築物が「統一連邦アクセシビリティー基準(UFAS)」に適合しているかどうかを、設計の専門家やそれに関心のある市民などが調査するときに利用する調査票で、ATBCBにより作成されたものです。

 近年、日本でも、交通機関や建築物のアクセスを求める障害者運動が盛り上がり、障害をもつ人々のアクセス問題が大きくクローズアップされています。政府では、いくつかの積極的な施策を打ち出し、また、いくつかの地方自治体では「まちづくり条例」を策定し、障害をもつ人を含めすべての人にむけた生活環境の整備への取り組みがはじまりましたが、日本においても、ATBCBのような機関が早期に設置されることを期待してやみません。

1.アメリカ建築物および交通機関に関する改善命令委員会設立20周年および建築物の障壁に関する法律制定25周年を記念して

過去をふりかえって
◎アクセスに関する記念すべき金字塔

<設立20周年をむかえたアクセス評議会>

 米国におけるアクセシビリティに関するもっとも輝かしい金字塔は1990年7月28日に制定された「障害をもつアメリカ人法(Americans with Disabilities Act)」である。この歴史的な市民権法は障害者の諸権利を保障し、障害に基づく差別を禁じている。
 しかしながら、この歴史的偉業に至るまでには、過去20年間にわたるアクセシビリティ達成のための努力があったのである。「アクセス・アメリカ(Access America)」の本号では、1968年「建築物の障壁に関する法律(Architectural Barriers Act、略称ABA)」および1973年「リハビリテーション法(Rehabilitation Act of 1973)」というふたつの偉業についてその意義を讃えたい。「リハビリテーション法」は「建築物および交通機関の障壁に関する改善命令委員会(Architectural and Transportation Barriers Compliance Board)」の設立について定めた法律であるが、同委員会はアクセス評議会(Access Board)の名前でも知られている。

<主要課題になったアクセシビリテイ>

 多くのアメリカ人がアクセシビリティに関する問題を抱えているという意識が高まり、議会がこの問題に細かい配慮を向けるようになったのは1965年の「職業リハビリテーション法」の改正に際してであった。
同年に、議会は「障害者のリハビリテーションのための建築物上の障壁に関する全国評議会(National Committee on Architectural Barriers to Rehabilitation of Handicapped)」を設立した。その目的は次の3つであった。
○公的施設においてアクセスを阻害する建築物の障壁の程度について明確にする。
○障壁を取り除くために何が行なわれつつあるかについて報告する。
○既存の障壁および今後発生する障壁を取り除くための施策について提案する。
 同評議会が1968年6月に発表した「すべてのアメリカ人のためのデザイン(Design for All Americans)」と題する報告書により、その後の法制度の下地ができあがった。この報告書では「何百万人もの障害者が十分に活動し、生産に寄与することを阻害する不必要な障害物」があると断罪され、「人的および金銭的支出に関する無配慮により費用の増大が生じ・・・それは、もし障害のない者だけが生き残れるような環境を作り続ければ、永遠に増大し続ける費用支出を国に強いることになるであろう」との警告が発せられた。

<建築物の障壁に関する法律の制定>

 議会は同協議会の勧告を実施に移し、1968年8月12日に「建築物の障壁に関する法律(ABA)」を制定した。同法の制定にあたり議会は次の2つの結果を期待した。
○連邦政府の建築物および施設が完全に障害者にとってアクセシブルになること
○障壁を取り除こうとする連邦政府の態度が先例となって、州や地方自治体に対して範を示すことになるであろうこと
 ABAはアラスカ州選出の上院議員バーレット議員(E.L.Barlett)によって1967年1月に上程された。バーレット議員の秘書のひとりにヒュー・ギャラハー(Hugh Gallagher)がいたが、彼は車いすを使用しており、介助者なしで国立美術館に入館できなかったことから、アクセシビリティに対する障壁の問題を最初に経験した者であった。バーレット議員は国立美術館がスロープを設置すべきであると1965年には確信したが、国立美師館におけるアクセシビリティの問題は他の建築物においても共通する問題であると認識するに至った。
 ヒュー・ギャラハーが起草した法案は1967年にバーレット議員により上程され、これが1年半後に制定された建築物の障壁に関する法律の基礎となったのである。
 ギャラハーは最近のインタビューの中で次のように語っている。
 「私が故バーレット議員の法制担当秘書をしていた時に、後に1968年建築物の障壁に関する法律となった法案の起草を行いました。私には、障害者は、税金を納める完全かつ平等な市民として、すべての公的な施設に対する完全かつ平等なアクセスについての権利、市民権を有していると思えたのです。」
 建築物の障壁に関する法律が制定されて3年後に、議会は法律の遵守が十分でなく、連邦政府のアクセシビリティに関するデザイン基準書の作成に着手されていないことを認識していた。ABAの施行についての責任を有し、基準書の策定を保障するための中央機関が必要なことは明白であった。

<アクセス評議会の設立>

 「建築物および交通機関における改善命令委員会」というものが考えられはじめたのは、1972年「リハビリテーション法」に関するヒアリングの時であった。このヒアリングは「上院労働および公的福祉委員会(Senate Committee on Labor and Public Welfare)」(後になって、上院労働および人的資源委員会-Senate Committee on Labor and Human Resources-と名称変更)のもとで開催された。実際に同委員会の設置について定めたのは「1973年リハビリテーション法」第502条であるが、同法が制定されたのは1973年9月のことであった。同委員会の使命はふたつあり、そのひとつは連邦政府機関に建築物の障壁に関する法律を遵守させることであり、もうひとつはABAの中で述べられている環境上の問題についての解決案を策定することであった。
 議会は、法律を遵守させることが同委員会の主たる任務であると明確に考えていた。ある報告書の中で上院労働および公的福祉委員会は次のように述べている。
 「連邦政府の建築物および連邦政府から補助金を受けている事業におけるバリアー・フリー・デザインは現行法によって義務づけられているにもかかわらず十分には守られていない。本委員会は、障害をもつ個人ひとりひとりが、統合されるべき社会の中を自由に移動する機会をもつことは当然であると考えている。本委員会は、アクセス評議会がそれを達成できるものと確信している。」
 アクセス評議会が設立された当初は、8つの機関の閣僚級委員から構成されていた。この8つの機関は、建築物および施設のデザイン、開発および建築に関連するほとんど全ての機関であった。具体的には、保健、教育および福祉省、住宅および都市開発省、内務省、労働省、運輸省、連邦調達庁、退役軍人庁、郵政省であった。
 1974年3月に、アクセス評議会(当時はまだ建築物および交通機関の障壁改善命令委員会もしくはATBCBという略称で呼ばれていた)の最初の会議が、保健、教育および福祉省(HEW)大臣のカスパー・ワインバーガー(Caspar Weinberger)によって召集された。アクセス評議会が最初に行ったもののひとつは、交通機関において障害者が抱えている問題に関するヒアリングであった。これは1974年6月にサンフランシスコで開催された。2回目の公式ヒアリングは障害者の住宅問題についてであり、これは1975年6月にシカゴで開催された。
 1974年のリハビリテーション法改正により、アクセス評議会には次のような大幅な改正が加えられた。
○アクセス評議会の改善命令に関する権限が強化され同委員会の権限は「省、機関、その他に対する最終的かつ拘束力をもつものであり、連邦政府の資金交付を差し止めることも含むものである」とされた。
○国防省が委員に追加された。
○HEWの大臣がアクセス評議会の議長に任命された。
○アクセス評議会は「消費者助言委員会(Consumer Advisory Panel)」を設置し、その委員の半数以上は障害者によって構成されることを命じられた。
○アクセス評議会は事務局長およびその他のスタッフを配置することを命じられた。

<アクセス評議会へのスタッフの配置>

 1975年3月に、ジェイムズ・ジェファーズ(James S.Jeffers)がアクセス評議会の初代事務局長として着任した。同事務局長は、1年以内に主要なスタッフを配置した。1976年に、16人の委員から成る「アクセシブルな環境に関する全国助言委員会(National Advisory Committee on an Accessible Environment)」が設置された。同委員会は障害をもつ消費者および個人を代表するものであり、5月に最初の会議が開催された。
 同年、アクセス評議会は、アメリカ建国200年を祝して「国立公園管理事務所(National Park Service)」が主要なモニュメントをアクセシブルに改装することを援助した。その他の協力事業としては、「空港管制官国際協議会(Airport Operators Council International)」と協力して発行した「アクセス・トラベル:空港編(Access Travel:Airport)」アムトラック(訳注:アメリカの長距離鉄道)と協力して鉄道車両のアクセシブルなデザインについて携わったことなどがあげられる。
 1976年から1977年にかけては、アクセス評議会は啓蒙活動に力を注いだ。当初はホワイト・ハウスでの説明用に製作された映画を全国的に配布し、アクセシビリティについての関心を高めるためのラジオおよびテレビ用の公共広告をシリーズで作成した。
 建築物の障壁に関する法律に関連して公式の苦情申立てがあったのは、アクセス評議会が正式に業務を開始する前の1974年1月14日のことであった。しかし、連邦政府の援助を受けた施設におけるアクセシビリティに関する苦情が通年で記録されたのは1977年度からのことであった。
 1977年にロバート・ジョンソン(Robelt M.Johnson)がジェファーズの後を継いで事務局長に就任した。ジョンソンは「連邦政府機関の法律違反に対してアクセス委員会が発行した最初の召喚状に署名をしたのは着任後1ヶ月も立っていない時でした。」と当時を振り返って語っている。
 1993年9月30日までには合計2,741件の苦情が寄せられている。そのうち2,601件、約96%は解決済である。アクセス評議会は一貫して問題を平和的に解決しようと努めている。政策的な目的はほぼ達成されてきているといえる。苦情申し立ての16年問の記録の中で訴訟に持ち込まれたのはわずかに10件だけである。そのうち最も新しいものは、1989年5月に、フィラデルフィア市当局に2つの地下鉄にエレベーターとアクセシブルな入り口の設置を求める命令書を要求してのことであった。

<1978年の大変化>

 1978年リハビリテーション法改正法によりアクセス評議会の構造および構成が変化させられ、アクセス評議会の任務が増加した。
 この法改正により、法務省が10番目の委員として加えられることになった。さらに、初の民間からの委員が大統領の任命により加えられることともなった。そして、11人の民間からの委員のうち少なくとも5人は障害者でなくてはならないとされた。また、この法改正では、アクセス評議会が民間からの代表および障害者を含むようになったため、アクセシブルな環境に関する全国助言委員会を解散することも決定された。
 さらに、1978年の法改正では、アクセス評議会の議長は大統領の任命により2年間の任期とすることになった。その後、議長はアクセス評議会内の多数決で選出され、任期は1年を越えることはなかった。
 1979年12月4日に、最初の民間委員がジミー・カーター大統領によって任命された。また、同大統領はマックス・クレランド(Max Cleland)をアクセス評議会の議長に任命した。クレランドは議長就任当時は退役軍人庁の長官であった。
 その他の1978年リハビリテーション法改正による変化は次のようなものであった。
○1968年建築物の障壁に関する法律に関するアクセシビリティ基準についてのガイドラインおよび必須要件を策定するための権限がアクセス評議会に与えられた。
○アクセス評議会の専門的援助の役割が連邦政府の援助を受けた建築物や施設における障壁の除去(コミュニケーション上の障壁も初めて含まれることになった)にまで拡大された。さらに、民間事業体に対しても「可能な限り」専門的援助を提供することが命じられた。
 ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)は、最近、共通するアクセシビリティ基準を策定しようとした当時のことを思い起して次のように記している。
 「アクセシブル・デザインについての最低基準および必須要件(Minimum Guidelines and Requirements for Accessible Design、略称MGRAD)」は建築物の障壁に関する法律のもとでアクセシビリティ基準を策定することとされた4つの省庁、つまり国防省、住宅および都市開発省、郵政省、連邦調達庁を援助するものとして創りだされた。」と。「アクセス評議会がMGRADを発表したのは1981年1月16日のことでした。」とジョンソンは思い起している。MGRADを受け入れまいとする抵抗により妥協が生み出され、これが契機となって全国的なアクセシビリティ必須要件を改訂して統一しようということにつながっていったのです。」
 最終的なMGRADが発表されたのは1982年のことである。これらのガイドラインに基づき、統一連邦アクセシビリティ基準(Uniform Federal Accessibility Standards、略称UFAS)が策定されたのは1984年8月のことであった。

<アクセス評議会の委員の増加>

 1980年にはアクセス評議会は全員で21人から成っていた。10人は政府委員、11人は民間委員である。同年に、保健、教育および福祉省(NEW)は教育省(Departmenr of Education)と厚生省(Department of Health and Human Services)のふたつに分かれた。教育省がHEWの後任となり、厚生省は11番目の政府委員としてアクセス評議会に加わることになった。
 1986年に1973年リハビリテーション法第502条に改正が加えられ、アクセス評議会の委員は22人から23人に変更された。大統領の任命による民間委員が12人に増え、そのうち障害をもつ委員が5人から6人に増加させられたからである。
 また、この改正ではアクセス評議会の議長および副議長が1年任期でアクセス委員会の多数決で選出されることになった。さらに、議長および副議長は1年おきに政府委員と民間委員で交互に行うことになった。例えば、議長が民間委員の時は副議長は政府委員から選ばれるようになった。
 1992年に商務省が政府委員として追加され、多数決で民間委員が絶対多数を維持できるように民間委員も1名追加された。この改正により、アクセス評議会は創立20周年を25人の委員でむかえることになった。

<アクセス評議会と障害をもつアメリカ人法(ADA)>

 1980年代を通じて、アクセス評議会は連邦政府の建築物と施設に適用される建築物の障壁に関する法律を遵守させることと専門的援助の提供を実施した。それに加えて、アクセス評議会はアクセシブル・デザインの問題に関する議会の調査および証言に参加することも求められ、それはその後、1990年7月26日に制定された市民権法としての障害をもつアメリカ人法(ADA)に結実した。
 議会に対するADAの最初の草案作りにあたり、全米障害者協議会(National Council on Disability)はアクセス評議会の委員および職員にインタビューを行い、同評議会の勧告を法案に盛り込むことに協力した。
 ADAの審議の過程で、アクセス評議会はふたつの「白書」の作成を求められた。ひとつは建築物および施設と障害者に関する問題についてであり、もうひとつは交通問題についての検討であった。このふたつは白書は連邦政府職員や障害者運動の関係者の間に広く配布され、後に法制化されたADAの最終版の中の多くのアクセシビリティに関する施策の基礎となった。
 アクセス評議会の事務局長であるローレンス・ロフィー(Lawrence W.Roffee)および交通問題担当の専門家であるデニス・キャノン(Demis Cannon)は、下院の陸上交通機関に関する小委員会(House Subcommittee on Surface Transportation)および下院の交通機関および危険物に関する小委員会(House Subcommittee on Transportation and Hazardous Matehials)で証言を行なった。さらに、アクセス評議会のスタッフは、下院の陸上交通機関に関する小委員会および教育および労働委員会(Education and Labor Committee)のために、専門的な問題を討議するためのワークショップも開催した。
 ADAの最初の法案を起草した上院の障害政策に関する小委員会も、アクセス評議会に対してさらなる専門的援助の提供を求めてきた。

<新しい挑戦…ADAめもとでの規則作り>

 1990年7月に行われたADAに対する大統領署名の記念式典には2000人以上の人々がホワイト・ハウスに押し寄せた。ジョージ・ブッシュ大統領は次のように語った。
 「本年は特別に、独立宣言が自由を謳歌しそれと時をあわせて、すべてのアメリカ人が、自由と平等という私たちの最も基本的な理念を再度表明することになりました。障害をもつアメリカ人法は私たちの民主主義の原則が全面的に開花したことを示しています。
 連邦政府の補助金を受けた建築物や施設にだけ適用される建築物の障壁に関する法律と異なり、ADAは1964年公民権法のもとで、人種、皮膚の色、性別、出身国、宗教などにかかわらず与えられる市民権を障害者にまで保障しようとするものであった。
 ADAでは、民間企業、州、地方自治体、公的および民間事業体による交通機関を含む公共的施設およびサービスにおける、障害に基づいた差別を禁じている。また、同法では聴覚障害者に対するTDDのリレー・サービスについても定めている。
 ADAへの署名がなされて以来、アクセス評議会の任務は次のように拡大された。
○ADAアクセシビリティ指針(ADA Accessibility Guidelines、略称ADAAG)を策定すること
○ADAAGについての専門的援助および訓練を提供すること
○ADAAGを支援するための調査を行なうこと
 ADAの制定が予想される中で、ADAが制定された日から専門的援助についてのフリー・ダイヤルが稼働できるように準備した。また、アクセス評議会はADAのもとで定められていることになったアクセシビリティ指針の策定についてすぐさま着手し、その最初の規則策定にあたっての告知は1991年1月22日に行なわれた。
 確定した「建築物および施設に関するADAアクセシビリティ指針」(ADAAGの第1章から第9章)は、ADA制定1周年にあたる1991年7月26日に「官報(Federal Register)」に発表され、司法省はそのすべてを、ADAの第III章(公共的建築物および公的事業体によって運営されるサービス)のもとでアクセシビリティ・デザインの基準として策定されることになっていた建築物および施設のためのADAAGとして採用した。
 建築物および施設のためのADAAGの最初の4章は総論部分となっており、施策の適用範囲およびすべての建築物および施設に適用される専門的な内容について明らかにしている。
 適用範囲の部分では、どのような部分および空間(たとえば玄関、・駐車場、トイレなど)がどの程度の数アクセシブルにしなくてはならないかということについて明らかにしている。専門的な内容については、適用範囲とされた部分および空間をどのようにデザインすれば障害者が入ったり利用できるようになるのかについて文章およびイラストで明らかにしている。
 第5章から第9章は適用範囲の追加および専門的援助について定めている。第5草はレストランおよびカフェテリア、第6章は医療施設、第7章は商業施設、第8章は図書館、第9章はホテル、モーテルおよび短期宿泊施設についてである。
 1991年9月6日に、アクセス評議会は「交通機関の施設に関するADAアクセシビリティ指針(ADA Accessibility Guidelines for Transportation Facilities)」(第10章)および「交通機関の車両に関するADAアクセシビリティ指針(ADA Accessibility Guidelines for Transportation Vehicles)」を発表した。第10章は建築物および施設に関するADAAGに追加された。アクセス評議会は交通機関の車両に関するADAAGは独立した文書として発表した。この対象となるのは、バスおよびヴァン、高速鉄道、軽車両鉄道、通勤鉄道車両、自動行路制御車両、高速鉄道車両、モノレール、トラムおよびこれらと同種の車両である。
 また、1991年9月6日に運輸省は、ADAに関する連邦規則の中で、建築物および施設に関するADAAGの第1草から第10章およびアクセス評議会の交通機関の車両に関するアクセシビリティ指針をアクセシブル・デザインの基準として採用した。
 アクセス評議会は1994年の早い時期に、州および地方自治体の施設に関するアクセシビリティ指針を発表する予定である。これにより、建築物および施設に関するADAAGに新たに4章が追加され、次の適用範囲および関連する専門技術が含まれるであろう。つまり、司法、法制、規制関連施設(11章)、拘留および矯正施設(12章)、居住用住宅(13章)、公道(14章)の4章である。
 ウィリアム・マッケイブ(William H.McCabe)は1990年7月当時の議長であった。マッケイブはADAの署名の時の興奮を思い出して次のように語っている。
 「しかし、興奮は、アクセス評議会に課せられた任務の認識に変わりました。それは、アクセシビリティ指針を発表し、その指針に基づいて新築の建築物や既存の構造物の計画を変更しようとする人々に専門的な援助を与えることでした。」
 アクセス評議会の1993年の議長であったキャサリン・パーカー(Cathleen K.Parker)はADAに与えられた挑戦を「決意と不可能を可能となす能力によって」こなしたと信じていると語っている。
 「1990年7月以来・ADAAGを策定したのみならず、アクセス委員会の専門委員スタッフは54,000本の電話問い合わせに応じ、ADAAGに関する200回に近い講習会を開いてきました。さらに、アクセス評議会の印刷物を年に約50,000冊も配布しました。その中には、ADAAGについて頻繁になされる質問にこたえる形での、現在も続いているシリーズも含まれています。」
 「こうした事業は、政策問題から小さな技術的問題にまで対する、アクセス評議会の公私の委員およびスタッフの膨大な時間にわたる献身がはじめて可能になったのです。」
 1993年7月26日のADA制定3周年を記念するホワイト・ハウスでの席上でビル・クリントン大統領は次のように述べている。
 「私たちの国には無駄にしてよい国民はひとりもいない。障害をもつアメリカ人法を完全に実施することを通じてひとりひとりの巨大な潜在能力に投資しなくてはならない。この法律を人生に取り入れるということは、障害者が選択を行い、自立と自己決定のための枠組みを創造できるような力を与えるということを意味している。」
 「私のもとでの行政においては、隔離から統合へ、依存から自立へ、過保護からエンパワメントヘと障害者施策を転換することを約している。」
 「私たちの仕事は始まったばかりである。障害もつアメリカ人法が約したものを、力をあわせて完全実施し、全ての人のためのより統合された社会を創りだすことができることを私は知っている。」
 建築物と交通機関に関する改善命令委員会(アクセス評議会)は、アメリカという国をすべてのアメリカ人にとってアクセシブルにするための仕事を今後とも喜んで継続していくであろう。

主題:
●障害をもつ人の住みよいまちづくりをすすめる 「アクセス環境改善評価指針」策定委員会 報告書 NO.5
131頁~149頁

発行者:
社会福祉法人 全国社会福祉協議会

発行年月:
1995年03月

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