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講演1

「災害と障害」

東 俊裕 熊本学園大学教授/弁護士

はじめに

熊本地震が発生してから2年半以上たちます。その後もさまざまな災害があり、熊本地震は過去の話のように思われています。熊本学園大学では、障害があってもなくてもみんなで避難できるインクルーシブな避難所を作りましたが、以来私は、避難所にも来られない、多くの在宅障害者の支援に取り組んでいます。現在も在宅障害者からのSOSは続いています。

この間、全国からいただいた多くの支援に、改めてこの場を借りてお礼申し上げます。

災害と障害者の課題-事前・事後の避難を中心に

私が災害と出会うきっかけになったのは、東日本大震災でした。私はちょうど内閣府の障害者制度改革の仕事をしていました。障害者制度改革推進会議の中でも、2回ほど災害だけをテーマにした会議を開きました。

災害を巡る障害者の問題は、予防対策、応急対策、復興対策など、論点は多岐にわたります。またその中で、福祉関連団体、障害当事者団体が担うべき課題もあります。今日は時間もありませので、事前避難を中心にお話ししたいと思います。ただ、事前避難といっても、障害者の場合は、どのような災害であっても、逃げ遅れる、取り残されるという現状があります。ですから、単に「事前」の避難だけでなく、災害の最中の避難や、落ち着いたあとの事後の避難も考えなくてはなりません。

避難において支援を必要とする人たちの存在が意識されたのはそんなに古い話ではありません。その問題が公的に認知されて取り組みが始まったのは、2004(平成16)年の風水害がきっかけでした。このときの死亡者のうち65歳以上の占める割合のデータがありますが、地域によっては90%が65歳以上というところもあり、全体でも128人中65人が65歳以上で、50%を超える数字になっています。

災害時に支援を必要とする人々の存在

こうした状況を受けて、平成17年3月に、「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」が政府から出されました。翌年には改訂版が出されます。私が内閣府にいたときは、これに基づく施策がなされていました。

東日本大震災での避難支援の実情

このガイドラインに基づいて各地方自治体では一定の施策をしていましたが、東日本大震災では津波の問題があり、ほとんど機能しませんでした。福島県南相馬市では、避難指示が出され住民が避難しました。しかし警察や自衛隊が入った後でも、障害者が取り残されていました。取り残された人をどうやって見つけ出し、どうやって支援するかが、命に関わる課題となりました。

私も現地に入りましたが、現地で踏みとどまって障害者の支援していた青田さんが、名簿の開示を求めて障害福祉の担当部長だったと思いますが、その方と折衝の末、開示していただくことになりました。当時も個人情報保護条例の例外規定はありましたが、それを適用する例がほとんどなかったので、開示の決断は大変だったろうと思います。

災害対策基本法の改正と新たな取組指針

そういったことが2013(平成25)年の災害対策基本法の改正につながったのかなと思います。それまで施策として行われていたものを法律上に位置づけ、同年8月には「避難行動要支援者の避難行動支援に関する取組指針」が出されます。

この指針に基づく、避難行動要支援者名簿に、誰を載せるか、どういった団体や個人に開示するかについては、地域防災計画の中に定めることになっています。ですから地域によって中身が少しずつ違うわけですね。

法の趣旨としては、行政が管理している障害者手帳や、高齢者の要支援の情報などをベースに名簿を作るのですが、まだ従来の「手上げ方式」を踏襲している自治体もあるようです。しかし手を挙げた人だけではダメで、まずは、例えば要介護3以上の方とか、重度の障害者などに該当する人であれば全員を名簿に載せることが求められています。この名簿をここでは「全体名簿」と言うことにしますが、この全体名簿の中から、事前の情報開示に同意してもらうよう、行政が働きかけるということになります。ただ、長期に施設入所、入院している人たちは、名簿の対象者から省かれていることが多く、注意が必要です。

同意した人の名簿をここでは「同意者名簿」と言うことにしますが、この同意者名簿の開示先としては、多くの自治体では、消防、警察、民生委員、自主防災組織、社会福祉協議会、その他自治会などとなっています。

この同意者名簿の開示を受けた民生委員などは、平時から個別支援計画を策定し、いざというときに備える、という流れになっています。

避難行動支援の策定状況

この仕組みの策定状況については、消防庁が統計を取って発表しています。一番新しいものは、11月5日に発表されていますが、それによれば、97%の市町村が名簿を策定済みとのことです。ところがこのうち個別支援計画を全部策定したところは、14%にすぎません。一部作成を合わせても56%で、41%は計画を作っていません。名簿があっても個別支援計画がなければ、実質上、制度は機能しないわけです。

名簿に掲載されている避難行動要支援者の全体数は780万人(国民の6.1%)ほどで、その中で個人情報の事前公開に同意した人が315万人(国民の2.5%)ほどです。この数をベースに支援がなされていくわけですが、この人たちの内訳はどういうものなのか、資料としては発表されていませんが、いろいろ調べてみました。

名簿登載者数などの図表

まず障害者の数については、平成30年度版障害者白書によれば全体で930万人ほどになります。そのうち在宅が886万人、施設が50万6千人ぐらいです。先ほど言ったように、避難行動要支援者名簿は在宅を前提にしていますので、この在宅障害者の数字をもとに考えることにしました。

災害時には、日頃からどんな人とつながっているのかが生死を分けることにもなります。そこで、在宅障害者がどの程度福祉関係者とのつながりをもっているのかについて検討すると、まず、障害福祉サービスの受給者数は全体で約112万人、うち在宅者は大体92万人になります。

そして、この障害福祉サービスは、基本的には65歳未満の障害者を対象にしています。この在宅障害者のうち、65歳未満の在宅障害者は416万人ほどです。

それで、障害福祉サービスを受けていない65歳未満の障害者がどのくらいいるかですが、大雑把に言って、416万人から92万人を引いた324万人ほどと考えられます。

障害福祉サービス受給者の概況

65歳以上になると、介護保険ということになりますが、介護保険の認定を受けている人が全体で650万人ぐらいいます。避難行動要支援者名簿は大体要介護度3以上が対象ですので、それに該当する人が230万人ほどいます。その中で施設に入っている人は約77万人ほどですので、在宅で要介護3以上の人たちは、230万から77万を引くと約150万人くらいなります。

介護保険サービス受給者の概況

要支援の全体名簿との関係をみると、まず、施設入所者や長期入院者、高齢者のうち要介護2以下の方や軽度障害者は、そもそも名簿の対象外です。

全体名簿に含まれる人のうち、在宅の要介護3以上の人や在宅の福祉サービス受給者は、福祉や医療などと何らかのつながりはあると考えられます。

しかし、全体名簿に含まれてはいても、在宅で障害福祉サービスを受けていない65歳未満の人や、介護保険サービスも受けていない65歳以上の障害者は、災害が起きたからといって福祉関係者からの支援は望めません。また、福祉サービス等を受けている人でも、災害時にサービスがちゃんと受けられるかという問題もあります。以上の数字は大雑把な推計なので違っているかもしれませんが、障害者や高齢者全体の中で、災害支援の対象になっている人たちの占める状況や福祉という社会資源とのつながりの大枠が分かっていただけるかなと思います。

サービス利用者と名簿との関係

誰がどう支援するのか

ではこの人たちを誰が支援するのかという問題ですが、先ほどお話しした個人情報の開示先の中で、災害時に一番身動きが取れそうな人たちは、民生委員だろうと思います。例えば警察は、事故や事件が発生する前に、避難誘導のために動くことは基本的にないと思った方がいいと思います。社協もてんやわんやの状況ですし、その職員が個別に避難誘導することは難しいと思います。自主防災組織はあるところとないところがあり、全国どこでも頼れる組織とまでは言えないと思います。

では民生委員1人が何人を担当することになるのか、全国の統計の数字から考えると、民生委員1人に対し名簿掲載者は33.82人、事前に情報開示を同意した人は13.66人ということになります。実際には地域でかなりばらつきがあるかもしれません、あくまで全国の平均です。

支援体制の課題 民生委員のキャパを超える人数

もし自分が民生委員だとして、何ができると思いますか。1人で十何人も助けられるでしょうか。どこに連れて行けばいいのか。連れて行った先でそのまま置いて帰ればいいのか。もし付添が必要なら、自分の避難はどうするのか。高齢の民生委員もいらっしゃいますし、私だって助けてほしいというのが本音だと思います。民生委員個人の力ではどうしようもなく、組織的な対応が求められるわけですが、民生委員協議会は独自の事務局体制や会議体なども弱く、ほとんどは社協が事務を行い、例外はあっても全国的に見れば、組織としての力量は強くありません。その中でただ名簿だけ渡されて、守秘義務を課されても何ができるでしょう。情報開示先が民生委員だけだったら、地域住民に情報を公開はできませんし、近隣の住民を活動に巻き込んで組織化してコーディネートすることもできません。地域の福祉団体とも情報の共有はできませんし、一緒に協力して取り組むことも困難です。

ですので、行政はただ名簿を作って丸投げするだけではいけません。行政自らが地域の社会資源をコーディネートして、地域全体としての取り組みに結びつける努力が必要です。残念ながら、そうした意識のある地方自治体がどれだけあるのかということを、災害が起こるたびに思うところです。

福祉関係者の役割

災害が発生したときに福祉関係者はどう対応すべきでしょうか。入所施設や病院は、基本的に平時から24時間支援体制で動いており、災害が起きてもこの体制は続けなければなりません。建物が壊れたり職員が被災したり大変な状況があっても、外部からの支援を受けながら24時間支援体制が維持されることになります。

しかし、通所施設の場合どうでしょうか。例えば昼間に避難情報が出たとしたら、利用者を近所の避難所に連れていくのか、それとも自分の通所施設を避難所代わりにするのでしょうか。避難所になった場合、夜になったら帰れとは言えません。そこから24時間継続して対応できるところがどのくらいあるでしょうか。また、夜に災害が起きた場合、翌日も事業所を開けて、直ちに利用者の災害支援に取り組めるのでしょうか。

居宅サービスの場合は、仮にサービス提供中に避難情報が出たとして、近くの小学校に連れていったとしますと、そこでは住環境が大きく変わります。多くの避難所はバリアフリーではなく、バリアがいっぱいです。サービス時間が終わったからといって、そうしたところに置いて帰れるでしょうか。

熊本地震で起きたこと

多くの障害者は、福祉サービスを利用していません。熊本市には3万2千の障害者がいるのですが、熊本地震の際、熊本市はそのうち9,000人の安否確認だけを行いました。そんな話はないだろうといろいろ交渉したんですが、市の障害福祉課では、まず65歳以上は高齢福祉課が対応するので障害福祉課では65歳未満の障害者しか対応できないとのことでした。そして、65歳未満の中で障害福祉サービスを受けているのは7千人だそうです。その7千人については、相談支援事業所が安否確認することになる。しかし、要支援者名簿に載っている中で、重度障害者が9千人いるが、その人たちは福祉サービスを受けておらず、福祉とのつながりがないので、少なくともその9千人は安否確認が必要だということでした。それ以外の軽度の障害者と言われる人たちまでは、対応できないということでした。しかし、重度障害者の中に、福祉サービスとつながりのない人がこれほど多くいるということ自体に驚きました。ましてや、軽度障害者は日頃から福祉サービスとはつながりがないわけですが、災害時の安否確認さえ、してもらえない状態であるわけです。

地震の場合は、予知が難しく、いきなり起こるわけですから、事前の避難はできません。ですから災害の最中の避難や、事後の避難が問題になってきます。

熊本市は個別の避難計画も作っていたのですが、やはりほとんど動きませんでしたし、その後の十分な検証もできていません。地震がいきなり発生したことも理由ですが、あとから聞いてみると、例えば自治会長さんのところに名簿が回ってきて、他の自治会役員に個別支援を頼むのも難しいので、支援者のところに全部自分の名前を書いておいたという話も聞きました。個別計画は、一人一人障害も違うし避難所との位置関係も違うし、書面1つ作るだけで成り立つわけではありません。誰が誰をどこにどうやって誘導するのか、そうした中身がないと、地震であろうがほかの災害であろうが、絵に描いた餅に終わってしまいます。

真備町で起きたこと

真備町は岡山県倉敷市にあります。消防庁のデータによると、倉敷市の避難行動要支援者名簿は、やはり重度の人が対象になっていて、情報開示先も同じく消防、警察、民生委員、自主防災組織、社協などです。倉敷市では人口47万7千人のうち名簿に載っているのが9万7千人で、うち情報開示に同意した人が4万人ぐらいです。真備町の人口は2万2千人ぐらいですので、この人口比から推計すると、真備町内での名簿登載者が4,500人ぐらい、情報開示に同意した人が1,800人ぐらいと考えられます。倉敷市は、市全体として個別支援計画は未作成という報告が上がっています。実際には民生委員さん個人として頑張っていた方もいらっしゃったかもしれませんが、組織的な個別計画はできていなかったということです。

倉敷市の避難行動要支援者名簿

そうした状況の中で、西日本豪雨が起きたわけですが、朝日新聞によると、まず7月5日に倉敷市が災害対策本部を設置します。翌6日になると、市は11時30分に山沿いに避難準備・高齢者等避難開始を発令します。そのあと午後7時30分に山沿いに避難勧告が出され、さらに午後10時に真備町全域に避難勧告が出されますが、真備町の水没した平野部には避難準備・高齢者等避難開始の発令はなく、いきなり、午後10時に真備町全域に避難勧告が発令されました。10時40分には気象庁から大雨特別警報が出されますが、これが出されたときには「重大な災害がすでに発生していてもおかしくない状況」です。そのあと小田川の南北に避難指示(緊急)が出て、6日から7日に変わる前後に堤防が決壊したと見られています。

事前避難の観点から言うと、まず避難準備・高齢者等避難開始の情報が適切に出され、全住民に対して発令される避難勧告が出るまで間に十分な「支援タイム」があれば、民生委員などが動けたと思います。しかし夜の10時に避難勧告が出され、自分自身も避難しなければならず、要支援者を救うか、自分を救うかという二者択一の心理状況に立たされるわけです。大雨特別警報も出されていましたから、他人を支援できる状況ではなかったと思います。

真備町の状況から見えてくること

私は10日後に真備に入りました。スライドの写真は、特別支援学校の送迎用のバスですが、一番上まで泥だらけです。次は中古車販売業者の展示場の写真ですが、車はすべて水没し、屋根の上にタンクなどの瓦礫が乗っているので、水が屋根まで達していたことが分かります。次の写真は井原鉄道の駅の駐輪場ですが、自転車も泥だらけです。コンビニは、上の看板まで水が達した跡が見えました。家屋も、多くは、二階まで水で汚れていました。

バスの写真

しかし、驚いたのは、車も、自転車も、水没した前後でほとんど動いていないことです。駐車・駐輪したまま水没して、水が引いたあとも元のとおりの状態で残されています。多くの家の窓ガラスも割れていません。決壊した堤防の付近などでは状況は異なりますが、多くの場所では、ひたひたとゆっくり水が上がってきて、室内と室外の水位も変わらないという状況で浸水したものと思われます。つまり、津波などとは違い、場所によっては、支援しようと思えばできる時間があったと考えられます。

駐車車両の写真

朝日新聞によると、水没の時間的経過としては、まず6日の11時半ぐらいに高馬川の堤防から水があふれ、次に夜中の0時ぐらいに末政川の堤防が決壊し、午前2時には倉敷市真備支所の浸水が始まり、朝5時ごろ、末政川の東側の道路に水があふれてきました。最後のほうで犠牲になった方との電話連絡の記録によれば、6時前にはまだ水は来ていない、午後1時18分に水が胸まで来ているとのことでした。このように、水はゆっくり上がってきて、翌朝だって救助しようと思えばできた可能性があります。先ほどの方は携帯で何度も親戚や警察に電話しましたが、結局救助されることはありませんでした。屋外で亡くなられた方もいますが、それは歩ける状況があったということです。また全住民が亡くなったわけではないということは、ああいう状況の中でも多くの人は避難ができたということです。NHKでも報道されたように、知的障害の親子が亡くなっていますが、近所の方で障害のない方は亡くなっていないようです。福祉とのつながりがあっても、地域とのつながりがあまりなかったのです。近所の人たちが、うちにおいでって一言声をかけるなど、地域との関係があれば、失われずにすんだ命ではないでしょうか。

自転車置き場の写真

真備町では51人の方が亡くなりましたが、屋外で8人、屋内で43人が亡くなっています。そのうち、平屋建ての一階で亡くなった方が21名、二階建ての一階部分で亡くなった方が21人、二階建ての二階部分で亡くなった人はわずか1人です。つまり高齢者といっても、ほとんど身動きがとれない障害者だったと考えられます。

真備町内での死者の内訳

避難できる時間が比較的長かったはずなのに、なぜ多くの命が失われなければならなかったのか。そのような中でも助かった高齢者はいるでしょうし、支援に向かった民生委員さんたちもいると思います。そうしたマイナスもプラスも含めた全体の状況を、しっかり調査すれば見えてくる部分もあると思いますし、そのうえで、今後どうすべきかを考えなければいけないと思っています。