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事例報告4

当事者と行政と支援者の連携、熊本地震での経験

松永 朗 熊本県ろう者福祉協会常務理事

はじめに-熊本地震での経験

2016年4月14日、熊本地震が発生したとき、私は熊本市から車で1時間20分ぐらいの、八代市にいました。手話奉仕員養成講習の指導をしたあと車で帰る途中、信号待ちをしていたら、何か揺れる感じがしたんです。地震かな、と分からないまま出発し、国道3号線で小川という町まで来たところ、若い男性2人から、迂回したほうがよいと言われ、初めて地震があったことを知りました。

帰宅するのをやめ、熊本県聴覚障害者情報提供センター(熊本市)に行くと、幸い手話通訳の担当者が待っていました。いろいろな情報を確認したあと、ろう協会支部の支部長宅にファックスやメールを送りました。安否確認と、支援の必要はないかという連絡です。地震が起きたのが夜でしたので、地域では地震の状況把握に時間がかかると思いその日は家に帰りました。

支援活動の開始

翌15日には、熊本県手話通訳問題研究会から来た3人と、事務所で相談し、地震の被害が大きい益城町に行くことにしました。まず町役場に行きますと、大変混乱していて、状況は把握できていないようでした。たまたまそこで、手話の指導を受けた女性と会いました。彼女は消防署の仕事をしていて、避難所の場所を教えてくれたので、車で回ったのですが、手話を必要とするろう者と出会うことはできませんでした。

4月16日には本震があり、このときは夜中でしたので、私は揺れで目が覚めました。アパートに住んでいますが、玄関が開かなくなり、足で蹴ってようやく開けると、近所の人たちは、布団などを抱えて避難しています。これは大変だと思い、着替えなどを持って、熊本聴覚障害者総合福祉センターに行きました。

センターでは、改めて各地域のろう協会に、確認の連絡をしました。その後再び益城町に行き、避難所を回りましたが、難聴の方は数名いらっしゃったものの、ろう者と出会うことはできません。これは何を意味するのでしょうか。その背景には、避難情報が音声で出されるため、聞こえない人には届かないことがあったと思います。緊急災害時には、行政は聞こえない人がいることについて考えが及ばず、どう情報を提供すべきかも分からない状況なのではないでしょうか。先ほど東日本大震災の話がありましたが、そのときと同じ状況が起きていたと思います。熊本でも、過去の例を参考に、どう対応すべきか相談はしていたのですが、実際に地震が起きたら、ろう者のことまでは考えられないという、同じことが繰り返されています。このことを念頭に、対応を考え直すべきだと思います。

聴覚障害者災害救援中央本部と、障害当事者による活動

私たちの熊本県ろう者福祉協会は、全日本ろうあ連盟に加盟していますが、全日本ろうあ連盟、全国手話通訳問題研究会、日本手話通訳士協会の3団体により、東日本大震災をきっかけに、聴覚障害者災害救援中央本部が設置されており、この中央本部が、熊本県にいち早く駆けて、支援の体制確立や指導等の協力をしていただきました。例えば、相談支援は福岡が、手話通訳支援は長崎が担当するなど話し合い、連絡調整をしました。熊本県内だけで手話通訳をまかなうのは無理だということで、全国から60人~70人の手話通訳者に、1か月間ぐらい交代で熊本に来ていただき、支援を受けました。こうした組織を生かした活動をしたことが、一番効果があったと思います。そのほか、物資支援、生活支援なども行いましたが、特に家の倒壊に関しては、権利に関わる事柄があるので、法的なアドバイスを受けようと、ろう者の弁護士に来ていただき、3日間くらい相談支援をしてもらいました。

協会の中に青年部があり、その中の14人が、積極的にボランティア活動をしたいと申し出てくれましたので、熊本市ボランティアセンターに登録して活動してもらいました。ろうの老夫婦の家の中が、地震で散乱しているということで、その片付けの支援などを行いました。このように、ろう者もただ支援を受けるだけでなく、自らが支援できることはないかと、積極的に探して活動をしたわけです。

今後の防災への教訓と提言

避難所には、聴覚障害者がいますし、視覚障害者も、車いすの人も、いろんな人が来るということを念頭に、それに合わせて準備を進めてほしいと思います。

避難所になった体育館では、みなが思い思いの場所を取ってしまうので、私が支援に行ったときには、足の踏み場もなく、すみませんと声をかけなければ歩けない状況でした。これでは車いすの人は困るでしょう。居住スペースや通路などを整理し、車いすの人でも通れるようにして、誰もが利用しやすく快適に過ごせる避難所を作らなければなりません。

体育館の避難所には車いす用のトイレもありませんでした。一般の避難所であっても、できれば車いすで利用できるようなトイレを、最初から作るべきではないでしょうか。

そして、聞こえない人はコミュニケーションの問題が大切です。私たちは話しかけられても聞こえませんので、手話通訳が不可欠であることを理解いただき、災害時にはすぐ利用できるようにしていただきたいと思います。手話通訳がいなければ、私たちは生きる気持ちが低減してしまいます。手話は命に関わるものなんです。現在の、災害時における手話通訳者等の公的派遣の制度では、手話通訳者は避難所や公的機関の窓口での支援はできますが、個人の家に行ったり、病院に一緒に行くこともできないようになっています。災害時に、聞こえない人が必要に応じた手話通訳の派遣を受けられる制度になっていないんです。ろう者のニーズに合わせて通訳が使える制度が必要だと感じています。

もう一つ熊本地震での例なのですが、熊本市から半径30キロのコンビニに、食料、飲み物、タオルなど生活に必要なものがなくなってしまい、仕方がないので、半径50キロのところにいるろう者にお願いして、食べ物を買ってきてもらったという状況が当分続きました。やはり自分の力で備蓄をしておくことも大切です。地震から3日目の夜、食べ物を買いにいこうと車で回ったのですが、どこにも見つかりません。ようやくお弁当専門店があり、お弁当も残っているようなので買おうと思うと、売ることはできないと言われました。どうしてですかと聞くと、地震ですべて倒れて、それを棚に戻して置いてあるだけだったそうです。それから、赤ちゃんのおむつやミルクなども、コンビニからはなくなってしまいますので、そうしたものも自分で備えておくことが大事だと思います。

さいごに

熊本地震では、全国の人たちや機関、団体から多大なご協力をいただき、改めてお礼申しあげます。一人一人の持てる力を活かした取り組みは、復旧復興の大きな力になったと思います。

この経験から、地域においては日常生活でコミュニケーションを保つことと同時に、常に協力体制を築いておくことが大切と思います。