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JDF被災地障がい者支援センターふくしまの活動

JDF被災地障がい者支援センターふくしま
代表 白石 清春

 JDF被災地障がい者支援センターふくしま(以下、支援センターと略す)は2011年3年17日に産声を上げて、福島県内の被災障がい者に対する支援活動を行ってきた。被災地の拠点(障がい者事業所)に支援物資を送り届ける活動から始まって、福島県内の避難所や仮設住宅をまわっての被災障がい者の所在を探していくなどの調査活動、または、大震災と原発事故により壊滅的な被害を被った南相馬の事業所に支援ボランティアを派遣する活動、支援センター内に相談支援員をおいて、県内外に避難している障がい者の相談支援活動、郡山市に交流サロン・しんせいを設け、被災障がい者と郡山市民が交流を深める活動、神奈川県相模原市に避難拠点を設け、原発事故による放射線から逃れて県外に避難していく障がい者の支援活動、大震災の折自ら進んで避難や支援活動を積極的に行ってきた障がい者等の証言をまとめた「DVD証言集」の作成等、実にさまざまな被災障がい者や被災事業所に対する支援活動を今日まで行ってきた。
 支援センターの代表である私は、休みをほとんど取らずに支援活動を続けていった結果、脳性まひ者特有の三次障がい(18年前に二次障がいで頚椎の3~7番を固定)を誘発して、2013年7月に横浜の病院で頚椎の1~2番の固定手術を受ける。2012年の11月から三次障がいの兆候が現れてきて、その時期から2014年の春まで(2013年10月に横浜の病院を退院する)は支援センターの活動ができない日が続いた。2013年4月には支援センターの事務局長であった和田氏が活動を終了する。その後、支援センターの事務局で活躍していた設楽氏(脳性まひ)も退任し、支援センターの活動は停滞せざるを得なかった。それでも、NPO法人しんせいを立ち上げて、交流サロン・しんせいの活動は交流事業から就労支援の色彩の濃い事業に転換をしていったが、支援センターにおける相談支援と共に事業を続けていっている。 2016年4月、今年度いっぱいで支援センターを閉じる予定で、5年間にのぼる支援活動の資料をPDFのデータとして記録していくこととしている。事務局員の橋本氏、内海氏と私とで、うず高く積もっていた活動資料を必要なものと必要でないものとに分けて、必要なものは全てPDFのデータとして記録していく。支援活動の資料の仕分けとPDFデータとしての蓄積作業は3か月くらいで終了した。支援センターとしての最後の活動として、大震災と原発事故によって被災し避難した障がい者のアンケート調査を思い立ち、準備を進めていった。福島県の障がい者は大震災プラス原発事故という未だ経験したことのない災害にあって、幾度にものぼる避難生活や仮設住宅での生活など、並大抵でない経験をしてきている。その貴重な経験をアンケート調査でまとめていって、今後の支援活動に役立て、または今後とも起こるであろうさまざまな災害に対しての減災および防災に関しての提言にも活用したいと考えている。
 2016年には障害者差別解消法がスタートするが、この法律が「絵に描いた餅」にならないように、郡山市に「障がい者差別禁止条例」を制定していこうと、現在、支援センターで共に活動していた団体等と「郡山市に障がい者差別禁止条例の制定を実現させる会」をつくって活動を始めているところである。この差別禁止条例には、東日本大震災と原発事故を経験したことを参考に災害時の減災・防災に関する「各則」として入れ込むことを考えている。
 将来、この実現させる会を発展させて、郡山市または福島県内の障がい者団体のネットワークをつくり、災害時にも連携した活動が行えるようにしていきたいという強い気持ちを持って今後とも活動を続けていきたい。

 以下、それぞれの事業担当より、主として2013年以降の取り組みと課題、今後の展望などを述べる。

(1)JDF被災地障がい者支援センターふくしま事務局

橋本 紘二

 JDF被災地障がい者支援センターふくしま事務局では、2014年10月に証言集DVD「3.11あの時の決断は・・・」を作成した。このDVDは、支援センターふくしまの3年間の活動を映像として記録に残し、後世に伝えていくために、2013年度からJDF・JIL・きょうされん等、全国の障がい者支援団体の応援をいただいた部分にポイントを絞って作成した。関係団体等に配布し、YouTubeにも載せ、DVDには「コピーガードを付けなかったので、どんどんコピーし配布してください」と宣伝したため、支援センターふくしまの活動・震災当時の実情などをたくさんの人たちに知っていただくきっかけを作ることができたかと思う。
 現在の活動としては、震災・原発事故から5年目を迎えるにあたり、避難をされている(避難を経験されている)障がい者や福島県内の事業所にアンケート調査を実施している。福島県の障がい者の実態を調査し、今後の震災等での障がい者特有の2次被害などを防ぐために、提言や要望につなげていこうと活動している。
 支援センターふくしまも、震災から5年目を迎える今年度で事務所を閉じる方向で考えている。震災関連では、私自身震災当時両親の宮城県沖地震の経験があったため、何とか生活ができていたと思うので、支援センターふくしまの活動を何かしらでも活かしていければと思う。ただ原発事故を経験した福島県民としては、原発の必要性についてはいろいろ意見があると思うが、稼働については、この多数の被害を出した福島を考えても本当の意味での安全性がないと動かしてはいけないと考えている。(川内原発は、稼働してしまったが) 現在のアンケートの調査の中でも、大変な思いをした人の声を生で聞くことができたが、このような思いをする人たちがもう出てくることがないよう、これからも伝えていくことができたらと思う。

(2)相談支援充実・強化業務

宇田 春美

2011年東日本大震災後、被災地障がい者支援センターふくしまに郡山市内の障がい者相談支援事業所の相談員が相談担当として応援に入ってくれた。6月からは、福島県が相談支援充実・強化事業で避難している障がいをお持ちの方の相談を受ける相談員を委託するとのことで、あいえるの会が委託を受け相談員を常勤することができた。県内全域の相談員と連携をし、支援にあたった。
 2012年からは、県内6か所の相談支援事業所が、それぞれの圏域の避難者の相談を受けるという形で支援にあたった。
 2013年以降は、相談体制も3年目となり、避難町村との連携もとれ、福祉担当者・保健師、社会福祉協議会などとの情報交換・情報共有のもとで支援する体制ができ、スムーズな支援ができるようになってきた。避難したことによって、支援が必要となった方は増え、障害者手帳の受給や年金の受給、福祉サービスの利用など避難先でも手続きがスムーズにできるよう福祉担当者と連携し行ってきた。避難している町村は、役場職員が避難先の社会資源を知らないことから、相談支援充実・強化業務の委託相談事業所は必要な存在となったのではないかと思う。
 双葉地方地域自立支援協議会への参加もさせていただき、つながる部会(相談支援事業所部会)では、相談体制への課題や基幹相談支援センター設置についての検討などを行っている。いまだ避難が続く相談支援事業所が広域で相談を受け、広範囲での支援を強いられている状況をどのようにしてくべきかの結論が出るのにはまだまだ時間がかかると思われる。
 被災者支援の相談体制は、来年度より形を変えていくことと思われる。相談支援充実・強化業務としての県からの委託はなくなり、県内の圏域ごとに配置されているアドバイザーを中心に相談体制を検討し、避難した地域でその地域の方々と同じ支援が受けられるよう体制がとられることと思う。
 国は、初年度に避難者に対しての個別相談が必要と、個人への情報提供や相談に対しての予算をつけてくれた。が、その後は、事業所支援という箱ものに対しての相談事業という形に支援を変えてきた。避難のさなかで、福祉のサービス利用にサービス利用計画が必須となり、相談員の業務は過酷となっている状況で、基本相談、本人に寄り添える支援に疲弊しており「避難している相談支援事業所を支援するための相談支援」という名目で、個人の相談を受けてきた。
 本人に寄り添える相談は大事であり、ましてこのような状況の中では欠かせないものと実感した。福島県の状況が、短期間で終息するものでないことが明らかであったにも関わらず、国からは単年度ごとの予算であり、このような事態に対しては、単年度の予算ではなく、数年を見込んだ予算が組めるようにして欲しいと思う。そうすることにより、相談できる事業所や相談員が変わることなく支援できることが必要だと感じている。
 何がゴールで、どこがゴールなのか? 先が見えないこの福島。まだ相談に結びつかずにいる方々もいるのではないかと思う。困りが生じた時に、いつでも相談できる場所があり人がいる体制をつくっていければと思う。

(3)交流サロンしんせい

富永 美保

 福島県障がい者自立支援拠点整備業務を担う交流サロンしんせいでは、被災福祉事業所の仕事づくりの一環として、2013年に被災した10の福祉事業所等が力を合わせ世界作業療法士大会のカバン6,000枚をつくった。一事業所でこれほどの数のカバンをつくることは難しいけれど、たくさんの仲間が力を合わせることで大量の注文も受けられるという自信につながった。ちょうどそのころ、日清製粉グループから福島の障がい者支援にご協力いただけるということで、福祉事業所が集まり、必要な支援について協議した。その結果、「みんなで力を合わせて継続できる仕事をつくる」という目標を掲げ、日清製粉グループに「技術支援」を依頼した。現在、13の福祉事業所等で「魔法のお菓子 ぽるぼろん」を製造・販売をしている。お菓子を作る事業所、箱を折る事業所、箱詰めや発送作業をする事業所、そして、自分たちの役場や応援団に営業を行う事業所など仕事を分けあっている。「ぽるぼろん」はほろほろと口どけのよい繊細なお菓子である。この口どけのよさを保つのに日清製粉グループからの細やかな技術指導を受け半年の時間をかけながら商品化することができた。販売から2年経った現在もより質の高い商品を目指し、日清製粉グループからの技術指導は続いている。また、販路拡大も大きな課題であり、日清製粉グループをはじめ多くの企業のCSRのみなさんの力を借りながら販売促進活動を行っている。
 震災から4年半が経った福島では、「故郷に帰還する人」、「故郷に帰らない選択をする人」そして、「帰る、帰らないの選択ができない人」など、避難の続く福祉事業所の利用者も職員も同じ避難者という立場でたいへん難しい選択を強いられている。魔法のお菓子ぽるぼろんの経験から、私たちは利用者と職員が一緒になって技術を学ぶ機会を持つ大切さを学んだ。そして、2015年の春、新たに手芸を中心としたものづくりと研修を行う「ミシンの学校プロジェクト」を立ち上げた。このプロジェクトは、避難生活の中でも明るく前向きな気持ちで日々の仕事を希望に変えていくことが目標である。現在、復興庁「心の復興事業」とブラザー工業の支援を受けながら、5つの事業所で研修会やカバン作りを行っている。
 東日本大震災、原発事故が起きたとき、私たちは1人では解決できないことを思い知った。だからこそ、たくさんの人の力を合わせるネットワーク型の仕事づくりが生まれたのかもしれない。まだまだ先が見えない福島であるが、誰ひとり置き去りにならない社会をめざし、これからも力を合わせて頑張っていきたい。

(4)JDF被災地障がい者支援センターふくしま事務局兼交流サロンしんせい担当

内海 崇裕

 3.11東日本大震災から5年が経とうとしている。2013年からの交流サロンしんせいとJDF被災地障がい者支援センターふくしまの活動の報告をさせていただきたい。
 交流サロンしんせいでは、立ち上げ当時から使用済み封筒を全国各地から寄付していただいて、個人情報の処理などの工程を行い、「つながりのかばん28」の作成を行ってきた。立ち上げ当時は「しんせいは通過点」という意識があったが、今は「ここがゴールでも」という意識に変わった。自分は「交流サロンしんせい」の役割が時が経つにつれて変わってきたからだと思う。「しんせい」という場を必要としている人たちが立ち上げ当時より増えていると感じている。
 2013年に日清製粉グループから福島県の障がい者支援にご協力をいただけることになって、「魔法のお菓子 ぽるぼろん」の製造と販売にご指導をいただきながら13の事業所と共に活動してこられた。交流サロンしんせいだけではできなかったことで、みんなと力を合わせたからだと自分は思っている。
 福島原発の事故から4年9か月が経つが、被災3県の復興の様子を見ても、特に福島県は原発事故の後処理すらいまだに終わったとは思えない状況だ。自分の住む郡山市にもホットスポットが多数ある。この状況では終わったとは言えない。
 今までの活動を通して、被災した方々には申し訳ないが、震災をきっかけに新たな出会いがあって、勉強になった。これからは微力であるが自分なりに福島県の新生を目指していきたいと思っている。

参考資料 東日本大震災に関する支援活動の経緯、実施体制等(年表、写真による)

平成23年(2011年)

出来たばかりで、まだ荷物が積まれた状態の支援センターの事務所内

3月18日 大阪のゆめ風基金の方が来県され、被災されている障がい者の支援センターを立ち上げる事を提案される。翌19日、関係者で協議し活動を開始。福島県内22の障がい者団体に声をかけ、構成団体として加盟していただく。

4月1日 全国から届けられた支援物資を、いわき市・相馬市・南相馬市に物資運搬拠点を設置し運送開始

支援センターふくしまの開設式の様子

4月6日 事務所を〒963-8025郡山市桑野1丁目5-17深谷ビルB棟101号に正式に開設。
県内の状況把握に努める。郡山市内の相談支援事業所や社会福祉士協会の協力で相談支援員が配置される。

4月28日 南相馬市調査開始。南相馬市は全市避難でないことから、避難しない・避難できない障がい者で混乱していた。実態を調査するため、南相馬市に入り戸別訪問を行う。

桜井市長への報告の様子

5月15日 南相馬市は障がい者名簿を開示してくださり、障がい児者宅を全戸訪問。

8月29日 調査結果を南相馬市へ提出。

5月18日 避難所や入所施設を訪問 市内の障がい者が障がいを持つ仲間を訪問。同じ障がいを持つ仲間だからこそ話せること、感じられることを目的に訪問活動を行う。

6月1日 『福島県相談支援充実・強化事業』を福島県よりあいえるの会が受託。支援センター内に相談支援専門員を常勤配置した。

電話での相談を受ける支援専門員

6月頃  仮設住宅の調査 全国から来てくれたボランティアが県内各地の仮設住宅を訪問し、障がいをお持ちの方が生活しやすい状況か? の調査を行う。

9月22日 被災地障がい者交流サロンしんせいを開所。(〒963-8022 郡山市西ノ内1丁目25-2) 被災障がい者の交流の場に活用したいという目的で開設。また、郡山市内の障がい者との交流の場になればという思いも込めた。「被災障がい者支援を考えるシンポジウム」を開催(障害と人権全国弁護士ネット共催)

完成したばかりの交流サロンしんせいの外観

平成24年(2012年)

1月1日 『福島県障がい者自立支援基盤整備事業』を福島県よりJDF被災地障がい者支援センターふくしまが受託。被災地障がい者交流サロンしんせいで活動を行う。仮設住宅や借り上げ住宅で生活されている方のサロンとして利用していただいたり、曜日ごとにヨガ教室やシネマカフェなどミニイベントを開催したり、仮設住宅での移動カフェなどを行う。
その後、ニーズに合わせて形を変えて支援している。南相馬市や須賀川市での仕事起こし、働く場の提供や避難地域の福祉事業所と郡山市内の福祉事業所との共同商品開発など。

交流サロンしんせいでの打合せの様子

1月1日 『福島県福祉・介護職員マッチング事業』を福島県よりJDF被災地障がい者支援センターふくしまが受託。被災地障がい者支援センターふくしまで活動を行う。
震災後、福島県内では福祉事業所や介護事業所の職員が激減していることから県内3か所で、事業所説明会などを開催してきた。

「福島県福祉・介護職員マッチング事業」打合せの様子

1月29日 東京電力賠償について第1回学習会開催郡山市日本弁護士会・福島県弁護士会の協力を得て県内5か所で開催。5月29日いわき市、6月29日南相馬市、8月25日福島市、8月26日会津若松市で同学習会を開催。
5月サテライト自立生活センター(避難拠点)を神奈川県相模原市へ~平成25年9月まで。
5月末~1人、8月~1人、福島から生活拠点を移した。

東電賠償学習会の様子

神奈川県の県外避難拠点 シャローム

8月6日  障がい児保養ツアー開催
東京にて4泊5日 2回(8月6日~10日、8月20日~8月24日)

夏休みの保養ツアー参加者の集合写真

平成25年(2013年)

4月15日 『JDF被災地障がい者支援センターふくしま 2011年・2012年 活動報告書』立命館大学青木氏の協力により完成。アマゾンにて販売開始。

「JDF被災地障がい者支援センターふくしま 2011年・2012年 活動報告書」の表紙

6月28日  東電賠償及び生活に関する弁護士による個別相談会(無料) 郡山市 福島県弁護士会協力

10月2日 NPO法人しんせい設立
JDF被災地障がい者支援センターふくしま(任意団体)での活動に限界があり、継続的に支援活動を行っていくために法人を設立。
目的  主に東日本大震災において、地震・津波・原発事故によって多大な被害を被った障がい者などがこの福島の地で平和で安心した生活が送れるよう、積極的かつ幅広く長期にわたっての支援活動を行い、福島を新生していく活動を目的とする。

NPO法人しんせいでの餅つきの様子

平成26年(2014年)

10月30日 証言集DVD「あの時の決断は・・・」完成 配布開始

証言集DVD「あの時の決断は・・・」のジャケット

平成27年(2015年)

1月16日 サロンしんせいに隣接して24時間テレビの助成により、ギャラリー28を建設する。

3月17日 第3回国連防災世界会議 防災会議パブリックフォーラム「障害者の視点からのコミュニティ全体で備える防災まちづくりへの提言」に参加。

7月8日 ミシンの学校開校式 交流サロンにて「ミシンの学校開校式」を行う。交流サロン・しんせいと被災した障がい者事業所が5か所連携して、ブラザーミシンから寄贈されたミシンを活用してバッグ等の布製品を作って販売していく「ミシンの学校」というグループを立ち上げていった。

9月下旬より 「被災障害者の生活等についてのアンケート調査」開始。震災から5年目を迎えるにあたり避難されている障がい者の方の生活の実態を調査し、今後の防災の提言や要望につなげるために個別のアンケート調査を始める。