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「障害者インクルーシブ防災」の実践を目指して

日本財団 ソーシャルイノベーション本部
福祉特別事業チーム 粟野 弘子

はじめに

 東日本大震災から5年が経過しようとしている。
 千年に一度といわれた大災害への支援を通じて、日本財団は何を学んだのか。そして、再び災害に見舞われたときに一人でも多くの命が助かるよう、どのような考えのもと、現在活動しているのか。それを示すため、ここでは「障害者インクルーシブ防災」に向けた取り組みを紹介したい。
 「障害者インクルーシブ防災」とは、障害者を含むあらゆる人の命を支えようという防災の考え方だ。新たな防災として注目を集めているこの考え方は、一般的には「インクルーシブ防災」という言葉で表現されることが多い。日本財団が、高齢者や子どもといった「災害弱者」の中で特に障害者を抜き出して、「障害者インクルーシブ防災」に力を入れているのは、障害者がコミュニティの一員として十分に認識されていなかったり、その個別ニーズが見過ごされていたりする問題に対応するためだ。
 日本財団は、2012年から日本障害フォーラム(JDF)など国内外の障害者団体と協力し、防災の取り組みに障害者の視点を取り入れることの重要性を国連機関や各国政府、NGOらに働きかけてきた。国連などの主催する世界的な防災会議やその準備過程に一人でも多くの障害者が参加できるよう会議全体のアクセシビリティ向上を支援してもいる。
 こうした日本財団の取り組みの中で、2015年3月、これまでの活動の成果を鮮明に反映したイベントが行われた。第3回国連防災世界会議だ。10年に1度開かれる会議で、187か国の政府代表や国連機関、NGOの代表らが6,500人以上参加したほか、サイドイベントと展示企画を含めると延べ15万人以上が参加した。
 この大規模で防災に関して重要な会議は、マルガレータ・ワルストロム国連事務総長特別代表(防災担当)が閉会式の挨拶で「アクセシビリティの新しい基準が設けられたと言っても過言ではない」と語ったように、会場と会場へのアクセスのバリアフリー化の徹底はもとより、音声の文字表示や手話通訳、点字化された資料などによる情報保障が提供された。これにより、障害を主たるテーマにしていない国連会議としては初めて、障害当事者が目に見えて活発に参加できる環境を整えた会議となった。

「最もアクセシブルな会議」実現への道のり

 日本財団は1986年、国連災害救済調整官事務所(UNDRO)内に笹川災害防止賞を設け、災害の予防・予測準備体制の強化などに著しい貢献をした個人・機関を表彰してきた。しかし、東日本大震災における障害者の死亡率が住民全体の2倍以上であったこと、またそれらが普段からの備えと周囲の支えがあれば助かっていたかもしれない命だったことからも、障害者に対する配慮というものが十分ではなかったということを率直に反省した。
 被災した障害者の中には、障害ごとに異なる特別なニーズに対する理解が得られず避難所を去り、がれきに埋もれた自宅や車の中での生活を余儀なくされた人もいた。これは、地域社会が事前にまとめた災害リスクを軽減するための計画や、その実施のプロセスに障害者が参画できていなかったことを物語っている。また、これは、障害者が地域社会の重要な一員だということを、コミュニティが必ずしも十分に認識していなかった表れともいえる。
 国際的に見ても、防災における障害者の位置づけは十分ではない。例えば、2005年に神戸で開催された第2回国連防災世界会議の「兵庫行動枠組2005-2015」では、障害者に関する記述が非常に限定的なものであった。また、国連国際防災戦略事務局(UNISDR)によると、2011年以前の防災に関する国際会議で障害者がテーマに扱われたことや、障害のある人が会議に参加したことはほとんどないという状況だった。
 そこで日本財団は、仙台防災会議において、障害者インクルーシブな防災の実現をきちんと位置づけることが重要であると考えた。国内外の障害者団体と協力して、2012年の東京をスタートに、インチョン、ジュネーブ、ニューヨーク、陸前高田、仙台、バンコクで開催された障害者と防災がテーマとなった国際会議に足を運び、国連機関や各国政府らに障害者インクルーシブ防災の重要性を繰り返し訴えた。
 しかし、こうした取り組みの前に大きな国連制度の壁がたちはだかった。
問題の中心は、「メジャー・グループ」という枠組みだった。国連は市民社会の主要なグループとして9つのグループを定めており、国連会議で市民が発言する場合、この枠組みに沿って機会が提供されることになる。9つの内訳は、1)女性、2)子ども若者、3)農家、4)先住民、5)NGO、6)労働組合、7)地方自治体、8)科学技術、9)企業・産業であり、障害者というグループはない。そのため、障害者が国連会議で発言を試みようとしても、このメジャー・グループ問題により、発言の機会を獲得するのは非常に困難となっている。
 そこで、世界の障害者団体と日本財団を含む支援団体は、UNISDRのマルガレータ・ワルストロム国連事務総長特別代表(防災担当)や、第3回国連防災世界会議準備会合共同議長、日本政府の菅沼健一国連防災世界会議担当大使宛に、障害者グループを国連防災世界会議のパートナーとして位置づけるよう共同要望書を提出した。続いて、国連障害者権利条約障害者権利委員会も同様の声明を発出した。関係者によるこのような連携と働きかけがなされた結果、第3回国連防災世界会議において、障害者グループがメジャー・グループに準ずる「その他の重要なステークホルダー」として位置づけられることが決まった。
 さらに日本財団は、国連防災世界会議の本会議や準備過程に多くの障害者が参加できるよう、会議全体のアクセシビリティを確保するプロジェクトの実施を国連と企画し、その費用を助成することを決定した。 これにより、会場や宿泊施設、交通機関のバリアフリーの徹底と調整、手話通訳(国際手話、日本手話)や要約筆記(英語、日本語)など情報保障の提供、公式文書のアクセシブル形式による発行、障害のあるスピーカーに対する旅費支援などが国連防災世界会議としては初めて実施されることになった。
 こうした準備期間を経て、2015年3月14日から18日まで宮城県仙台市で第3回国連防災世界会議が開催され、仙台防災枠組2015-2030が採択された。この防災枠組は、前回の兵庫行動枠組から大きな進展があった。議論のプロセスと成果文書において、障害当事者の声が反映された先進的な枠組であり、今後の国連や国際社会のモデルになり得るものとなった。
 また、会議の主な成果として、障害者インクルーシブ防災の観点から以下3点がハイライトできる。いずれも画期的な出来事として関係者に受け止められた。

1)国連防災世界会議の本会議において、「障害者と防災」をテーマにした公式ワーキングセッションが初めて設けられた。
2)複数回にわたり本会議のセッションやサイドイベントで障害当事者が登壇し、障害者インクルーシブ防災の重要性を訴えた。
3)「仙台防災枠組2015-2030」が採択。障害に関する記述が5か所に増え、障害者が防災の重要なステークホルダーの一員として位置づけられた。

Words into action-仙台防災枠組2015-2030の具体的な行動を目指して

 仙台防災会議後、日本財団は、仙台防災枠組みを具体的な行動に移すべく、まずは国内で「障害者インクルーシブ防災」の実践を目指している。2015年度は、防災関連の訓練に、障害当事者の積極的な参加を促すため、手話通訳や介助者派遣の支援を行った。具体的には、国内の災害支援担当チームが大分県と東京都新宿区で実施した「次の災害に備えるための人材育成研修および『被災者支援拠点』運営訓練」への参加支援を行った。
 同研修は、阪神・淡路大震災以降、助かったはずの多くの命が避難生活の中で失われるという危機的な状況が繰り返し指摘されていたにも関わらず改善されず、東日本大震災でも、災害関連死と認定された1,600人を越える人々のうち、避難生活での疲労が原因とされる方は3割にのぼったという「くやしさ」から立ち上がった事業だ。子ども、高齢者、障害を持つ方、アレルギーなどの疾患を持つ方など、被災者の誰もが安心できる避難所を運営し、また地域にとどまっている在宅避難者のために活動できる実践的な仕組みと訓練の普及を目的とし、地域の民間団体、自治体、企業と連携して活動している。
 障害者インクルーシブ防災を実践する際ありがちな課題の1つに、組織内で防災・災害対応と障害者支援を担当する部署間での連携の欠如が挙げられるが、この訓練の参加者が寄せた感想を見ると、日常では障害者と接する機会があまりないものの、今回のグループワークなどを通じて障害ごとにどのような個別のニーズがあるのかを学び、障害者のニーズにも配慮した被災者支援拠点の運営管理の必要性を学んだという意見があった。また、「障害者は災害時に支援される立場」という考えは誤った固定概念であり、彼らは被災者支援に貢献できる貴重な人材であるという認識も広がった。
 障害者が避難所にたどりつくまでの支援も重要だ。東日本大震災では、肢体不自由のために逃げ遅れた人、避難警報が聞こえなかった人、目が見えず高台に辿りつけなかった人、人工呼吸器の電源を喪失し息を引き取った人がいた。障害者が逃げ遅れることのないように災害時に機能する個別避難計画にも取り組んでいきたいと考えている。地域にどのような障害を持った人がどのくらいいるのか、どのようなニーズがあるのかを日常から地域住民とも共有し、災害時にどのような協力体制が築けるのか協議していく必要がある。地域で全て対応することが難しい場合は広域連携の可能性も探る必要がある。大切なことは、自分たちで対応できることと、外部支援をお願いする必要があることのすみわけがきちんと平時にできているかだ。

被災者支援の枠を超えて-日常隠れている障害者のニーズを掘り起こし、平時からの備えを

 東日本大震災は、平時からの備えの重要性を改めて示した。特に障害者のニーズは見落とされがちであり、災害が発生して初めて、備えの欠如が浮き彫りになったケースが多い。そうしたニーズに対応するため東日本大震災で被災した聴覚障害者への支援がきっかけとなり日本財団が取り組み始めたのが、「電話リレーサービス・モデルプロジェクト」。聴覚障害者が電話を使える社会の実現を目指した事業だ。
 日本財団では、震災後、情報保障の面で困難を抱えていた岩手、宮城、福島3県の聴覚障害者に対し、テレビ電話を活用した即時双方向の遠隔手話・文字通訳支援と代理電話支援1 を実施した。この経験から、聴覚障害者の電話に対するニーズが非常に高く、また電話を使えないことで、緊急通報(110番、119番)ができない、急ぎの連絡、問い合わせ、予約ができないなど日常不便な状況におかれていることを再認識した。そこで、こうした状況を改善し、聴覚障害者が電話を使える社会の実現をめざして、「電話リレーサービス・モデルプロジェクト」を立ち上げ、2013年9月から全国の聴覚障害者を対象に実験サービスを開始した。2016年1月時点の利用者は3,483人で、2014年度の総利用回数は、73,326件。利用者からは「これまでは家族や友人に頼らないといけなかった。今は自分で電話をかけることができる。電話リレーサービスがあって本当によかった」などの声が届いている。

日本財団電話リレーサービスの図

【日本財団電話リレーサービス】電話をかけたい聴覚障害者の用件を、文字または手話通訳者のオペレーターが相手先に伝え、聞こえる人と聞こえない人の同時双方向のコミュニケーションを可能にするサービス。2016年度からは電話リレーサービス専用のアプリケーションソフトウェアを導入し、難聴・中途失聴者のニーズに合ったサービスの提供も開始する。

 この電話リレーサービスは、世界では、すでに20か国以上で公共サービスとして実施されている。残念ながら日本ではまだ導入される予定すらないのが現状だ。日本財団は、こうした電話リレーサービスは、障害者基本法第22条に基づき、国(総務省)が公共サービスとして制度を設計し、電話会社が責任を持ってサービスを提供するべきだと考えている。
 全ての電話利用者に毎月1円負担してもらえれば年間約20億円が集まることから、社会全体で費用を負担することで、無料電話リレーサービスの全国的実施が可能になる。電話リレーサービスは決して聴覚障害者だけに有用なのではない。聴覚障害者が電話をできるということは、聴者から聴覚障害者に電話をかけられることでもあり、電話リレーサービスの有用性を享受するのは社会全体と言える。こうした障害者が直面している日常のニーズをひとつひとつ解決していくことが次の災害に備える一歩となるのではないか。

おわりに

 災害が起きると、普段見過ごしてきた障害者への配慮の欠如が浮き彫りになる。次の災害で一人でも多くの命が助かるために、私たちはどれだけ備えができているだろうか。平時から障害者をコミュニティの一員として位置づけ、そのニーズにコミュニティ全体が当然のごとく配慮することが重要だということを、私たちは東日本大震災から学んだ。日本財団会長笹川陽平はこう語る。「想像力を働かせる。相手のニーズがどこにあるのかを把握する。そのためには日常的にかかわっていないとむずかしい。災害時になったらできるということじゃない」。障害者インクルーシブ防災の実現とは、平時に個人や地域、社会との障害者の特別なニーズに関する相互理解を深めていくことにほかならない。


1 聴覚に障害を持った利用者からFAXや電子メール等で事業者へ用件を連絡し、事業者が代理で電話をかけ、のちに利用者へ結果を通知するサービス。返答までに時差があり、同時双方向のコミュニケーションが可能な電話リレーサービスとは異なる。