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震災から5年を前にして

CILもりおか
代表 川畑 昌子

 2011年3月11日午後2時46分に東日本大震災が起こった。そして、多くの方が亡くなられた。発災時以降にどのような取り組みをしたかをここに記す。
 その日は、これからCIL(普段はCILもりおかで、権利擁護活動、自立生活プログラム、ピアカウンセリング、有料介助者派遣を行い、地域で生活を続けていきたい障害当事者を支える取り組みをしている。)の事務所を出て、外出する予定でいた矢先だった。グラグラと、最初は小刻みに、その後大きく揺れだした。事務所にいたみんなは、外に出た。外は、駐車している車が左右に揺れており、電柱もグラグラと揺れていた。電気が止まったためか信号も点灯しておらず、約5分ほど揺れは続いた。その後、片づけをしに事務所の中に入ろうとしたが、余震が何度も続いており、電気も使えない、電話やPCのメールも使えない状況になっているため、各自帰宅をして、自分の家の安全を確かめ、待機をということにした。停電は、盛岡市内は早く1日で復旧したところもあったが、場所によっては2日かかった。電気が使えず、電気ストーブ、エアコンが使えず、反射式ストーブ、ホッカイロ、ダウンジャケットで部屋の中で過ごした。携帯の充電もできないので最低限の安否確認をしていた。
 近場の利用者宅をコーディネーターとヘルパーが自主的に安否確認。遠くの利用者宅には家が近いコーディネーターとヘルパーが安否確認。遠方支援をしていたので津波で家が半壊した利用者のところへもコーディネーターが駆けつけた。現地で働いていたヘルパー自身も被災したが、発災から数分もしないうちに、電波が途絶える前に「無事」の連絡を盛岡にくれたのだった。そして避難所にいた利用者のところへすぐさま飛んでいってくれた。盛岡でも余震が続く中、介助は継続された。停電の中を、ヘルパーの好意で利用者宅に制度外時間も早く来てくれた。その後、燃料不足で日常的な介助派遣が難しいところを、利用者とヘルパーの家の近い人同士で緊急シフトを組んだり、ヘルパーに片道40分や50分をかけて自転車や徒歩で利用者宅に通っていただいた。たまたま実家に帰省していた利用者は帰省を延長していただき、その間にヘルパーのシフト調整。家族同居の方への介助はなしとして、単身障害者4名のみに介助派遣をした。実家に帰省していた利用者がアパートに帰宅してからは、余震の心配があるため朝夕2時間ずつの空白をなくして3月は24時間介助体制とした。別の単身利用者も、空白なく24時間介助体制とした。ガソリンの供給が安定するまで、ヘルパーと一緒に徒歩で事務所に通った。
 県内の大型施設では、沿岸被災地の障害者受け入れのため、重症心身障害児者のショートステイ受け入れができなくなり、居宅介護の依頼があった。当CIL事業所のコーディネーターとヘルパーで対応した。
 社会福祉法人の通所施設では利用者の送迎をしていたが、14日から自力で来る方のみ受け入れるとのことで、当事業所に送迎依頼があり、対応した。ガソリンは全国からの支援、NPO広域協会から支援いただいたもので乗り切りった。盛岡市内は30日ごろからどこのスタンドも平常営業に戻ったようだった。

被災地障がい者センターいわての活動

 震災後まもなく、「全国自立生活センター協議会」「DPI日本会議」などの障害者当事者団体と、「ゆめ風基金」の協議により、「東北関東大震災障害者救援本部」が東京と大阪に発足した。その現地活動の拠点として、大阪のNPO法人ゆめ風基金からのバックアップで、被災地障がい者支援センターふくしま(JDFと共同)、被災地障がい者センターみやぎ、そして4月12日、被災地障がい者センターいわてが立ち上がった。福島、宮城とも自立生活センターの当事者がキーマンとなっているため、岩手の場合もゆめ風基金から岩手県内の自立生活センターであるCILもりおかに協力依頼があり、いわてのセンターを盛岡市に立ち上げた。
 時を同じく、4月12日~14日に日本障害フォーラム(JDF)東日本大震災被災障害者総合支援本部・みやぎ支援センターへ救援派遣。全国脊髄損傷者連合会(全脊連)とJDFが用意したドクターカーに、CILもりおかから2名のヘルパーが派遣されて、被災地の障害者宅を訪ね、医療支援を行った。気仙沼~陸前高田~宮古と、沿岸を回った。
 被災地障がい者センターいわては、「CILもりおか」の故・今川幸子さんが代表を務めた。全国各地から集まったボランティアとともにCILもりおかの事務所とは少し離れた場所に事務所を借りて活動を始めた。被災地を回って、困っている障害者を探すことから始まった。活動の詳しい内容は、ゆめ風基金のブログから、被災地障がい者センターいわて活動報告集に集約されているので、以下、抜粋してお伝えする。

 『現地の民生委員の方や保健師の方、相談支援専門員の方から情報をいただき、そこから出会った障害者の方に物資提供や、買い物や通院といった移動支援、介助や見守りを行いました。4~5月の間は避難所にいる方への支援、補聴器の電池を届けたり、重複障害者の見守りなど行いました。
 他の被災地支援をされている県社協やきょうされん、地元のボランティアの方が立ち上げた「被災地障がい者センターおおふなと」や名古屋の自立生活センターAJUが立ち上げた釜石の支援センター等との連携を図ったり、岩手県社会福祉協議会の「障害者支援活動推進プラットフォーム会議」に参加。地域のボランティア団体やNPO、行政、福祉関係者との情報を交換し合いながら、活動を続けました。
 避難所では、当事者の方やご家族に直接お話を伺い、困っていることはないかお聞きしました。人工内耳・補聴器の電池、衣類など物資の依頼にも応じてお届けしました。具体的なニーズがなくても気になる状況の場合は、日を置いてときどき訪問しました。「家族が面倒見れないなら施設」という観念もあるため、災害時においても障害者は施設か病院に行くのが当然という考えがあり、避難所の環境を変えて一緒に過ごそうという意識にはなりにくいようでした。環境側を変えてもらえないか頼んでも「この非常時に障害者も健常者もない」「みんな大変なのだから障害者だけ特別扱いはできない」と言われてしまうこともあり、結局、障害者が避難所を出ていかざるを得ない状況になることが多いようでした。ご家族のもとで避難されていた利用者の方と出会い、物資を届けるなどの支援をしました。「顔が見える支援を大事に」というセンターいわて今川代表の意向を入れて、当事者ご本人までセンターで届けさせていただき、ようやく「顔が見えて」その後の支援にもつながっていきました。被災地障がい者センターいわてにおいて大阪や静岡の福祉団体から一週間交替でボランティアが派遣されはじめ、また専従として長期で関われるスタッフが揃うとともに、継続的な個別支援が次々と始まった時期でもありました。同じころ、「遠野まごころネット」からの連絡で、大船渡市内の避難所で知的障害の男性Kさんの見守りに協力してほしいとの依頼があり、ほぼ毎日避難所のボランティアと交替しながら見守り支援をするようになりました。個別支援のひとつひとつで「顔が見える支援」を行いました。5月以降からは、仮設住宅に入居される方々への支援として、障害的に必要な物資や、車いすなどの補装具の申請の相談にも対応しました。また、地域の交通体制がまだまだ不十分なため、移動に不安を抱えている視覚障害者の方への移動支援もしました。仮設住宅は、家の中が狭くて車いすが使えない、段差があってトイレやお風呂が使えないなど、仮設住宅の住みにくさを訴えた方がたくさんいらっしゃいました。その他、津波により周辺の建物が流されてしまい、家だけが残って、孤立して生活をしているご一家への支援もしており、もともと沿岸地域は障害福祉のサービスの選択が狭まれた地域性もあり、サービスを使わずに生活に不安を抱えながら暮らしている方々もありました。
 サービス支援について、「ここまでが被災障害者支援だ」という明確な線引きはできません。ただ、はっきりしたのは、当事者が抱える問題が「生活」に関することならば、とりあえずのニーズを満たすその場限りの支援ではなく、長い目で見て、障害者が地域で思うように生きていけるように、「生活の場である地域とつながった支援」が必要だということでした。できるだけ地域の力を活用しながら支援するよう心がけるようになりました。日々の支援を丁寧に行いながらも、地域の障がい福祉力の向上をめざす「被災地支援」の意識をもち、それぞれの地域でバトンタッチできる先を見つけていくことが大事なのだと、あらためて認識するようになりました。
 障害者は施設に入るか家族が看るのが当たり前という風潮がもともとあるような地域で、障害があっても地域で普通に生きていくことができる社会となるよう働きかけるには、地元の人々の力、そして障害者当事者の力が必要になってきます。そこで今川代表が救援本部に要請して、障害当事者派遣プロジェクトが始まり、全国から障害当事者と介助者の方が1週間から10日交替で岩手にやってきて、被災した沿岸地域の障害者に元気を届けてくださいました。秋から冬への寒さが厳しい時期も、年を越しても、夏のみちのくTRYが終わるまで、当事者プロジェクトは続きました。この時期の支援がきっかけで、のちに沿岸地域の施設から地域へ自立生活に移行できた方、当事者活動を軌道に乗せた方、自立生活を目指している方などに結びつくことができました。』

 震災から4年になる2014年、全国自立生活センター協議会 北海道・東北ブロック会議では災害対策マニュアルを作成した。被災したCILの実体験を基に作られたものである。実際に起こったことをまとめてあるため、災害が起こるとどうなるのか、どんな対処ができるのかを知ることができる。そして災害に備えることができる。今後に向けての新たな提言に代えて、ここに一部抜粋で紹介させていただく。

全国自立生活センター協議会 北海道・東北ブロック会議
災害対策マニュアルより抜粋

第1章 大規模災害発生時における避難のあり方について

 大規模災害の発生時に、いかにして命を守り、危険から遠ざかり、安全を確保するのかということが課題である。
 災害の種類、起こった場所・時間の違いなどによって、指定されている避難所が異なる場合もあるため、その避難場所の確認が不可欠である。
 そして、周辺地域は同様に被災しているため、当然ながら、健常者スタッフの居住地、家族等も同様に安否確認や避難対応などをする必要性も出てくる。平時から災害発生時の対応を協議しておく必要があろう。
 帰る場所、他の避難場所がある(あった)、ということも重要なことであるが、避難できる場所、環境を整えることも重要である。
 避難所となる学校や公共施設のバリアフリー化や、バリアフリーではなくても、支援を求めうる関係性を構築していく必要がある。
 個人レベルでは近所づきあいを通して存在を知ってもらうこと。
 団体レベルでは、地域交流・他団体連携などのつながりの構築。そして、行政との付き合い方も重要である。
 救援物資を団体や障害者宅へも届けうるシステムや、他地域からの人的・物的支援をいかに迅速にコーディネートするかという協議が必要となる。

第2章 防災の基礎知識、地域との連携

 震災前は、いずれの地域も地域との連携は積極的にしていなかった。今回の震災をきっかけに週に一度事務所周りでゴミ拾いをしている方、ご近所で毎日欠かさず挨拶をして、声をかけてもらえる関係になっている方、町内会への加盟、地域の避難訓練に参加するなど少しずつではあるが、草の根的に取り組むようになってきており、CILが普段から行っていくべきで、地域に根づく活動をしていくことが大変重要である。

●地域の防災訓練などに積極的に参加する

●イベント(祭り、地域の掃除など)に参加する

●日ごろから、近所に挨拶をするなどして存在をアピールする

 また自治体への関わりについては、地域によって異なるが、共通点として災害時要援護者支援の登録である。障害者についてはまだまだ不十分なので登録をするよう呼びかける必要性がある。

地震直後の対応について(生活の場とCIL事務所内のそれぞれの対応)

 地震が起きたときに自分がいる場所によって対応が違うことがある。(1)生活の場と、(2)CIL事務所内の2つの場を想定して考えてみたい。冬期間に震災が起きたときどうすべきか、というのが切実な問題である。
 一般的には、あらかじめ避難経路を確認しておくことが重要なのは指摘しておくが、室内であれば①身の安全、②火の元の確認、③家族の安否確認、④靴・スリッパを履く、⑤逃げ道を確保、⑥隣近所の安全を確認、⑦ラジオで情報収集、⑧非常持出品を準備。倒壊や津波の被害の危険性が高い場合のみ避難をする。 私たちにとって最も重要な点、(1)について特に重要だと感じるのは、24時間の介助保障が確立していない地域で重度な障害者が一人でいるときに地震が起きることである。(2)については、多くの被災地からの報告で、避難所では障害者が生活することは難しく、CILの事務所自体が避難所的な機能をとっていたとある。寝泊まりができるような準備やある程度の備蓄など環境整備が必要である。また避難所登録をあらかじめしていれば物資なども確実に届くなど万が一のときに対応することが可能となる。
 今後は、災害時の障害者、介助職員または職員同士の連携の取り方について震災を踏まえ検証していくことや、ILP(自立生活プログラム)の中で「防災・災害時について」取り入れていくことを検討している。震災があるから地域で生活できないという声がある。だけどそうではなくて、地域ではもっともっと自由で楽しいことがいっぱいある。辛いことも地震で怖いことがあるかもしれないけれど、日ごろから備えていれば安心だよと、このマニュアルが地域移行の足かせを解放するものになればと思う。

第3章 東日本大震災体験者から学ぶ、CIL(自立生活センター)の対応

〈安否確認〉

●大地震および大災害発生直後は、CILスタッフ(障害当事者および健常者スタッフ)や利用者(訪問系サービス利用者)、スタッフの家族、障害者仲間等の安否確認を緊急に行う必要がある。

●地震直後は停電による混乱状態が予想されるため、固定電話・携帯電話等の連絡方法が使えず電波を使った安否確認が取れない確率が高い。自転車や単車(バイク)などの小回りの利く乗り物を利用して、直接在宅者を訪問しての安否確認が望まれる。地域の実情に合わせた各CIL対応の緊急連絡網の整備が必要不可欠である。

考察

 CILスタッフには妻子のある人もいるため、そのような立場の人には家族の安否確認を優先させる。
 そのため、災害時下、すぐに動ける人・動けない人の役割を決め、一人暮らしの障害者や近隣住民の協力や支援が受けられない当事者に対し、個別対応の安否確認および緊急支援対策マニュアルを常備し、日ごろから情報の共有を図っておく必要性を強く実感する。

〈緊急対応〉

 地域障害者の自立支援活動を旨とするCILの責務(自立支援のための派遣事業)として、介護サービスの継続を早急に整備しなければならない。東日本大震災における災難遭遇事態にあっても、一人暮らしの重度障害者や家族および近隣住民からの支援が望めない状態にある障害者の命を守る救援活動は緊急性が高く、安全・安心の確保が急務である。
 交通網のマヒにより帰宅できなかった当事者、避難所への避難ができない当事者など、身を寄せる手段のない障害者に対し、CIL保有のスペースや宿泊体験室などを、臨時避難所にするなどの緊急対応も必要である。

〈継続性のある救援活動へつなげるために〉

 大災害時に死と直面しながら体験して得た多くの知恵で構築された、JIL障害者救援ネットワークにつなげられるように、東日本大震災から学んだ実効性のある独自の防災マニュアルを駆使して、窮地にある被災障害者のもとへと、支援物資を敏速かつ有効に届けられるように、日ごろの防災意識の共有に努めることが大切と思う。

第4章 障がい者の避難について

 日ごろから自分の行動範囲を狭めず、外界との接触を多くもち、自分の存在を認知してもらうことが重要である。

【日頃からの対策】

 常日頃から私たちが対策しておくことは、災害が起きたとき自分がどこに避難するかを決めておく。ヘルパーさんと話しておくことが必要である。

■避難経路の確保、訓練(どのような手順で避難するか、あらかじめ介助者とともに話し合っておく)

■避難時に必要なものをひとつにまとめて、玄関先に常備(障がい者手帳、食料、スプーン、ストロー、医薬品、お薬手帳、水、衣類等、必要最低限の物資の確保)

■避難時に、普段使用している物で最低欠かせない自分の補助具を考えておく
(車いす、バッテリー充電器、バッテリーなど)

■なるべく一人の時間をつくらない(重度の障害者の場合)

■何ごともシミュレーションしておくこと。最悪の場合を想定しておくこと。

■事業所の連絡網作成と態勢。

■地域の避難所の確認(バリアフリーの避難所など)

■地域の人とのつながりや、自分の日中活動の場を知らせておく

■一人の時間帯は、電話などを手の届くところに置いておく

【緊急時の対応】

 常日頃、緊急時対応できる備えをしておくことと、第一に自分の身を守ること。

■自分の安否(避難先を確保する)

■安否確認の連絡を入れる(各自連絡先を決めておく)

例)CIL当事者スタッフ→事務所に連絡
  介助スタッフ→事務所に連絡
  事務所→近隣CILに連絡
  近隣CIL→JIL事務局

【まとめ】

 日本は、最近2、3年に1度大きな地震や温暖化に伴い大水害が発生している。常に災害は起こりうる。そんなとき、私たちは障がいを持っているため、避難先を確保しなければならない。自分のことだけではなく、仲間、障がいを持つ人の「避難場所」が必要である。そこで事務所や自宅の隣近所と常に仲良くしておいて災害時の避難方法について話し合いをしておく必要がある。
 緊急時には連絡網と、また近隣県のCIL等とも連携を取れるような体制が必要である。大災害時は自助・共助・公助が不可欠だと思う。

さいごに

 災害が起きたとき、避難所への避難ができない当事者など、身を寄せる手段のない仲間、障害を持つ人に対し、CIL保有のスペースを臨時避難所にするなどの緊急対応が必要となるが、小さな当事者組織では到底なし得ないことを、全国の救援組織の力を借りて行い、支援につなげられるように、常日頃から声を上げていきたいと思う。